Takepuのブログ

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王立軍は8日朝北京へ

2012-02-11 17:23:05 | 時事
失脚の可能性が高い重慶市の王立軍副市長は、8日にすでに国家安全部に伴われ北京に送られ取り調べを受けているとみられ、重慶市による「病気療養」の発表は本人が北京に送られた後で本人不在のまま出されたものだった、と11日付の香港紙「明報」などが報じた。明報は「読者からの情報による王立軍と同行した国家安全部の邱進副部長の名前入り航空券」を写真掲載し、それによると、8日午前8時の成都発の北京便になっていた。

明報が重慶当局筋の情報として報じたところによると、王副市長が6日に成都の米総領事館を訪れた原因などがわかってきた。薄煕来が王を重慶につれてくる前に遼寧省鉄嶺市で公安局長をしていたときに疑われた汚職案件について、重慶では薄煕来が見逃し、中央規律委員会の調査から王を守っていたのを、二人の路線対立で薄が王の庇護をやめ、春節前に規律委の調査グループが重慶を訪れたことで、王は身の危険を感じ薄と決別しようと思い立ったという。
2人の対立は、王のいとこが昨年の全国的なマフィア摘発活動の際に重慶に逃げてきて王の庇護を求めたころから、王と薄の意見が合わなくなったという。王は拳銃を取り出して激高するほどだったという。

王自身も情緒不安定になり、その結果、公安局長の任を解かれ、王は重慶ナンバーの公用車でない車を飛ばして成都まで赴き、米総領事館に逃げ込んだ。重慶当局は王の逃走に備えて鉄道駅や空港などを監視していたが、外国公館を煩わせるわけにはいかず、まんまと逃げられたという。

重慶市当局は米総領事館に王の返還を求めたが、王自身は重慶に連れ戻されれば生命に危険がおよぶと感じ、それなら北京に引き渡される方がましだ、として北京への連絡を求め、総領事館員が北京の米国大使館と連絡を取り、大使館から中国当局上層部に連絡、北京から国家安全局幹部が来てから、重慶市当局者に強奪されないように身柄を北京側に委ねたようだ。7日深夜に王が総領事館を出るときは、周辺の道路は封鎖され、北京当局と重慶市の対峙もあったようだ。

総領事館内で王が米国といかなる情報で取引しようとしたか、薄の汚職問題や重慶市の機密関連も含まれると見られるが、次期最高指導者の習近平・国家副主席の訪米が13日と迫っていることから、大きな政治問題化させないように、亡命申請は受け入れず、北京当局に引き渡したのだろう。米国はこれらを公にしないで、中国に貸しを作ると見られる。また、薄個人の汚職問題程度なら、スムーズな米中関係のほうが優先されるだろう。

このニュースが本当なら、薄煕来の今秋の最高指導部入りは極めて難しいと考えていいだろう。


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