由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

文芸はいかに道徳的であるべきか その2(人に報いあれ)

2016年10月01日 | 文学
メインテキスト:正宗白鳥『作家論(一)・(二)』(創元社。(一)は昭和16年、(二)は昭和17年)



 Guy de Maupassant, La Parure, 2007, un film de Claude Chabrol

 正宗白鳥は昭和37年まで生き、結果として自然主義文学作家の最後の一人になった。そして、明治末期、彼らと一番激しく対立したのは、夏目漱石とその一派だった。
 と言っても、こういうところからあまり面白いものは出なかったように思える。今でもよく見かける、「あいつは自分で自分をエラいように思っているが、その実、実に哀れな者さ」の如き悪口の応酬に留まって、議論が一向に深まらず、本質的なところへ向かっていない。日本の文芸はそうなるように宿命づけられていたものであろうか。それ自体は一考に値する問題に違いない。
 が、ここでは、では「本質的な方向」とは何か、自分一個の考えを示して、ご批判を乞うことにしたい。

 『作家論』中の「夏目漱石」は、昭和2年、漱石の死後十年以上経ってから発表された。だいぶ冷静にはなっているが、まだかつての行き掛りの痕跡が独特の陰影を加えていて、面白い評論である。
 中にこんな一節がある。

 漱石が、モウパッサンの「首飾り」を非難した講演錄を讀んだことがあつたが、そこに含まれてゐた非難の個所は、このフランスの作家が、作中の薄給者夫妻の長い間の辛苦を無意味なものやうに取扱つた點にあつた。モウパッサンに對する道徳の立場からの非難は、トルストイによつて、峻烈に下されたのであつて、さういふところに、いろいろな文學者の見解の相違が見られて面白いのであるが、トルストイ自身の描いた人間は、漱石の描いた人物のやうに、やすやすと道徳の支配を受けるほど薄手ではなかつた。そしてトルストイの道徳観は、彼れの深い惱みと表裏してゐた。「坊つちやん」に現れた漱石のそれのやうに安價ではなかつた。

 ここで言われている講演録というのは、「文藝の哲學的基礎」のこと。明治40年、東京帝国大学及び第一高等学校教授を辞し朝日新聞社に入社した直後に、東京美術学校(現東京芸術大学美術部)で講演したものを、口演調は残しながらも徹底的に手を入れて、『朝日新聞』に連載した、評論と言うべきものである。割合と有名な文章で、講談社学術文庫にもこれをタイトルとしたものがあるので、読んだ人も多いだろう。
 今は、後の論に関係する内容のみを略記しておく。曰く、人が生きる以上、必ず「よりよき生き方」を求める。「よりよい」の基準は理想と呼ばれるものである。人間の意識の働きを、仮に、知・情・意の三分野に分けると、文芸はもちろん情の分野の活動ではあるが、それよりは具体的な事物に対する感覚を主として世界を(再)構成し、よりよい自己を建てようとする試みとしてよい(小林秀雄の「美しい花がある。花の美しさはない」に近いような)。ここでの理想は、①直接感覚に訴える「美」の他に、
②知を働かせて世界の実相を抉ろうとする「真」
③愛情や道義を重んじる心を主とする「善」
④偉業を成し遂げる人間の意欲の強さに即応した「荘厳」
が考えられる。
 このすべてを備えているのがそれこそ理想であるが、実現するのは極めて困難であろう。しかし、現代では文明の発達の結果「真」の分野が最も幅をきかし、これがないような文芸はそれだけで価値がないように思われがちだが、本来そんなことはない。のみならず、真(真実、真相)の名のもとに、他の理想を毀損するようになると、その結果生じる不快感のために、本来の面白さも打ち消されてしまう。
 西洋文芸にはこの弊に陥っているものが少なくないから、無批判に輸入するのは考えものだ、というところで、具体例として漱石先生が不快を感じる文芸作品が四つ挙げられている。最初に、モーパッサン「放浪者」にも言及されているが、これは自身が読んだわけではなく、読んだ人から聞いた話だが、と言われているので、度外視してよい。その他には、
(1)シェイクスピア「オセロ」。古典作品で、例外的にリストに載せられた。「讀んで仕舞つて如何にも感じがわるい。悲壮だの芳烈だのと云ふ考へは出て來ない、只妙な圧迫を受ける」と言われている。
(2)イプセン「ヘダ・ガブレル(ヘッダ・ガブラー)」。タイトルロールである主人公は「何の不足もないのに、人を欺いたり、苦しめたり、馬鹿にしたり、ひどい真似をやる、徹頭徹尾不愉快な女」。
(3)モーパッサン「首飾り」。主人公の「實着な謹勉は、精神的にも、物質的にも何等の報酬をモーパサン氏もしくは讀者から得る事が出來ない樣になつて仕舞ます。同情を表してやりたくても馬鹿氣てゐるから、表されないのです」。これと、次の作は、題名も告げられていない。
(4)エミール・ゾラ「シャーブル氏の貝」。「普通の人が眉を顰める所に限つて喝采する」「下民の聚合する寄席」に相応しい話だ、と評される。
 現在の文学好きがこれを読んだら、「まるで小言オヤジのような頭の固さだなあ」と感じて、あとは一顧だにしないのが普通だろう。しかし即断は禁物、もう少し漱石の側に沿って、これらの矯激な評言を考えてみよう。
 (1)について、「妙な圧迫を受ける」とは、シェイクスピアの創作意図にうまく乗せられているとも言えそうだ。立派な男が、悪人の奸言に嵌まり、見せかけの切れ切れの証拠らしきものから疑心暗鬼の虜となり、ついには罪もない貞淑な妻を我が手にかけるに至る。よく考えると、不自然な話なのだが、緊密な構成からくる迫力に押されて、最後まで固唾を飲んで見てしまうところにこそ、このイギリスの国民的劇作家最大の手腕が現れているからである。
 なるほど、オセロの行為はどこまでも愚かで、悲壮美とか偉大さとかとは縁遠い。しかし、ギリシャ以来、悲劇とはたいていそんなものではないか。自らの意志力を発揮してどうしたこうしたより、不条理な運命に翻弄される面のほうがずっと強く描かれている。ただ、ギリシャ悲劇では神々の意志がからんだりするところに、シェイクスピアは人間同士の思惑やら感情の縺れだけで劇を構成した。ヒーローがより人間臭くなる分、普通の意味の荘厳さは後退する。
 それでは物足りぬ、あまり愉快ではない、というのは、漱石の持つロマンティシズムがしからしめるのだろう。彼のこうした資質を考えるうえで、参考になる。
 (2)が私からすると最大の妄評である。それでつい皮肉めいた言い方をしてしまうのだが、なるほどヘッダ・ガブラーは悪女であっても、「虞美人草」の藤尾などよりはずっと奥行きの深い人物だ。
 元来は情熱的な性格であるのに、当時の偽善的な社会通念と、それを軽蔑しながらも正面から対峙する力のない己の弱さのために、意欲が捻じ曲げられ、破壊的な行動しかなし得ない。最後には自分自身を破壊する、という形で、そんな自分を罰する。裏返された悲劇というべき作品なのだ。漱石の目がそういうところには向けられなかったのは、残念である。
 (3)が一番肝心なので、先に(4)のほうから見る。岩波文庫『水車小屋攻撃』の中に朝比奈弘治訳で入っているので、実物を読んでもらうのが一番よいのだが、その暇はない、という人のために漱石による粗筋を下に引いておく。

御爺さんが年の違つた若い御嫁さんを貰ひます。結婚は致しましたが、どう云ふものか夫婦の間に子が出來ません。夫(それ)を苦に病んで御爺さんが醫者に相談をかけますと、醫者は何でも答辯する義務がありますから、左樣、海岸へ御出でになつて何とか云ふ貝を召し上がつたら子供が出來ませうよと妙な返事をしました。爺さんは大喜びで、早速妻君擕帯で仏蘭西の大磯辺に出掛けます。すると其処に妻君と年齡から其他の點に至るまで夫婦として、如何にも釣り合のいい男が逗留して居まして妻君とすぐ懇意になります。(中略)ある日の事三人で海岸を散歩する事になります。時に、お爺さんは老體の事ですから、石の多い濱辺を嫌つて土堤の上を行きます。若い人々は波打際を遠慮なくさつさとあるいて參ります。所が約五六丁も來ると、磯際に大きな洞穴があつて、兩人がそれへ這入ると、うまい具合と申すか、折惡くと申すか、潮が上げて來て出る事が六(む)づかしくなりました。老人は洞穴の上へ坐つた儘、沖の白帆を眺めて、潮が引いて兩人の出て來るのを待つて居ります。そこであまり退屈だものだから、不図思出して、例の醫者から勸められた貝を出して、此貝を食つては待ち、食つては待つて、とうとう潮が引いて、兩人が出てくる迄には余程多量の貝を平(たいら)げました。其場は夫(そ)れで済みまして、愈(いよいよ)細君を連れて宅へ歸つて見ますと、貝の利目は忽ちあらはれて、細君は其月から懷妊して、玉の樣な男子か女子か知りませんが生み落して老人は大滿足を表すると云ふのが大團圓であります

 フランス人男性は、伝統的にコキュ(寝取られ亭主)になるのをひどく恐れる。女房を他の男に取られて、しかもそれに気づかぬ男こそ、最も笑い者にされてよいという通念があるらしい。もっとも、世界各国に似たようなところがあって、オセロだって半分近くはそれで怒るのだし、日本の落語にも「紙入れ」とか「風呂敷」のような間男を題材にしたものがある。
 漱石先生にはそれが気に入らない。妻に不倫されたからと言って、特に悪いところもない男を嘲るとは何事だ、非常に下卑たふるまいだ、寄席通いをするような人種にこそ相応しい、というわけで。【でも、漱石自身寄席がけっこう好きで、「三四郎」で柳家小さんを絶賛しているのはよく知られている。やっぱり、なかなかに複雑な人物なんですね。】
 いやあ、ちょっと待っていただきたい。コキュ噺は、この作品を締めくくる枠のようなものだ。主眼は、海の妖しい雰囲気に魅せられて、つい道ならぬ情愛に踏み込んでしまう男女を描くところにある。それがなんだ、と言われたのではもう立つ瀬がありませぬ。
 そこでさらに、なんでそんな不道徳な枠が必要なのか、と言われますなら、そりゃ、作品にまとまりをつけて、印象を鮮明にするためです。大作家の夏目漱石先生には、本来釈迦に説法であるはずなのですが。
 先生は、ここには人間の一面の真実は描かれているかも知れぬが、それで貞操という徳義が損われ、馬鹿にされるのではなんにもならないではないか、とおっしゃりたいらしい。この小説を読んで、先生以外に、そんなふうに思う人はまずいないと思う。いるとしたら、上の梗概だけを読んだような人だろう。ゾラにしてからが、不貞がきっかけで破滅する男女を描いた傑作「テレーズ・ラカン」を書いていることだし。まあ、こっちは、夫殺しまでやるのだから、文字通り話が違うか。
 ともかくですね、徳義というものをそうまで狭く堅苦しく捉えたんでは、人間の「情」を描くことが難しくなる。それではつまらなくないですか? 
 というか、文学なんてやってられなくなりはしませんか?
 白鳥が漱石をけなすために引き合いに出したトルストイは、実際にそれに近いところまで進んだ。1898年に完成・刊行された「芸術とは何か」では、自身の「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」まで含めた近代の、いわゆる芸術は、いかなる意味でも民衆を幸福にしない有害無益なものだ、と全否定している。
 それでいてその後で、「復活」のような、欲情の激しさをも力強く描いた作品を書いてしまうのは、矛盾ではない。何しろ、自分の若い頃の行状への懺悔(相当な遊び人でもあったらしい)を込めた、道徳性の点でも、文句のつけようのない小説なのだ。
 こんな桁外れに立派な人には、とても反論できない。ただ、「あなたほど正しくなれる人は、他にいないんですよ」と不満をぶつぶつ呟くことができるだけだ。だから誰かを、例えば漱石を、この人と比べるなんてのは、気の毒と言うより嫌味にしかならない。
 ただ、トルストイが最後の拠り所とした聖書にあたるような道徳的な基盤が、漱石にはあったかのかどうかは、それなりに面白い主題らしく思えるので、本シリーズの次の回で採り上げたい。
【それから、白鳥・トルストイ、となると、小林秀雄との「トルストイ家出論争」、後には「思想と実生活論争」と呼ばれたものが連想されます。これもできたら、後で考えてみたいです。】

 そこで(3)の、モーパッサンをめぐって。日本では、少なくとも昔は、ゾラよりモーパッサンがよく読まれていたから、「首飾り」も読まれていて、正宗白鳥のように反応する人も出てくる。
 ところで、これを読んでくださっているごく少数の人にお願いしたい。できたら、本作のほうを、短いものですから、読んでから拙文に目を通していただきたい。本を買ったり借りたりしなくても、青空文庫に「頸飾り モウパンサン」の題で、戦前の辻潤訳がでているし、新しいところでは以前にもお世話になった足立和彦氏が訳したものをご自分のサイトに載せてくださっている。【なお、足立氏は他に、「夏目漱石とモーパッサン」という論考もアップしておられる。資料的にも詳しい、行き届いた名論で、大変参考になった。深くお礼申し上げます。】
 それと言うのも、個人的に、小説の最後の、いわゆる「どんでん返し」によって最も衝撃を受けたのは、これと、E・A・ポー「アッシャー家の崩壊」を双璧とするからだ。むろん、両作は、短編小説である以外は全く異質、というか、正反対というべき作風である。
 ポーのはのっけからおどろおどろしい非現実的な雰囲気で始まり、次第に不安を高めながら、最も恐ろしい破局へと読者を導く。対してモーパッサンのは、パリの市井の夫婦を多少のウィットを交えて淡々と描いていって、最後にあっと言わせる。あっと言った後で考えると、そこには不自然なところも非現実的なところも全然ない、ごくありふれた話だ、というところでまた衝撃を新たにする。短編作家としての腕の冴えは、まことに御見事と言うしかない。
 で、ネタバレするのは忍びないし、また粗筋だけだと、上の「シャーブル氏の貝」のような誤解を招く危険もあるのだが、やらないと文字通り話にならないのだから、やむを得ない。以下はそのつもりでお読み願います。
 本作のヒロインは、貧しい下級官吏の妻で、その境遇には似つかわしからぬ美人で虚栄心に富む女。夫の上司である大臣が夫婦を舞踏会に招いてくれた時、夫が自分の楽しみのためにとっておいた金を回してなんとか恥ずかしくないだけの服を買い、装身具は、妻の女学校時代の同級生である、裕福な友だちから借りる。舞踏会は夢のように華やかだったが、ヒロインは舞い上がりすぎて首飾りを失くしてしまう。仕方なく、借金してそっくりなのを誂えて返す。
 この後は漱石の感想で。「よくせきの場合だから細君が虚栄心を折つて、田舎育ちの山出し女と迄成り下がつて、何年の間か苦心の末、身に釣り合はぬ借金を奇麗に返したのは立派な心掛で立派な行動であるからして、もしモーパサン氏に一點の道義的同情があるならば、少くとも此細君の心行きを活かしてやらなければ済まない譯でありませう」。ところが実際には、この細君の苦労は無意味なものであったように思える結末になっている。
 そりゃあないだろう、普通の道徳心があるなら、とてもこんなのには耐えられないはずだ、というわけ。前三者と違って、これには一理あるかなあ、と思える。なにせ、苦労の基の借金の、そのまた基になった首飾りが、実はほとんど値打ちのない偽物だった、とわかるのだから。
 結末は、漱石の語りでは、「先方の女は笑ひながら、あの金剛石は練物ですよと云ふたさうです」。
 しかし実際は少し違う。足立訳で引用すると、

 フォレスティエ夫人は、すっかり心を動かされ、彼女の両の手を取った。
 ――ああ! かわいそうなマチルド! でもわたしのは偽物だったのよ。せいぜい五百フランのものだったんだから!……


 もし、友だちのフォレスティエ夫人が、漱石の言う通り「笑ひながら」こう言ったとしたら、私たちは、作者まではともかく、この女はなんて嫌な奴なんだ、と思わないわけにはいかないだろう。その程度の道徳心なら、なるほど、誰にでもある、と言える。だから、モーパッサンも嗤わない、その証拠にヒロインの友だちも笑わないのだ。
 漱石が誤読したのは、淡々とした書きぶりそのものに、作者のひそかな悪意を感じたからだろう。「よくせきの」で始まる引用文の直前ではこう言っている。「輕薄な巴里の社會の眞相はさもこうあるだらうと穿ち得て妙だと手を拍ちたくなるかも知れません。そこがこの作の理想のあるところで、そこがこの作の不愉快なところであります」。首飾りの偽物の宝石は、パリの、特に社交界の贋物性を象徴する、というわけか。
 社会の偽善を暴くことは、それ自体に爽快感があり、なるほど、これを文芸の諸理想中の「真」の現れと呼んでもいい。モーパッサンの二つ目の長編小説「ベラミ」などは、典型的にそれを主眼としている。しかし、虚栄心と言ってもまことにささやかなものしか描かれていない「首飾り」は、それにはあたらないだろう。
 もしそうだとすれば、作者は、例えば、貧しいながらも気取らず、実直な生活に目ざめたヒロインの、「精神的な勝利」を最後にもってきてもよかったはずだ。文学で「こころいき」を生かすには、それでもいい。しかし、想像しただけでも、それはやっぱり取ってつけた結末にしかならないなあ、と感じられる。
 モーパッサンはここで、何かの主張をすると言うより、人生にはこういうことも起こりがちでしょ、とただ提出して見せたのである。なるほど、最も広い意味の徳義を気にしないで生きていける人はいない。人はそれぞれの場所で、「よりよく生きる」ことを求めている。しかしその人間が現に生きている場所では、長年の懸命な努力が一瞬にして無駄になってしまうようなことも往々にして起きる。絶望するのも御随意だが、なんらかの理想を抱くにしても、こういう厳しい現実認識を踏まえないと、子どもの夢想と変わらなくなってしまう。
 と、いうような主張も、私が敢えて深読みをして出したので、モーパッサンのものとは言えない。彼はただ、描いた。「何のために」などということを考えれば、描写が不正確になるばかりだ、とでも言うように。トルストイも、「モーパッサン論」(木村彰一訳。筑摩書房版世界文学大系44『モーパッサン』所収)でこれを指摘し、不満を表明している。
 ただし、とトルストイ先生は言う。人間の全き孤独、他者との根本的なディスコミュニケーション状態への深い絶望感は、モーパッサン作のいろんなところに現れている。【以下は由紀の半畳。人と人とは結局分かり合えない、ということだけはわからせることができる、と言えば、皮肉になるが、これも裏返しにされた一種の共同性であり、道徳性だと言える。人は完全に孤立できるものではなく、従って道徳性と完全に切れることもない。】それを深めて行けば、あと一歩で、本当の信仰にまで至ることができたろうに、軽薄で不道徳な環境のために止まってしまったのが、彼の悲劇だ、と。
 夏目漱石は、多くの点でトルストイと共通している。彼も文芸を、世界をありのままに描けばいい、などとは考えなかった。そこに彼の自然主義文学批判の要諦があるので、批判された側としては、「ありのままに書く」文芸にはどのような価値があるのか、闡明することで、彼に対抗するべきだった。彼らの多くが、モーパッサンを尊敬していたことだし。
 しかし実際は、日本の自然主義文学の作家たちは、世の中の実相を描こうなどとも志していなかったのだから、対立と見えるものもすれ違うよりほかになかったのである。
 漱石は漱石で、文芸はもっと意義のある、尊いものにならねばならんと本気で考えていた。「文藝の哲學的基礎」では、次のように気炎を上げている。

文藝家は閑が必要かも知れませんが、閑人ぢやありません。ひま人と云ふのは世の中に貢献する事のできない人を云ふのです。いかに生きてしかるべきかの解釋を与へて、平民に生存の意義を教へる事のできない人を云ふのです。かふ云ふ人は肩で呼吸(いき)をして働いてゐたつて閑人です。文藝家はいくら縁側に晝寝をしてゐたつて閑人ぢやない。(中略)しかしこれだけ大胆にひま人ぢやないと主張するためには、主張するだけの確信がなければなりません。言葉を愌えて云ふといかにして活きべきかの問題を解釋して、誰が何と云つても、自分の理想の方が、ずつと高いから、ちつとも動かない、驚かない、何だ人生の意義も理想もわからぬくせに、生意気を云ふなと超然と構へるだけに腹ができていなければなりません。

 
 これが漱石の使命感であった。これがために、まず、彼の小説はけっこうつまらなくなったのではないか、と思える。それでもなんでも、道徳(的なものを含む)に拘泥し、近代日本ではそれがなかなか見つからないことに本気で苦しんだらしいところに、彼の真面目を見るべきであろう。苦しむポーズを示したことで、夏目漱石が主に旧制高校生たちのスターになった、というようなのは、無論度外視して。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする