由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

物語作者としての宮澤賢治 下(銀河鉄道の夜)

2024年04月08日 | 文学

杉井ギサブロー監督 「銀河鉄道の夜」(昭和60年)

メインテキスト:宮澤賢治「銀河鉄道の夜」(ちくま文庫『宮沢賢治全集7』昭和60年刊。第一~三次稿も「異稿」として収録されています)

 「銀河鉄道の夜」は大正末にはすでに一定の形にまでなっていましたが、その後賢治にとっては晩年の昭和五、六年まで改訂が続けられたことは比較的よく知られていました。しかし従来全集や作品集を編纂してきた編集者たちは、賢治の生原稿まで見ることはさほどはなかったようで、刊本によってけっこう異同があったのです。私が小学校の頃に初めて読んだのは、たぶん、谷川徹三編で昭和26年に出た岩波文庫『童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇』を基にしたもので、以後これを旧版と呼びます。【岩波文庫には現在もこのテキストで入っています。】
 その後昭和46~48年に、入沢康夫と天沢退二郎が、遺されていたすべての生原稿を精査し、用紙やインクや書体などから、作品の生成過程を可能な限り明らかにしました。その成果は、まず『校本宮澤賢治全集』(筑摩書房全十四巻別巻一)に収められています。
 「銀河鉄道の夜」については、大きな改訂だけでも三回施されています。賢治が生前に手入れした最後のものは、けっこうまとまっているのですが、これを「決定稿」と呼ぶのは入沢・天沢両氏とも反対しています。それでも、この発見以後、「銀河鉄道の夜」と言えば、この第四次稿または新版と呼ばれるものを指すことになり、各種の全集や作品集に入っている他、アニメ映画「銀河鉄道の夜」の原作になったのもこれです。

 第四次稿と第三次以前の原稿は、「風野又三郎」と「風の又三郎」ほど別の話になっているわけではないのですが、かなり重要な変更があります。最大は、第一次稿から登場していて、銀河鉄道の旅を言わば主導していた人物・ブルカニロ博士が消失してしまったことです。
 結論から言うと、これによって、作品のテーマというか、大枠の構造が次のように変化したことが認められます。
 旧版〈少年が宇宙の神秘に目を開かれる〉→新版〈孤独な少年の魂の彷徨〉
 以下、これについて述べます。

 第四次稿=新版ならば、第三次稿=旧版なのかというと、必ずしもそうではありません。
 まず第三次稿には、「一 午后の授業」→「二 活版所」→「三 家」と続く冒頭部分がなく、「ケンタウル祭」から始まります。ジョバンニは街にいて、「ぼくはまるで軽便鉄道の機関車だ」と考えながら元気よく走っているのだが、同級生のザネリとすれちがった時、「どこへ行ったの」と訊き終わる前に「ジョバンニ、お父さんから、らつこの上着が来るよ」と冷たい言葉を投げつけられる。
 そこから主にジョバンニの内面の声によって、
(1)彼の父は遠洋漁業に出て長いこと留守なのだが、実はらっこや海豹の密猟をしていて、そのときのいざこざで人に怪我をさせてどこか遠くの国の牢屋に入っているという噂があること、
(2)彼の母は一家を支えるために農作業に従事していたのだが、無理がたたって体をこわしてしまったこと、
(3)そのためにジョバンニは朝は新聞配達、夜は活版所で働き、せっかくの祭の日なのに、遊びにも行けないこと、などがわかる。そして今彼はおつかさんのために、届かなかった牛乳を取りに来たのだった。
 牛乳は「今日はない」と言われる。金さえあればどこかで買うことが出来るのに。そこから、裕福で、賢くて、誰からも好かれているカムパネルラへ憧れる思いが浮かぶ。歩いていて再びザネリを含む子どもたちの一団とすれ違うと、また「らつこの上着」を囃し立てられる。その中にはカムパネルラもいて「気の毒さうに、だまつて少しわらつて、怒らないだらうかといふやうに」見ていた。
 すっかり悲しくなったジョバンニは、家へは帰らず、川を越えて暗い林を抜けて天気輪の柱のある丘の頂上にまで着く。そこで牛乳の川=milky way=銀河を眺めているうちに、いつの間にか銀河鉄道の中にいる。それも、カムパネルラといっしょに。

 ここから、本作のボディである、魅惑に満ちた銀河の旅が始まるのですが、今回は物語の構成だけを考えます。いきなりブロカニロ博士までいきましょう。もっとも彼は、実際に姿を現すまでに、「セロのやうな声」で「ひかりといふものは、ひとつのエネルギーだよ」など、ジョバンニの心の中に語りかけていろいろ知識を授けるのですが。
 彼が「黒い大きな帽子をかぶつた青白い顔の痩せた」姿を現すのは、旅の終わり、カムパネルラが突然姿を消して、ジョバンニが「はげしく胸をうつて叫びそれからもう咽喉(のど)いつぱい泣きだし」たとき。次のようにジョバンニを教え諭す。

(前略)みんながカムパネルラだ。おまへがあふどんなひとでも、みんな何べんもおまへといつしよに苹果(りんご)をたべたり汽車に乘つたりしたのだ。だからやつぱりおまへはさつき考へたやうに、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなと一しよに早くそこに行くがいい。そこでばかりおまへはほんたうにカムパネルラといつまでもいつしよに行けるのだ」

 この次に博士は、一頁が一冊の(地球の各時代の)地歴の本になっている本を開いて、人類の意識の歴史を語り、やがて科学と宗教が一致する真理、人類全体の本当の幸福の時代が訪れる(ということだろうと思います)、そのためにこそ「一しんに勉強しなけあいけない」とジョバンニを励ます。

 やがてジョバンニは元の丘の上にいる。そこにも博士はいて、「私は大へんいい實驗をした。遠くから私の考へを人に傳へる實驗をしたいとさつき考へてゐた」と言うので、銀河鉄道の旅はすべて博士の「考へ」をジョバンニに伝えたものらしい。そして、「僕きつとまつすぐに進みます。きつとほんたうの幸福を求めます」と力強く言うジョバンニに別れを告げ、「さつきの切符です」と、銀河鉄道でズボンのポケットに入っていることを発見した緑色の紙(「こんな不完全な幻想第四次の銀河鐵道なんか、どこまででも行ける」切符だと言われた。曼荼羅ではないかとも言われる)を改めて渡す。林の中を通って家へ帰る途中、ポケットが重いので、調べてみると、緑色の紙の間に金貨が二枚包まれていた。これでおっかさんに牛乳を買える。

 何かいろいろのものが一ぺんにジヨバンニの胸に集つて何とも云へずかなしいやうな親しいやうな氣がするのでした。
 琴の星がずうつと西の方へ移つてそしてまた蕈(きのこ)のやうに足をのばしてゐました。


 以上が、第一次稿から三次稿まで共通した作品の末尾です。

 推測を交えて言うと、旧版は次のようにできあがったのでしょう。
 まず、第四次稿で登場した「一」から「三」まで、つまり、学校の授業で、銀河について説明を求められてうまく応えられないところから、活版所でのアルバイト、家で病気のおっかさんと会話し、彼女のために届かなかった牛乳を取りに出かけるまで、すべてジョバンニの体験として直接描写された部分は活かす。結果として、「四 ケンタウル祭〈第四次稿で「ケンタウル祭の夜」、と改められた〉」で説明過剰になる部分は削る、そこまでは賢治自身がやっています。
 ところで、「三 家」で、おっかさんの直の言葉から新たに与えられた情報があって、ジョバンニの父とカムパネルラの父は小さい頃から仲が良く、その関係で、ジョバンニは、以前はしょっちゅうカムパネルラの家へ行って、いっしょに遊んだ、ということです。
 ここでジョバンニの淋しい生活を描くだけでなく、以前は全く登場していないカムパネルラの父について言及したことは、第三次稿までは宙ぶらりんにされていた二つの〈現実〉の事情、
①カムパネルラはどうなったのか、
②ジョバンニの父は今どういう状態で、これからどうするのか、

をきちんと伝える最初の伏線です。
 実際にここは明らかにされました。カムパネルラは川に落ちたザネリ(ジョバンニを一番苛めていた子)を助けるために自ら川に飛び込み、行方不明になってしまうのです。
 因みに、「三」でジョバンニが外出する直前、おっかさんが「川に入らないでね」と注意します。こういう細かい伏線を張れるのも物語作者としての才能ですね。
 第四次稿初登場のカムパネルラの父は、河原にいて懐中時計を眺めながら「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」と言い、またジョバンニに、「あなたのお父さんはもう帰つてゐますか」と問いかける。「ぼくには一昨日大へん元気な便りがあつたんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな」。

 さて、物語の重要な結束点というべき、原稿用紙で五枚ぐらいのこの場面は、第四次稿で初めて登場したわけですが、これは明らかにあったほうがいいですね。最初は確かに生きて活動していたカムパネルラが、銀河鉄道の中からは消えて、現実世界ではどうなったのか、わからないのではどうしてもおちつかない。
 それでまた、作品中のどこに置かれるべきかと言うと、やはり最後に、言わば謎解きのようにあるのが、一番適当なようです。実際作者・賢治も、わかっている限りでは最後に、そのように物語を締めくくることにした。しかし、では、ブロカニロ博士に勇気を与えられる、元の最後の会話はどうなるか。二つの結末はどうしても並び立たないので、賢治はとりあえず、潔く前のを消すことにしたのですね。
 今思いついたのですが、博士はあくまで銀河鉄道の中にいるだけで、そこから目覚めたジョバンニが川へもどって、カンパネルラの現実の死を知る、という筋立てはできそうです。なぜそうしなかったのか、賢治がもう少し長生きしてなお改稿したら、そんなふうにした可能性があるのかどうか、もちろん想像するしかありません。
 因みに新版の最後は次のようになっています。

 ジョバンニはもういろいろなことで胸がいつぱいでなんにも云へずに博士〈これはブロカニロではなく、カムパネルラの父〉の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持つて行つてお父さんの帰ることを知らせやうと思ふともう一目散に河原を街の方へ走りました。

 旧版の最後にある「何とも云へずかなしいやうな親しいやうな氣」のうち、「親しいような」は見当たらなくなります。また、「みんながカンパネルラだ」という言葉もなくなったので、カムパネルラの幻想と現実双方での消失は、ジョバンニにとってどんな象徴的な意味があるのか、よくわかりません。父の帰宅という嬉しいニュースはあるとはいえ、淋しい気分のほうが強く残ります。
 牛乳については、新版では、銀河の旅から目覚めたジョバンニは、川へ行く前にまず再び牛乳屋へ行って無事に手に入れますので、ブロカニロ博士から金貨をもらわなくても、おっかさんに牛乳を持って帰るという外出のミッションを果たすことはできます。それで、新版からは、「セロのやうな声」を含めて、ブロカニロ博士は跡形もなく消されます。
 思うに、旧版の編集者たちは、宮澤賢治の思想を直截に述べていると思えるこの超越的な人物がいなくなることは、どうも了解できなかったのでしょう(単純に、賢治の推敲がちゃんとわからなかっただけの可能性はもちろんありますが)。それで、問題の、カンパネルラの死に関する部分を、銀河鉄道に乗る前にもってきて、その後は第三次稿そのままで完成作としたのでしょう。
 結果として、ジョバンニは、
一度天気輪の丘で眠って→その後川へ行ってカムパネルラの死を知る→その後でなぜかまた丘に戻って→銀河鉄道に乗る、
ということになってしまいました。
 新版が出るまでは気づかなかったのですが、考えてみれば、これは物語としてはけっこう無様、とまでは言わなくても、スマートさには欠けます。賢治という人は、このへんの物語作者としての感覚も、ちゃんと備えていました。

 さて最後に、どうしても暗く淋しい気分が勝る新版、そのために人によっては、旧版のほうがいい、とも言われるこの改変は何に拠るのか。物語の構成をきちんと整えるため、というのは、上で暗示したことで、それは小さな要素ではありません。しかし、それだけではないとすると。
 夢幻譚である「風野又三郎」から「風の又三郎」への改編で、現実の子どもを生き生きと描きながら、その現象の底に潜む奥深い世界をも開示して見せることに成功した賢治が、ここでももっと現実に寄せた物語にしたくなったのでしょうか。それも考えられます。
 もう一つ。旧版では、ジョバンニはブルカニロ博士の実験動物のようです。それで最後に、友を喪う悲哀の意味も、(凡人にはよく理解できないながら)教わり、それが救いになるのです。新版には、ジョバンニを教え導いてくれる大人はもういません。彼はこれから独力で

夢の鐵道の中でなしに本當の世界の火やはげしい波の中を大股にまつすぐに歩いて行かなければいけない〈←旧版の、ブルカニロ博士の言葉〉

のです。その厳しさ。何人かの親友と、最愛の妹とし子を喪った賢治の覚悟と、裏腹の寂寥感が、ここには滲み出ているのかも知れません(これについては以前当ブログ記事「銀河鉄道に乗る前に」で省察を述べました)。
 いや、人間は、さほど厳しい境涯ではなくても、大なり小なり、みんなそうなんじゃないか、とも、今の私の頭の中にはぼんやり浮かびます。

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