そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

哲学者・池田晶子

2014年02月08日 | 字余り

2014/02/08

今日の読売新聞の『五郎ワールド』に<永遠の「哲学の巫女」>と題してコラムが載った。内容は哲学者の池田晶子のことを取り上げている。池田さんは哲学をしているわりには滅法な美人である。その美人がうつむきながら目線だけ上目使いの写真が載っていた。 美人のことはともかく、五郎さんの文章は、池田晶子さんのことを「生涯を賭して自分で考えることの大切さ、言葉の重要さを説き続けました」と説明しています。
さらに一度だけ会っていて、政治部長時代に「21世紀に向けて政治を問う」というテーマでインタビューをしたときのこと。当の池田さんから「わたしの寝言を正確に読み取ってくれた」と誉めていただいたことを紹介。
最後は大峯顕(大阪大学名誉教授)さんと池田さんの交流を紹介している。池田さんの口癖が「自分にはいのち根性がない」、「私、死ぬのを怖いと思ったことがない」に関わることで、『いのち根性がない』についてである。池田さんは亡くなる4カ月前に、大峯さんに手紙を書いており、その内容に大峯さんはおおいに喜んだらしい。いのち根性がない、ことに回答を見出だした池田の報告が書かれていた。「池田晶子の長い旋回はついにその最終的な局面に入っていたに違いない」と思ったそうだ。
五郎さんは、最後は仙崖義梵という禅坊主の辞世の色紙に「死にとうない」というエピソードでしめくくっている。

******池田さんからの大嶺さんへの手紙の一部********* 
相変わらず厄介な病気を抱えておりまして、日々、剣が峰を歩いております。が、それは本来の人間の在りようなのだから、ちょうどいい修行だと腹をくくっております。
ひとつ気がついたのは、例の"いのち根性がない"ということ、生きようとするのは執着なのだと私はずっと思っていたのですが、どうもそうではないようですね。人が生きようとするのは意志、生命本来の意志として肯定さるべきことのようなのです。 

コメント
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