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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

古代再発見( 上田正昭著)

2013年09月15日 | 字余り

2013/09/16

上田正昭さんが『古代史再発見』という本の中で『折口信夫と朝鮮』という文章を書いている。
その冒頭を、『古代を追体験することは、言うにやすく行うに難い。まして死せる古代でなく、生ける古代と対面することは、さらにむずかしい。ひたすらに古代関係の資料や遺物・遺跡あるいは金石文や木簡などを分析しても、よほどの史心がないと、生ける古代はよみがえってはこない。』と書き出している。このあと、古代を追体験し、生きた古代史を追求した人として折口をあげている。その折口をして朝鮮は・・・と続くのだが、これらは、プロ仕様のアプローチだが、われわれアマチュアは、違うアプローチをすることになるのだろう。上田氏が言うように生きた古代史を実現した人としてあげている折口信夫の著作を読むことにより間接的に古代史の追体験、生きた古代史を学ぶことができるのだろう。ただ、その折口はいずれにしても超人的な仕事をした人であるから、本を読むことだけでも困難がともなう。


和田誠さん

2013年09月02日 | 字余り

2013/09/02

和田誠 かれの作品 気にかかる あの線見れば わたしにも 描けそうなほど 簡単で 無防備なれど 考えりゃ なんでもかでも あの線で 片付けたるは 難しき ことと思えど よくやれる 本の表紙や 挿し絵など 拝見しても ぐぐっと来る 感動などは 起こらぬも 拍子抜けたる 思いする どこからこの線 来るのかと 顔を見たれば 重厚も 肉声聞かず 人柄が よくわからぬも なんとなく 羨ましきか 人脈に 丸谷才一・三谷とか 村上春樹も イラストを 本の各所に 配したり 最近話題は 息子なる 和田唱さんが 音楽で 名を馳せ 親を語りたり 中味ともかく 母親は あの賑やかな 平野レミ 授業参観 来たときも イェーと 声かけ 目立てると ぼやきたるけど いい家庭 こんな母なる 平野レミ 御せる旦那が 和田誠 どんな旦那か わからずも 超くせ者と 感じたり 彼の画筆を 思えれば 底に深慮が 横たわる 一筆描きの ような線 先をみなけりゃ 描けません さてさて二人の 結婚は 男が女に 完全に パンチ食らわせ 沈めたり 結婚された ときなども ついこの前と 思えども 40年足らずが 既にたち 旦那も既に 72才 画業ますます お盛んで レミさんますます お若くて 昔のままの おしゃべりで 回りに 元気振り撒ける うらやましいが 爪の垢 煎じようとは 思わない ただ寡黙なる 和田誠 ちょっと知りたく 彼の本 図書館で借り 読んでみんかな


夏休み最後の日の日

2013年08月31日 | 字余り

8/31
八月も 晦日になりて 台風が 訪れたるも なんとなく 熱帯低気圧に 変わりたり 先週降りし 大雨は 排水施設も 処理できぬ 集中豪雨と なりました それから以後は 涼しくて ついこの前の 熱帯夜 どこかに行って 秋らしく 布団をかぶり 寝ることも できるくらいに 冷えてくる われが通える 三ノ宮 センター街の 壁にある 温度計でも 秋示す 秋になれれば われもまた 江分利満氏に なりまして 毎日休みの 身になれる ぼやっとイメージ 持ちたれど いまだ深くは 考えず 計画たてぬも ありえるが いやいやあかん 計画は 立てるべきだと 迷いたり よくも悪くも われわれは 長く仕える 習性で 時代のやり方 適用し 計画つくりを まずしたり しかし思える 自由とは とらわれないが 基本なり 計画作れば 縛られる ゆるく考え 肝だけを 覚えて実行 するように ただ今のとこ 思うところも ないもので とりあえずは軽く 歩ければ いいかなと思う 夏の終わりに・・・・・・


二度と起こしません

2013年08月27日 | 字余り

8/27

お地蔵さん われはなぜだか 親しみを まえから持てり お姿に われの菩提寺 生蓮寺 まつる本尊 昔から 地蔵菩薩 と言い伝う われら子供は それよりも 地蔵堂ある 池に立つ ブロンズ姿の 地蔵さま 優しい眼で 子供らが 遊ぶ姿を 見守れり その子供らも 今は老い 天国地獄 召されるも 少しはいるが 最近は 医療が発達 長生きが 増えてきたれど そのうちに やがては来ると 死を思えど なかなか覚悟は できぬなり われが三途の 川にいき 六文銭を数えれば 横では 幼き男の子・女の子らが 歌いおり 賽の河原で 小石積み 『ひとつ積んでは父恋し、二つ積んでは母恋し』 そこに出てきて 石のやま 蹴散らかしては 子供追い 泣き叫べるを なぜ死んだ 父母より先に 死ぬなんて なんて悪行 したるかと 怒鳴り散らせる その時に 子供の味方の 地蔵さま 現れ子供を 懐に かくまい助ける ことをする ただこのことは これからも 未来永劫 続きたり 子供石積み 鬼がきて 石壊せれば 地蔵来る この繰り返し 続けれど 抜本的な 対策を 鬼より怖い 怪物の 教育ママは 求めれど できないものは できぬなり 鬼より強い あなたなら 地蔵の代わりに 鬼退治 できるか知れず やってみな つい言いたけれ ママゴンに 言うてはみるが 無駄ならば 捨て置く他に 道はなし そこを最近 声あらげ 無理を通すが 多くいて 変な世の中 なりにけり 正義ももっと 声だかに やれるものなら やってみろ 捨てセリフなど はきたけれ 『二度と起こさぬ』 ことなどは 人のすること いつかまた 繰り返すなり 諦めて 『二度と起こさぬ ことできぬ』 きっぱり断言 すればいい 起こさぬように するために 前段にある 行動を 少し変えたり そのことを 常に意識を するならば 避けられるかも 知れぬなり いつそれを やるのかと 聞かれりゃ 今よ今しなければ いつするの 常に起こさぬ 意識もち 習慣化して 起こる原因 排除すりゃ 意識も やがて無意識に なればめでたし 構造と して原因が 除かれた レベルに至る そのシステムは


数を数える

2013年08月24日 | 字余り

2013/08/24

幼きにお風呂に入りて五十まで数え終われば出てよいと言われて必死に数えれど途中で間違い振り出しにまた最初から数を読むこんな営なみしながらもわれらは数を覚えたり十・百・千・万…と桁上がりあるのを覚えて足し算や掛け算操作も学びたりわたしは九九を婆さんに教えてもらう夕飯の支度をしたる婆さんの背中に向かい九九を投げ今でも記憶に九九の表四角に斜めの線を引き対称形を利用して数入れ換えて覚えたりたまたまわれはこのような数との関わり苦ではなく算数好きの子であった記憶は確かでないけれど小学五年の頃なりし植木算とか列車算極みは鶴亀算で足の数だましのような計算をあきらめないでやる努力自慢じゃないがやりましたそんな自信を引っ提げて中学生になったとき数学と呼び代数や幾何を学べり代数はわりと気性に合いたるかわからん数をXとおいて解きたる方法はわれに感動もたらすも幾何のやり方ことなれるイメージ広げ補助線を引いて劇的解決を図る楽しさありたるも浄化作用はたまにしかおりてはこないそれよりもてこずることが多かりしなぜてこずるかだんだんと関係複雑順を追い積み上げること必要でこの精緻さが数学に要求される凡人は極みにいたらす挫折するただ天才も自信もち先に進めど道がなく倒れたることあるという真理なるもの残酷で真理じゃないと言い放ち人を狂わせ死にいたらしむ(こともある)