我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

田中角栄

2010年04月06日 | 政治家
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田中角栄【政治家】1918 ~ 1993 田中角栄 政治家

 

 

田中 角榮(たなか かくえい)
1918年(大正7年)54日 -
1993年(平成5年)1216日)満75歳没

衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第33代)、内閣総理大臣(第64・65代)などを歴任した。 

 

2019 10 18 土建屋政治【わが郷】 土建屋政治 わが郷

 

 

マスコミなどの記事

2011 12 22  日中国交正常化(昭和47年) 日本の軍国主義復活懸念 【産経】

 

2013 06 06 国賊 【わが郷・政治】それが実際に田中内閣は、1971年に支那と国交を回復させてしまった。
それが実際に田中内閣は、1971年に支那と国交を回復させてしまった。

 

1972年 (昭和47年)

5月 - 佐藤派から田中派が分離独立。
6月 - 「日本列島改造論」を発表。
7月5日 - 佐藤栄作が支持した福田赳夫を破り自由民主党総裁に当選。
7月6日 - 第1次田中内閣が成立。初の大正生まれの首相であり史上初の新潟県出身の首相である。各種機関の内閣支持率調査で70%前後の支持を集める。なお、田中の次の大正生まれの首相は5代後の中曽根康弘。

 
 首相在任時  1972年 (昭和47年)

9月 - 日米首脳会談後に中華人民共和国を訪問。首都北京で周恩来首相や毛沢東国家主席と会談。9月29日、両国の共同声明により日中国交正常化が実現し、日華平和条約の終了を確認。この際、田中角栄は周恩来から一枚の色紙を渡され喜んでいる写真が新聞に掲載された。色紙の言葉は「言必信行必果」と書かれてあった。しかし、この言葉は『論語』から引用したもので、この言葉のあとに「硜硜然小人哉」と続く、この記事を見て昭和の碩学・安岡正篤は、この言葉の意味も知らないで喜んでいる田中角栄を見て、同氏の教養のなさと中国のしたたかさを周りの人にと指摘したと言われる。諸橋轍次著『中国古典名言辞典』「講談社」では、「その言葉は必ず真実であり、やるべきことは必ずやりとげる。それは士として持つべき資質だ。しかしながら、もしそれだけの人だとしたら、人間として小さい」と訳されている。同日、中華民国が対日国交断絶を発表。
12月 - 第33回総選挙。自由民主党過半数確保も議席減、日本共産党が躍進。12月22日、第2次田中内閣発足で挙党一致体制へ。 

Wikipedia より抜粋

 

 

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狐の嫁入り、雨 利加の あわい夢  同床異夢

2010年04月06日 | 経済

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どうも

民主党の「コンクリートから人へ」の言葉には、嘘が隠されていたようです。

無駄なダム工事でも、小沢幹事長なら遣りかねません。

国民を騙して、国益を損ねたのは、自公政権だけでは ありませんでした。

財政出動は 「むだなダム工事」 のようなものが具体例です。一部の利権業界は潤しますが、その範囲は 政党や政治家の 利権の関連内で、政治腐敗の 温床です。

民主党の小沢幹事長は、沖縄の辺野古の近くに土地を買っていました。県外移設も口から出任せで、本心は「日米合意」の辺野古案だったのでしょう。

沖縄の海を眺めてオムライス ときどき釣り

 

自民がコケて、民主党も地金がみえてきました。

鳩山由紀夫はブリジストンのような巨大企業の利益を代弁し、小沢一郎は田中政治そのまま旧態依然の土建屋政治です。カネによる政治は公共事業にまつわる、キックバックや賄賂だけではありません。グローバリズム経済のもとでは、世界金融の欺瞞性に 切り込む必要があります。ふつうの経済活動で生み出す富の世界とは 別の現実が 其処にはあるのです。

「アメリカFRBベースマネーの推移」をみてみれば、金融危機の前は「0.8兆ドル」それが危機以降では「1.8兆ドル」にまでも爆発的に増加させられています。その差は1兆ドルつまり邦貨にしてみれば、およそ90兆円です。日本の国家予算の1年分です。

FRB(米国連邦準備制度理事会 )の輪転機が唸りをあげて刷り散らかしたドル紙幣の山です。

現在の世界は実際は、貴族社会のようなものです

世界金融貴族は、通貨(基軸通貨=ドル)の発行権利をもっています。

今回の金融危機では、日本円換算で約90兆円のドルを印刷しました。正確な表現では「信用創造」を行いました。私たち一般人は額に汗して働くか、アタマを搾って働いてお金を稼ぎます。しかし通貨の番人であるFRBはドルを印刷すれば良いのです。実際は現物のドルは印刷もしません。「信用創造」を行ってそれをアメリカ政府なり、市中の銀行に貸し付ける「書類」を作ればよいだけのこと。

それでこの2~3年のうちに、90兆円を稼いだのです。

 


   アメリカFRBベースマネーの推移 01年-09年(単位:百万ドル)

出典 http://www.gci-klug.jp/mitsuhashi/2009/09/01/006629.php

サブプライムなどのインチキ商品を売りつけて、実物経済から「余剰資本 」を吸い上げました。いいかえれば、年貢を納めさせたわけです。
そしてこれは、徴税ではありませんから、インチキ債権を買った者達は、あとで自国通貨に換金出来るものと信じ込まされて買ったのです。ところがそれは大きく減価してしまいました。あるいは様々な事情で換金不能に陥っています。つまり「世界金融貴族」たちは詐欺的な言辞で、『徴税』を行っていたのです。彼らはだいたい20年あたりの周期で、好況と不況の波をつくります。これはゼネレーション・ギャップを狙ってのことです。世代が交代すれば過去の記憶は無くなります。前の世代を騙しておいて、次の子供の世代で巻き上げるのです。

 

中江滋樹 の名を知っている人は もうかなりの年齢です。

1985年の逮捕の前日には、豊田商事の  永野一男会長が刺殺される事件があった。中江も殺されるのでは無かろうかと心配になった。それで駆け込み逮捕となったとの説があります。

 

あと3年半は 民主党が衆議院では優勢のままです。参議院で過半数を与えれば、彼らは 暴走がとまりません。 『学級崩壊』の後は『民主暴走連合』の暴走・爆音と手当たり次第の 暴力的な破壊です。日本の当たり前の秩序が壊されます。それを防ぐには、当て馬、自民党を民主党と戦わせれば、よいのです。彼らは国民にいい格好を見せねばなりません。「みんなの党」はすでにスタンバっています。あとは保守本流? の出番です。

 

「沖縄普天間基地の国外移転」は、日本が自立するための一里塚です。これを言わせた沖縄の戦いは応援します。本当は自衛隊の拡充も言いたいのですが、前進するには一歩まえに出ることです。
 
刀掛には 模造刀

日本全体の問題は 経済の落ちこみを回復することです。支那などから安すぎる人件費で作られた 商品を輸入したために、日本の零細な企業は 大打撃を受けました。ある意味では「国際分業」も意味があります。しかし急激に行えば、副作用のほうが大きくかえって日本経済の害になりました。

銀行金融は お天気にカサを貸して、雨の日には「傘(借金)」を返せといいます

ここ2~3年のアメリカ金融と自動車産業の惨状を見てきた人たちには、「国際金融」と自称する金貸し達のやり口を理解しました。

金貸しは不良債権処理がめんどうなので、株などの自己責任の金融取引で、実体経済の資金循環を画策しました。これだと株価の下落やその他で、投資家が損をしても、関係した證券金融業者は 責任がありません。しかし株の取引自体が壮大なるインチキだと、世間に知れてしまえば、信用は一気にクラッシュしてしまいます。(狐の紙幣を貸し付けて好況をつくり。信用不安が生ずればヤクザ用心棒を引き連れて、債権回収です。ですから不況でもかれらは儲かるのです)

2年前には20ドルだったモノが、1ドルにまで値を下げて、今では5ドル近辺だそうです。アメリカ金融のシティバンクの株価です。(これが彼らの落ち目の「信用」の現実です。)
 http://www.kabucfd.com/cat0003/1000000016.html


パチンコや競馬で儲ける人もいますが、損する人がほとんどでしょう。でなければギャンブルの運営経費が出ません。損なことは理性では知っていても、止められないのが「中毒」の恐ろしさ。

巨大企業や中央官庁の幹部クラスになれば、高給をもらいます。それで株などの金融ギャンブルの中毒になる人も出てきます。アメリカはシリコンバレーから始まった、フィーバーが今でも続いています。


自称「国際金融」の創りも作ったり、「信用創造」の90兆円。これが謂わば、パチンコの玉です。株に填った日米欧の小金持ちは、せっせと「金融・株式パチンコ」に中毒です。

FRB狐の描いた1.8兆ドルのノートの上で、踊らされています。

余分なお金があったなら、まずは家屋敷を構えましょう。

次には、旅行や美味しいモノを食べましょう。

それでもお金が余ったら、美術品でも買いましょう。

株式などの狐の紙幣をながめているより、まともです。

 

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アクセスの記録  2010.04.05(月)    1135  PV     345  IP     2524 位  /  1391074ブログ

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田中 茂

2010年04月06日 | 政治家

 

田中 茂【政治家】 田中 茂 政治家

 

 

田中 茂


田中 茂(たなか しげる、19571127日 - )
日本の政治家。参議院議員(1期)。

日韓協力委員会理事、財団法人勤労青少年協会理事
アジア太平洋議員フォーラム (APPF) 名誉会長・中曽根康弘 補佐役
(財)こども教育支援財団評議員。
アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハ市名誉市民。
(Wikipedia)

 

 

 

佐賀県武雄市出身[2]。武雄市立武雄小学校、武雄市立武雄中学校、佐賀県立武雄高等学校、クレイトン大学教養学部政治学科を経て、株式会社東急エージェンシーに入社。

1985年4月より、中曽根康弘(第71代〜第73代内閣総理大臣)の秘書、公設第一秘書、政策秘書を務める[要出典]。

2010年7月、第23回参議院議員通常選挙にみんなの党公認で比例区から立候補。

2011年11月より、アジア太平洋ネットワークフォーラムを設立、代表理事を務める。

参議院議員藤巻幸夫の死去に伴い、第23回参議院議員通常選挙におけるみんなの党比例区名簿にて、藤巻に次ぐ順位に記載されていた田中を繰り上げ当選とすることが、2014年3月28日に行われた中央選挙管理会の選挙会で決定した[3]。同月31日に当選の旨が告示され[1]、参議院議員に就任した。

2014年11月、みんなの党が解党する。同年12月、参議院会派日本を元気にする会の設立に参加する。

2015年1月、政党日本を元気にする会の設立には加わらず、無所属となる。ただし、参議院会派は、日本を元気にする会・無所属会に所属している[4]。

 

 

 

 

 

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メモ

2010年04月06日 | その他

資本剰余金  

 

 

 

2010年月日配信

  記事の紹介(抄出)です。

☆★

  記事の紹介(抄出)終わりです。

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被爆マリア像“初訪米”へ NPT会議に合わせ

2010年04月06日 | 記事紹介

長崎新聞 龍~なが

http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20100406/03.shtml 

2010年4月6日配信

  記事の紹介です。

被爆マリア像“初訪米”へ NPT会議に合わせ


NPT再検討会議に合わせ米国を
訪れることになった被爆マリア像

カトリック長崎大司教区の高見三明大司教は5日、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ、今月末から5月上旬にかけ、浦上天主堂の「被爆マリア像」を米国に持参し、平和のメッセージを発信する考えを明らかにした。被爆マリア像が原爆投下国である米国に行くのは初めて。

 高見大司教とカトリック広島教区の三末篤実司教は2月、被爆地の司教として連名で米国のオバマ大統領、日本政府、各国の指導者あてに核兵器廃絶への努力を求める要請文を送付。国連の日本政府関係者の目に留まり、訪米の打診があったという。

 高見大司教ら大司教区の一行32人は今月20日から、1937年にスペインの内戦でドイツ軍による無差別爆撃が行われたゲルニカを被爆マリア像を携えて訪問。大司教は一行と離れ、30日に米国ニューヨーク入りし、現地の教会でミサを行ったり、カトリックの国際的な平和運動団体の会合に参加する予定。国連の潘基文(バン・キムン)事務総長や再検討会議議長との面会に向け、日程を調整しているという。5月7日に帰国予定。

 高見大司教は「核兵器は無意味で愚かなこと。抑止力といいながら、住民の不安をあおっているだけだと訴えたい。大きなことができるか分からないが、被爆マリア像の力を借りてアピールできればいい」と話した。

 【編注】高見三明大司教の高は、口が目の上と下の横棒なし

  記事の紹介終わりです。

 

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