Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

中朝国境の旅7止

2009-06-23 23:32:31 | 中国旅行

夕食は、延吉で朝鮮焼肉ダアっ!と、ホテルのフロントで「近くに美味しい烤肉店ない?」と聞くと、歩いて10分で「東方串肉城」があるという。着いたら朝鮮焼肉でなくモンゴル風串焼きだった。でもうまかった。羊の足と牛肉の串焼きを食べた。やば、高いかもと思ったら126元だった。びっくり。

翌朝、最終日。延吉空港まではタクシーで10分もかからなかった。12元ほど。案の定地方空港は2時間前でなく、1時間半前から。まず検疫から。ものものしい身なりの人が二人きたので、時間かかるか、と思ったら簡単に済んだ。

仁川空港についても、行きの大連のときのように係員が航空機の中に入ってくることもなく、トランジットも順調。2時間あったので、ちょっと高かったがマッサージを受けた。上手だった。

中朝国境の旅6

2009-06-23 22:24:55 | 中国旅行

翌日は朝食8時とゆっくりして、ホテル近くの小天池を見て山を降りる計画。同じホテルに泊まってた韓国のツアーの人たちが写真を撮っている。ま、池そのものはたいしたことないけど、小さな花がいろいろ咲いていた。

ほかのツアー客たちは地下森林というところにも行くみたいだが、延吉行きバスの最終が午後2時と、下山までのバスなどの接続しだいではどうなるか分からないので、雨が降り出したこともあり割愛。
ホテルは温泉代は別だが夜朝2食の食事付きで日本円換算で1万円ちょい。北朝鮮のお姉さんの歌も楽しめたし、いいホテルだった。世界遺産申請をするとの口実で、中国当局が06年に立ち退き命令を出したらしい。世界遺産になってから中国地元資本のホテルを建てて儲けようというのか。朴さんによると、最近は立ち退きをあまり言わなくなってペンディング状態という。
小平はこの前身のホテルに泊まって天池を見ることが出来たが、江沢民は中国系の山麓のホテルに泊まり、結局天池は見られなかったらしい。中国人は長白山に来て天池を見ると出世する、との言い伝えがあるとのこと。胡錦濤も国家副主席時代に3回来ているという。

ホテルを出ると、ちょうどバスが泊まっていた。走って乗り込み、他の客は中継地点の運動員村駐車場と地下森林で降りていったが、バスはそのまま山門まで行ってくれて、山門を出るとすぐにタクシーの客引き。預けていた荷物をピックアップして、順調すぎるほど順調に、午後1時発延吉行きのバスのチケットを買うことができた。
バスターミナルの隣のちょっと大きめのホテルで、バスが出るまでゆっくりと昼食。茄子の味噌炒め「荷花茄子」は香菜やニンジン、ネギを豆腐皮で巻いた上に載せて食べる。うまい。「農家の料理」と服務員が薦めてくれた豚肉やジャガイモ、カボチャ、トウモロコシを炒めた料理は抜群にうまかった。肉は蒸したあと味付けしているのか、骨からポロっと取れる。トウモロコシは日本で食べるものと違ってモチモチしている。味も濃すぎずちょうどいい。

ご参考に、二道白河のバスターミナルに張ってあった時刻表。延吉へは1日6便。長春や通化行きもあるようだ。
延吉には午後4時半に到着。バスターミナルの隣の東北亜大酒店にチェックインできた。バスタブもある。お湯もすぐ出る。180元。


中朝国境の旅5の2

2009-06-23 22:05:02 | 中国旅行

長白瀑布への道は、バスを降りてからそんなに険しくない道を約1キロ歩く。脇を激流の川が流れる。風が結構強い。温泉が湧き出ているところがある。温泉卵を振舞っている。4個10元。卵はサルモネラが危ないかもしれないので、念のためやめとく。
滝は3本。朴さんによると、左の2本は天池から、右の1本は近くの滝から伝わってきているが、地下から水を押し上げる力があり、滝の源になっているという。
午後3時過ぎと、少し早めだが、疲労困憊しないように早めにホテルに帰る。というのは長白山国際旅遊賓館には露天温泉があるからだ。備え付けの浴衣に着替えて温泉へ。内風呂と露天がある。ちょうどいい温度で、いいあんばいに雨も降ってきた。外をぐるぐる回ってなくてよかった。気持ちいい。
夕食は、キノコの炒め物、ウサギの肉?の炒め物とキムチ、カクテキなど。味噌汁?と思ったけどテンジャンチゲと全体的に朝鮮風。

北朝鮮の女の子たちが楽器演奏と歌を披露してくれた。アリランは分かった。津軽海峡冬景色を歌ってくれた。中国語が分かるようなので聞いたら、北朝鮮の学校で音楽を学び、3年契約でここで働いているという。チマチョゴリの上にエプロンをつけて、食事の後片付けも彼女たちがしていた。
この日は天池も滝もバッチリの満額回答だった。温泉のおかげで体が芯からポカポカしている。ぐっすり眠れた。

中朝国境の旅5の1

2009-06-23 21:00:17 | 中国旅行

いよいよ5日目の朝、長白山へ。5時半に山麓の駅、白河着。客引きが押し寄せる。バスは10元、6時半に出発するという。タクシーは40元。山門は7時に開くというので、早いかな、と思ったが、タクシーで山門に一番乗り。土産物売り場のおっさんに「こんな早く何しに来た」と言われた。とりあえず朝食の麺を食べて、そこに荷物を預けたり着替えたり。超軽量ダウンジャケットはもちろん、ユニクロのヒートテックのズボン下は大活躍。

入場券売り場で7時前から並んだら、「5月1日から開門は7時半から」との張り紙が。とりあえず一番に入山券100元と環境バス券68元、保険5元を購入し、バスに乗り込む。他の人は天池を目指して中継地点で下車。僕らはバスを乗り換え小天池で降り、予約していた長白山国際旅遊賓館に。社長の朴さんらが迎えてくれたが予約は入っていないという!? どうなってんだ、延辺日中文化交流センター。無責任だな。
もしこのホテルに泊まりたいなら、直接電話で予約、確認したほうがいいですよ。
とりあえず部屋はあったのでチェックイン。窓から長白瀑布が見える部屋にしてくれた。瀑布の上の空が晴れると天池が見えるらしい。空の具合を見ながら昼前に出発。バスで中継地点の運動員村駐車場まで降りてランクル(80元)に乗り換えるが、長蛇の列。天気も変わってきた。ちょっと不安。

結局ランクルではなくミニバスでカーブだらけの道を20分。案の定、山頂は霧で包まれて前も見えない。とりあえず登ることにした。「天池」は小平の字。「長白山に登ったら天池を見なければ」と言ったらしい。

結局山頂で待つこと数十分、突風が吹くと雲が上ってくるとともに天池が姿を現した。だんだん天気が良くなり、朴さん曰く「6月に入って一番良く見えた」と、天池を堪能し、用意してきたアルファ化米とインスタント味噌汁で山頂で昼食。山頂では丸太小屋のようなものが完成間近で、環境破壊が進むかも。
写真の左端には、中国と北朝鮮の国境線が見える。ビデオで撮影したものをよく見ると、国境線の下の方の建物に数人の人影が写っていた。北朝鮮の国境管理員か警備員か。
帰りもランクルでなくミニバスだった。運動員村駐車場からホテル側の方にバスを乗り換えて登り、終点が長白瀑布の入口だ。

中朝国境の旅4の2

2009-06-23 16:02:21 | 中国旅行
将軍墳から移動するとすぐに次の禹山貴族墓地に到着してしまった。韓国・慶州の天馬塚のように、土まんじゅうのような小ぶりな円墳がいくつもある。土台の部分は四角いようだ。
唯一中に入れる5号墓に入ると真っ暗だ。入口に戻ったら照明のスイッチがあった。玄室に入ると、湿気で壁は濡れていて、あまりいい状態ではないが、壁画が暗い照明に浮かび上がって怖いぐらいだ。鳥肌がたった。写真は展示室にあった4号墓のレプリカ写真だが、5号墓は基本的に東西南北をあらわす青龍、白虎、朱雀、玄武の四神が大きく描かれている。玄武はやや分かりにくい。

高松塚古墳やキトラ古墳が、ここの古墳の影響を受けているのは間違いない。キトラ古墳で見られる顔が獣で体が人間の絵もある。四神以外に、植物の葉のような雲のような模様がたくさん描かれている。天井には、キトラや高松塚のような星座はなかった。
まさかこのような古墳の中に入って、壁画を直に見られるなんて、感動ものだ。ただ世界遺産なんだから、もうちょっと保存状態は良くならないものか、と逆に心配してしまった。

最後に丸都山城跡に行く。手前に山城下貴族墓地が広がる。禹山貴族墓地のような形だが、規模がこちらのほうが大きい。係員は事務所の中で寝袋に入って寝ていた。参観客も僕等以外にもう一組だけ。やる気あるのかね。
石を積んだ城壁が広がり、南門を越えると畑の中を歩きながら、見張り台跡に着く。

その先に宮殿跡との看板があり、畑のあぜ道のような道を登っていくと、現在建設中。というか、近くの農民が「宮殿跡の遺跡は写真を撮るな」という。こっそり撮っちゃったけど。ヨン様のドラマで高句麗遺跡があたったので、デカイ宮殿を造っちゃおうとしてるのではないか。それが完成するまでカッコ悪い土台は見せたくないのか。

麺と水餃子の昼食を食べて、博物館を見ようと思ったら人はいるが「閉まっている」と言われた。集安はやる気あるのかね。ということで通化に戻り、2つ目に断られたホテルに併設された風呂に入りに行くことにする。男28元、女20元。男湯はサウナのあるスーパー銭湯そのもの。そのあとマッサージをしてもらう。
夕食は水餃子と茄子とピーマンの肉詰め、ジャガイモと枝豆など。メニューがなく餃子を頼みすぎてしまい、テイクアウトした。
午後10時発の硬臥(二等寝台)で長白山の麓の街、二道白河に向かう。周りは韓国人ツアー。夜中までほかの寝ている人のことも考えず宴会。うるさくてしょうがない。

中朝国境の旅4の1

2009-06-23 12:25:32 | 中国旅行

大連午後4時20分発の夜行寝台快速K7385次は午前6時半過ぎ、通化に到着。客引きがすごい。とにかくすぐに、当初考えていた駅前のまともそうな万通大飯店に入ってフロントで部屋を聞くと、団体が入っていて満室だという。ガーン。少し歩いて見つけた別のまともそうなホテルも満室。予定狂った。しょうがないから、風呂が無くてもいいから、と人民招待所という駅前のツインの部屋(30元)に入って荷物を置く。
駅前にいたタクシーに集安まで観光で1日包車(チャーター)と聞くと、300元だという。安い。まず15分ほど離れた旅行社に行って、今夜の夜行寝台車のチケットを受け取る。
集安まで車で1時間半ほど。街に入る前にまず好太王碑(広開土王碑)に着いてしまった。入り口に人相の悪そうなおっさんが何人もいたが、母親は入場料免除になると調べてくれた。若い女性が案内してくれるようだ。

ガラス張りの碑は結構でかい。ガラス越しでなく、中に入って直に見ることができる。「倭」の字はどの辺にあるの、と聞くと2カ所教えてくれた。かなり削れていて、前後の字と合わせて碑文を文章として読むのはちょっと無理。「大王」の字がいくつもあるのが目につく。
そこから太王陵、つまりは好太王の墓まで歩いて数分。日本で言ういわゆる円墳というか、円錐型の石積みで、草が生えている。中は石室のようなものはあったが空っぽだった。

車に乗ってほどなく将軍墳。最も完全な形で残っている墓というか古墳だそうだ。登って中腹にある石室の中をのぞくことができるが、ここもほぼ空っぽ。棺が二つ並んで置いてあったと見られる土台だけ残っている。上の好太王碑と陵の遠景写真は、この古墳の上から眺めて撮ったもの。傍らには陪葬された小さな古墳も。石室の上の天井の岩がむき出しになっていた。手前のサイコロ状の大きな石が入り口のフタだろうか。