goo blog サービス終了のお知らせ 

そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

藤原為相の真柴・椎柴

2009年11月25日 | 日めくり帖
11/25
「山陰にふるやあられの声々をこたへてさやぐ真柴椎柴(藤原為相)」
「為相は鎌倉後期の歌人なり定家の孫で冷泉家の祖()」
「言葉から音が聞こえて来るはよし真柴椎柴ガサッと音たつ()」
「いやちがう雪ではなくて霰とか打たれてはっばパサパサ言うか()」

万葉集#5.0813-5.0814

2009年11月25日 |  / 万葉集
11/25
「九州のとある丘にあるという懐石を憶良が読める
(山上臣憶良が鎮懐石を詠める歌一首、また、短歌)」
「憶良詠む石にまつわる物語神功皇后絡んでいたり
(筑前国怡土郡イトノコホリ深江村子負原コフノハラ、海に臨ソひたる
丘の上に二の石有り。大きなるは長さ一尺ヒトサカマリ二寸フタキ
六分ムキダ、囲ウダき一尺八寸ヤキ六分、重さ十八斤トヲマリムハカリ
五両イツコロ。小さきは長さ一尺一寸、囲き一尺八寸、重さ十六斤十両。
並皆ミナ楕円にして状鶏の子の如し。其の美好ウルハシきこと、勝アへて
 論ふベからず。所謂径尺璧これなり 或は云く、此の二の石は肥前国彼杵郡
 平敷の石にして、占に当りて取ると。深江の駅家を去ること二十許
 里ハタサトバカリ、近く路頭在り。公私の往来、馬より下りて跪
 拝ヲロガまざるは莫し。古老相伝へて曰く、往者イニシヘ
 息長足日女オキナガタラシヒメの命、新羅の国を征討コトムケたまひし時、
 茲の両の石を用モチて御袖の中に挿著サシハサみたまひて、以て鎮懐と
 為したまふと 実はこれ御裳の中なり。所以カレ行人ミチユキヒト此の石を
 敬拝すといへり。乃ち歌よみすらく、)」

「1.あるところ海を臨める丘の上いわくありげな石のありけれ()」
「2.その二石楕円で鶏の卵形その美しさ言語を絶す()」
「3.古老言う元々肥後の石なれどここに持ち来て尊拝仰ぐ()」
「4.また伝う神功皇后新羅にと出兵するに懐に石()」
「5.この石をかく言い人は尊拝し乃ち歌をよみたまう()」
「6.尺寸や斤・両などと既にもう長さ重さの概念はあり()」
「かけまくは あやに畏し 足日女タラシヒメ 神の命 韓国カラクニを向け
平らげて 御心を鎮めたまふとい取らして斎イハひたまひし真玉なす
二つの石を世の人に示したまひて万代に言ひ継ぐがねと海ワタの底
沖つ深江の海上ウナカミの子負の原に御手づから置かしたまひて神ながら
神さびいます奇御魂クシミタマ今の現ヲツツに貴きろかも(#5.0813)」
「足日女タラシヒメ伝説多く実もありて人気もありし人柄偲ぶ()」
「天地のともに久しく言ひ継げとこの奇御魂敷かしけらしも(#5.0814)」
「天も地も共に言い継げ永遠に足らしの命治めたまわん()」
「この話伝えていうは蓑島の建部牛麻呂タテベノウシマロいう人らしい
(右ノ事伝ヘ言フハ、那珂郡伊知郷蓑島ノ人、建部牛麻呂タテベノウシマロナリ。)」

万葉集#5.0812

2009年11月25日 |  / 万葉集
11/25
「言問はぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴地ツチに置かめやも
(#5.0812 中衛大将藤原の卿の報へたまふ歌一首)」
「もの言わぬ木ではあっても弾き慣れたあなたの琴を粗末にしない()」
「房前の返事は誠意感じられ人間的によき人とみる
(跪きて芳音を承はる。嘉懽交コモゴモ深し。乃ち龍門の恩復た蓬身の上に
厚きことを知りぬ。恋望殊念、常心に百倍す。謹みて白雲の什に和へて、
野鄙の歌を奏タテマツる。房前謹状。)」
「太宰府に帰る使いは百代なり謙遜しつつ歌を返すと
(十一月八日、還る使大監オホキマツリゴトヒトに附けて、謹みて尊門記室に
通タテマツる。)」