朝礼の話題

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白髭神社

2012-05-28 22:05:44 | 21世紀
白髭神社
2012/05/29
 毎週日曜日、若松高須の麻生先生に通いリンパマッサージを受けています。通い道の途中に白髭神社があります。白髭神社は全国に沢山あります。
 高麗神社(別名白鬚神社とも呼ばれ、武蔵国に多数ある白鬚神社は高麗神社の分社で、そのため高麗総社といわれています。本来白髭神社=新羅明神は新羅系渡来人が祀ったのもですが、ここには新羅系渡来人と高句麗系渡来人との重層化が見られます)は、高麗王若光(高句麗渡来人の指導者)を祀った神社で、1300年の歴史を持ちます。
 白髭神社は、弥生時代の渡来人の神様です。
 北九州市門司区には白木崎という地名があり、ここは新羅から人が住み着いた場所ときいたことがあります。日本は朝鮮半島人の移住地として発展したのだと認識しましょう。
 白木神社と言うのもあります。天女衣掛柳から川並地区を経て、「白木」森があり、その山中に「新羅崎神社旧跡」と刻まれた碑が立っています。神社の名残りを示すものは、石で組まれた階段跡ぐらい。元は「新羅城神社」と言い、明治までは「白木神社」と呼ばれていたといいます。ここに至る山道の入口には、「賤ケ岳合戦当時は昼でも暗く樹木が生い茂り、伏兵達の格好の隠れ場であった」という説明板があります。時の政権の都合によって、「新羅」から「白木」と名称が書き換えられていったのではないでしょうか。
 なお、ここからそう遠くない福井県今庄町にも「新羅(しんら)神社」があります。白木神社も全国に沢山あり、被差別集団の長「弾左衛門」も祭られています。被差別の人々は各村を本村とする枝村に位置して、本村からの支配を受けるとともに、弾左衛門を頂点とする被差別のいわばネットワークからの支配も受けるという、二重支配の構造の中にあったそうです。佐伯泰英の小説、古着屋総兵衛影始末シリーズは、弾左衛門をモデルにしているようです。
 魏志倭人伝では、陸行三日など表現されるように、当時、日本は原始林に覆われていたと思います。その雰囲気は屋久島の原始林の歩道を歩いてみるとわかります。日本に最初にきたのは、史記に書かれている、始皇帝に派遣された
徐福で、3000人の若者・職人で吉野ヶ里のような植民地を作り、その後高麗・新羅・百済の渡来人が来て発展させたと考えています。徐福の里は日本で8か所もあり、白髭神社・白木神社は全国では数千社あるのです。
 日本を作った渡来人の歴史を韓国イデオロギーを離れたところでハッキリさせて欲しいです。元々の日本人はアイヌの様な熊と仲良しの森の人でしょう。


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