朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

ハルノート

2015-10-03 21:00:06 | 21世紀
ハルノート
2015/10/04
 十月十六日、戦争遂行に自信のない近衛首相が退陣し、東條内閣が出現した。
陛下は先の御前会議の決定を白紙に戻し、戦争準備と外交を並行せしめず、外交を優先させよと仰せになり、再度平和の道を探求するようにお命じになった。こ れが有名な「白紙還元の御諚」である。それまで東條首相は、先に決定した帝国国策遂行要領により、陛下も交渉不調の場合は戦争突入も已むなしと御理解遊ば されていると思っておった。謹厳実直な東條首相は、白紙還元の御諚を承り、顔面蒼白になって退出し、「たいへんだ陛下は戦争に反対であらせられる」と早速 閣議を開き、前の決定を白紙に戻して真剣に戦争回避の方策を検討し直した。
アメリカと戦争はしたくない。しかし無為に屈伏は出来ない。崖縁に追いつめられた日本に十一月二十六日、運命のハルノートが叩きつけられた。その内容は、今までの交渉を根底から覆す苛酷なものであった。
1、満州国を含む支那大陸、及び仏印から軍隊、警察の全面撤退。
2、大陸に於ける総ての権益の放棄。
3、三国同盟の廃棄。
要するに、既に建国十年を経て栄えている満州国をも放棄し、日清日露戦役以来国際法上認められてきた日本の諸権益も投げ出して大陸から出てゆけということ で、これは戦わずしてアメリカに屈伏せよというに等しく、到底日本が受け入れられないことを承知で突き付けてきたものである。これを受けた野村、栗栖両大 使は、茫然として答える術がなく、この電報を受取った東條首相以下政府軍部首脳は、万事休すと天を仰いで慨嘆した。後の東京裁判でインドのパール判事が 「このような苛酷な要求を突きつけられたならば、地中海の小国モナコと雖も銃を執って立ち上がるだろう」と言ったことは、今ではこれを知らない者はいな い。これが事実上の宣戦布告であったのだ。
以上 ウィキペディアに記述されているハルノートの解説です。
当時、ヨーロッパでは、ナチスドイツの攻撃激しく、イギリスはアメリカに参戦援助を求めていました。アメリカは反戦気分が強く、ルーズベルト大統領は、参戦したくても、議会の承認を得られない状態でした。
日本がアメリカを攻撃すれば、反戦気分は払拭され、晴れて参戦出来ると、考えたのです。日本の実力など大したことはない。戦争になってもすぐ片付くとも考えていたのです。
アメリカは、日本軍の無線暗号も解読しており、ハワイ・真珠湾攻撃を準備しておることも分かっていたのに、ハワイ海軍には一切伝えず、防御対策も取らせず、日本の攻撃を待ったのです。
日本が戦争を始めた。日本軍部が悪い。大陸を植民地にした。と民主党・マスコミは戦争の原因は、100%日本にあり、連合国側には一切ないという、戦勝国史観を認め、戦後70年記念として悲惨な戦争体験を報道し続けています。戦争の原因は、両者にあります。近現代史を勉強しましょう。
先生の いないイジメは 勝ったもの勝ち    ハルノート 日本抹殺 目的だ