うなぎ
2012/08/03
うなぎの子供(シラス)が世界的不漁で価格高騰、日本はアフリカ・インドネシアなどからも輸入するので、アメリカでは、うなぎを絶滅危惧種に指定し輸出制限などの規制を提案しているそうです。
テレビドラマ「剣客商売」では小兵衛が自宅周りの小川で仕掛けたうなぎ籠には、毎日一つに一匹入っています。
池波正太郎の書くことですから嘘ではない。昔はうなぎは普通に沢山いたのでしょう。
シラスを取って養殖場で飼うものが多く、自然に生きるうなぎが減って親になるうなぎが少なくなり、少子化になるのも当たり前の事と感じます。
そのうち、うなぎの黄体ホルモンや卵巣ホルモンなど研究されて、国内で孵化できるようになるでしょうが、可哀そうな気もします。
ニシンも子供の数の子を人間が食べるので、親ニシンの大群などなくなってしまい、歌謡曲の中で「あれからニシンは何処へ行ったやら」と歌われるだけで、今では殆ど輸入物のようです。
私はうなぎで、腹を壊し3日ほど寝込んだことがあります。小学生のころ河内貯水池に花見に行き、そこで採れたうなぎ料理の店で昼食でした。大きなうなぎのかば焼きで普通の2倍以上の大きさと厚みがありました。脂が多くそんなにおいしくなく半分残したのですが、その夜から腹痛で、うなぎは絶対食わないと思ったことでした。今考えると、大きすぎて火の通りが悪く黴菌が生きていたのでしょう?
インドネシアにいた時、うなぎはいましたが、「川の魚は絶対喰うな」と禁止され、海の魚も南洋ではエンゼルフィッシュのような魚のフライしか食べたことはありません。川の魚にはナマズの大きいものなど気持ちの悪いものばかりでした。川の上に張り出したトイレで用を足していると、固形物が落ちると大きな魚が、それを食べに来ていました。
佐伯泰英の時代小説「居眠り磐音 江戸双紙」でも浪人磐音の職業はうなぎかば焼き屋のうなぎ開きの職人でした。白焼きが上品とされているようでお屋敷への出前は白焼きが多かったですね。江戸の運河にはうなぎが多く居たようでうなぎ採りは子供の仕事とされていたようです。
うなぎ料理は現在は、高価な高級料理に分類されるようですが、江戸時代の感覚は庶民のB級グルメの範疇でしょう?柳川のうなぎせいろ蒸しが、私は最高と思います。ご飯にも良く味が染みて山椒の香りがぴったりです。今年は水害で駄目になったかな? 様子を見て行って見よう。
2012/08/03
うなぎの子供(シラス)が世界的不漁で価格高騰、日本はアフリカ・インドネシアなどからも輸入するので、アメリカでは、うなぎを絶滅危惧種に指定し輸出制限などの規制を提案しているそうです。
テレビドラマ「剣客商売」では小兵衛が自宅周りの小川で仕掛けたうなぎ籠には、毎日一つに一匹入っています。
池波正太郎の書くことですから嘘ではない。昔はうなぎは普通に沢山いたのでしょう。
シラスを取って養殖場で飼うものが多く、自然に生きるうなぎが減って親になるうなぎが少なくなり、少子化になるのも当たり前の事と感じます。
そのうち、うなぎの黄体ホルモンや卵巣ホルモンなど研究されて、国内で孵化できるようになるでしょうが、可哀そうな気もします。
ニシンも子供の数の子を人間が食べるので、親ニシンの大群などなくなってしまい、歌謡曲の中で「あれからニシンは何処へ行ったやら」と歌われるだけで、今では殆ど輸入物のようです。
私はうなぎで、腹を壊し3日ほど寝込んだことがあります。小学生のころ河内貯水池に花見に行き、そこで採れたうなぎ料理の店で昼食でした。大きなうなぎのかば焼きで普通の2倍以上の大きさと厚みがありました。脂が多くそんなにおいしくなく半分残したのですが、その夜から腹痛で、うなぎは絶対食わないと思ったことでした。今考えると、大きすぎて火の通りが悪く黴菌が生きていたのでしょう?
インドネシアにいた時、うなぎはいましたが、「川の魚は絶対喰うな」と禁止され、海の魚も南洋ではエンゼルフィッシュのような魚のフライしか食べたことはありません。川の魚にはナマズの大きいものなど気持ちの悪いものばかりでした。川の上に張り出したトイレで用を足していると、固形物が落ちると大きな魚が、それを食べに来ていました。
佐伯泰英の時代小説「居眠り磐音 江戸双紙」でも浪人磐音の職業はうなぎかば焼き屋のうなぎ開きの職人でした。白焼きが上品とされているようでお屋敷への出前は白焼きが多かったですね。江戸の運河にはうなぎが多く居たようでうなぎ採りは子供の仕事とされていたようです。
うなぎ料理は現在は、高価な高級料理に分類されるようですが、江戸時代の感覚は庶民のB級グルメの範疇でしょう?柳川のうなぎせいろ蒸しが、私は最高と思います。ご飯にも良く味が染みて山椒の香りがぴったりです。今年は水害で駄目になったかな? 様子を見て行って見よう。