Takepuのブログ

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周永康はセーフ

2012-04-24 19:06:00 | 時事
前回、失脚した薄熙来とのかかわりから、中国指導部の権力闘争での次のターゲットになっているのかも、と香港誌「明鏡」に紹介されていた中国ナンバー9の周永康・党政法委員会書記(中央政治局常務委員)が、自己批判はしたけれども今秋の第18回党大会開催まではおとがめなし、との見方を紹介したが、どうやらこの裏付けとなるような、中国側の公式見解に近い情報が出てきた。
24日の人民日報3面の上半分を大きく使って、周永康の「加強新形勢下政法委書記隊伍建設 努力開創政法事業科学発展新局面」(新形勢のもとでの政法委書記の隊列建設を強化し、政法事業の科学的発展の新局面を切り開くために努力しよう)と題した大論文が掲載された。

これは一ヶ月近く前の3月26日の全国政法委書記の第一回研修班での周永康の講話だという。
長い原稿だが、中国の文章にありがちの、これまでの党の方針を書き連ねるだけで、特に目新しい観点はないが、題名の「科学発展」は胡錦濤総書記の政策のキャッチフレーズとなっている「科学的発展観」が盛り込まれている。講話の内容も「今年はわが国の発展の過程できわめて特殊な重要な意義のある1年となる。すなわち、党の第18回大会(十八大)が開かれる。十八大が勝利のもとに開かれるために、創造的で穏やかな社会環境を切り開くことが政法期間の第一の任務である」などと、社会の安定の必要性を強調している。胡錦濤総書記とその体制を持ち上げてヨイショし、ある意味、胡錦濤現指導部に忠誠を誓うような内容だ。いうまでもなく現在の胡錦濤指導部から習近平・李克強新体制に権力移譲される十八大の重要性を説くことで、現状の体制を支持していると意思表示しているということだろう。

3月26日といえば、全人代が閉幕して、薄熙来の重慶市における全職務が解かれたのが3月15日。政治局委員と中央委員の職務停止が発表されたのは4月10日。おそらく、この間に周永康にも薄熙来事件への連座について問われる一定の取り調べがあって、あるいはその雰囲気、プレッシャーを感じて、現政権への忠誠を誓う演説で自らの「無実」を演出しようとしたのだろう。

その演説が1ヶ月たって、党中央機関紙の人民日報に掲載されたということは、ネット上や海外メディアなどで周永康の薄熙来事件への関連がささやかれている中、全国の党員、人民に周永康が「おとがめなし」ということを公式に知らしめるとの意図があるのだろう。もっというと、それこそ十八大へ向けて党の団結を維持するために、それらの不安を打ち消そうという党中央の考えなのだろう。

薄熙来が失脚前、中国西南地方を管轄する成都軍区の各地区を回っていた、軍事クーデターを起こそうとしていた、とのうわさも出ていた。王立軍米総領事館逃げ込み事件の日も薄は雲南省昆明から重慶に戻ったところだった。薄の妻の谷開来の父親は軍人で、薄は軍とのとながりもあった。
郭伯雄・中央軍事委第一副主席が4月14日の新華社電で「最近成都軍区を視察した」と報じられたように、この地区を回ったのも、成都軍区が薄熙来にそそのかされて体制に反旗を翻さないか確認に行ったと見られている。

十八大に向け、団結が必至の中国共産党で、周永康の失脚がなければ、まず大きな変化はなく秋まで粛々と進むのだろう。