朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

お迎えが来ない

2015-10-20 16:06:59 | 21世紀
お迎えが来ない
2015/10/21
 私の祖父、十七は94才で亡くなりました。90才迄、現役で仕事をしていました。90才の時、84才の祖母がなくなり、それを機に、全部の仕事を譲り、家にいましたが、「お迎えが来ない」が口癖になりました。もうすることはしてしまった、という雰囲気でした。
 私は77才で、引退を余儀なくされました。しかし、まだ、祖父のようにお迎えを待つ気持ちではありません。どう違うのか? と考えていて、案外、透析になり、時間が取られることが影響しているようです。
 月・水・金の午後5時間ずつ病院のベッド、日曜日の午前中のロルフィング通い、したいことをする時間が少なく、火・木・土に予定することが多く、1週間を短く感じているからだろう?とも考えます。
 また、祖父のように、することはしてしまった、などと言う気持ちは全く感じず。ロルフィングの成果が出て、歩けるようになると、何かやりたいという気持ちもあります。77才と言っても、昔の老人を想像するとまだ55才程度で、定年前だ、と言う感じです。
 旅行や外食も出来ず、自動車運転も夜間は出来ないので、生活範囲は狭くなりましたが、読書・テレビ・インターネットで、自分の興味を満足させ、それらの事を、このブログに書いて発信していると、毎日、充実した気分でもあります。
 リハビリ散歩(乳母車的押し車を押しながら)を時々しますが、痛みがあるので中々毎日とは行きません。ロルフィングでずいぶん調子はよくなりましたが、来春くらいには、継続的に出来るだろうと、気長く考えています。
 お迎えが来ないという感じは、家族の死亡による喪失感からくる気もします。
 家族の健康にも、心を配り、一緒にいることは、生甲斐になりそうです。
 男やもめは早死にする、と言われます。ご主人を亡くされた奥さんは、長生きし、生活を楽しんでいるという話も良く聞きます。
 歴史の本を読んでいると、非業の死を遂げた人が多く居ます。南米諸国では、スペインの植民地にされ、現地人男性は殆ど殺され、混血人の世界になりました。言葉も奪われ、スペイン語・ポルトガル語が国語になりました。アメリカではインディアンは殺され、白人の国になりました。我々日本人が、植民地にされず日本人として生きているのは、奇跡のようです。生甲斐を持って活動し、「お迎えが来ない」と愚痴をこぼすことはしたくないですね。
 同級生も沢山亡くなられました。強い親分で、社会的にも成功した人が早く亡くなられるのは、悔しかっただろうと感じます。お迎えは運命とも考えられますが、今考えると、それだけストレスが大きかったのだろうと思います。色んな障害があっても、それを、ストレスと感じず、次善の道を選ぶような生き方が、早死にしない方法かもしれません。 先日、毎日新聞に97才の中曽根元首相が、戦後70年の記事を投稿していました。老衰の影など、どこにもありませんでした。彼はストレスを受け流した人なんでしょう? 自信に満ちあふれ、ほれぼれする姿でした。
 神に無視され お迎えないのは 馬鹿かいな    非業の死 乗り越えた先の お迎えだ