2014/01/31
先日、阿川佐和子さんの番組「サワコの朝」に吉行和子さん(78才)が出演されていた。一ファンとして録画をしていて時々見ている。思い出に残っている好きな歌には、ジュリーの<時の過ぎゆくままに>をあげていた。何がいいかと言うと、ダラーッとしているところがいいそうである。二曲目は最近聴いて元気になる曲としてゴールデンボンバーの<女々しくて>をあげておられた。理由は元気のおすそわけにあづかれそうだと言うことらしい。
話は母あぐりさん(もうすぐ107才になるらしい)の近況とか、自身の結婚経験(4年間くらい)とか、男と旅行に行ったことがない、とか話していた。少しシリアスな話としては自分が死んだとき他人に迷惑をかけたくないので、身辺整理をしておきたい。以前遺書を書いてポケットにいれておいたが、そのまま洗濯に出したとのこと。去年書き直したかったが忙しくてできなかった。今年は是非やりたいと話していた。身辺整理はシュレッダーを買ってきて写真などもよほどのものでない限り、残さない。思い出も、記録もバサバサ棄てるとのこと。長生きしそうな予感があり、もし長生きしたら、具体的には九十才になり、舞台にたてる元気があり、セリフを覚えられるようなら舞台をやることが目標らしい。最近、テレビドラマにも、お母さん役・おばあさん役でよく出られている。吉永小百合さんもいいがわたしは吉行和子さんがいい。
この放送のあとに、以前出された本(『ひとり語り 女優というものは』)の文庫版が出ていて、買った(『浮かれ上手のはなし下手』に改題)。家族の色々なことが話されていて楽しく読ましてもらっている。一時期あぐりさんが再婚をして辻和子という時期があったということに親しみを感じた。妹理恵の本を読みたい。再読になるが、兄淳之介(大体読んでいると思う)の本を近いうちに読んでみたいと思うようになった。
12/27
H25.12.16の読売新聞の歌壇・俳壇から連句もどきをやりました。いつも二日で完成していたのですが今回は十日もかかりました。集中力がちょっと薄らいだ感じです。
今回ももってのほかという食用菊、白骨の御文が八十通もあったこと、などお勉強をさせてもらいました。
歌人・俳人には平にご容赦をお願いする次第である。それでは……
#01 これはこれはもってのほかのおもてなし
#02 足裏アウラやさしき落葉ふみゆく
#03 日に二便銀杏黄葉の停留所
#04 白骨の御文ことに身にしむ
#05 比良が嶺に雪こそ積れ翁の忌
#06 海に降る雪をふたり見に行く
#07 ただ海を見る十二月八日かな
#08 戦地の慰霊なせしレイテに
#09 零戦の残骸今に帰り花
#10 無住の寺にあきあかね飛ぶ
#11 わが声に蠢く納屋の秋の蛇
#12 巻きこまれたいそんなぐるぐる
#13 一本の草のまはりを冬の蝶
#14 まだまだ生きたい冬仕度する
#15 冬帽子妻の帽子に被せ置く
#16 越えきて夫に添ひつつ眠る
#17 大根の嫌ん馬鹿んと言ふ形
#18 大根白菜どの人も買ふ
#19 芥子菜を間引くそばより貰ひけり
#20 幼の小鼻ピクリと耐える
#21 七歳の七五三らしツンと来る
#22 未練うするる町ふりかへる
#23 秋ともし限界集落てふ故郷
#24 防護服なる白装束に
#25 織田作のふうらふうらと黒マント
#26 なつかしき人に会えたるように
#27 返り花呼び捨てのともしもうをらず
#28 耐えるのみとの言葉おもたく
#29 凩に雲千切れ飛ぶ夕間暮れ
#30 航海しているようなベランダ
#31 星冴ゆる宇宙にひとつわが命
#32 人と語らふことも絶えたり
#33 冬浅し散歩は犬に連れられて
#34 芋がら乾せば曇る日はなし
#35 冬といふふつくらとしたことばかな
#36 白いくつ下のたしかなぬくみ
12/16
読売新聞 2013年12月10日版の歌壇・俳壇から主に短歌の下の句7・7、俳句の5・7・5を連句もどきにつないだものである。
この作業には、おおよそ2日を要する。短歌や俳句の内容を何回も、何回も読み直す必要があり、連関を求める関係から、読み込みが必要である。これまで、短歌や俳句をこれほど読み込むことはなかったが、新聞紙に穴があくほど観賞する。この観賞させてもらうことに免じて短歌の下の句だけをピックアップする失礼をお許し願いたい。
連句というか36句の歌仙には、花の常座や月の常座とか、いろいろなルールがあるが、あまり細かいことを言っていると興がそがれるので気にしない。歌仙全体のトーンは、同じ日の歌壇・俳壇から取っているので、季節による統一はある程度出ていると思われる。
できに関しては、皆さんの判断にお任せするが、意見や批判は受け付けません。あしからず・・・
#01 網棚の松茸の香を持て余す
#02 弟が掘りし自然薯とどく
#03 吾掘りし芋が主役のおでんかな
#04 見おろす川原に芋煮の煙
#05 岩盤のあらはに川の涸れにけり
#06 客を渡してみてる夕焼け
#07 縄跳びの縄に追われて日は落ちる
#08 掛声かける母九十七
#09 湯湯婆の袋新調四人分
#10 寒さしのげと負はせくれたり
#11 頬かむりしたまま眠る祖父ありき
#12 父のごとくに胡坐して研ぐ
#13 蟷螂の足から枯れて立ちすくむ
#14 おさな子三人捕らわれている
#15 二番目の子の不満顔秋の薔薇
#16 見せゐるやうに散りゆく紅葉
#17 榠樝カリン落つどこにも所属せぬトポス
#18 住処をかこむ弔問の鳥
#19 小春日の差羽の遅き渡りかな
#20 鷺のすがたは五百羅漢に似る
#21 柿の渋抜く山頭火忌なりけり
#22 御墓しずかにをろがみてきぬ
#23 風立ちぬ行けども行けども銀芒
#24 想ひこがるる秋のたそがれ
#25 小津安二郎らしき人ゐる暮の秋
#26 島倉千代子の生涯思えば
#27 寒鯉の色とりどりに眠りをり
#28 木犀の香に濃淡のあり
#29 かりんとうの黒蜜厚く冬に入る
#30 ほのぼのすすむママ友ランチ
#31 ひらひらと人のこころの裏おもて
#32 障子の影がころころゆれる
#33 トタン打つは木の実なりけり日暮時
#34 紅葉まつりの騒音とどかず
#35 秋山にまたぎの如く分け入れる
#36 父は念入りに銃身磨く
2014/11/7
荷物を整理していて新聞の切り抜きが出てきた。それらをこれから読むかと言うとたぶん読まないだろう。しかしせっかく集めたから活用ができないかとは考えている。
話は変わるが最近連歌・俳諧に興味をもっている。やり始めるとなかなか面白い。正式なデビューがあるのかないのかもわからない。一人でやるのを独吟と言うがそんな実力はない。ふと、こんなことを思いついた。新聞の歌壇・俳壇から連句を繋いで歌仙にまとめられないか?俳句は5・7・5に使い、短歌を5・7・5か7・7に使う。リズムをよくするために一寸手を加えてもよいし、遣り句として自分の句を作ってもよい。花・月の上座とか、恋の呼び出しとか、四季の配置とか、細かいところは無視する。歌については、朝日新聞又は、読売新聞の40首、40句の80句・首からえらぶ。2紙購入したときは160句・首から選んでよい。試しにやってみたところ、二日ほどかかった。続けるためには根気がいるので、今後どうするかはわからない。
しかし、これをやると結構作品が読み込める。気持ちに余裕がある時にはやってみるのもいいかなと………
使った短歌・俳句は、2009年10月12日の朝日新聞の歌壇・俳壇から採ったものである。
連歌「馬肥ゆる」の巻
#01 馬肥ゆるわれのみならず愛妻も
#02 夫にパックするわが妻は
#03 男なんて女が去れば枯野なり
#04 飲めば寂しい秋の夕暮れ
#05 刈取機大海原を進みたる
#06 七五〇CCナナハンつれて十九歳ジユウクで逝けり
#07 今生の声の途絶えし秋の蝉
#08 樹木医の槌ひびく街路に
#09 天高し紙飛行機のパイロット
#10 高速道路の裏を見上げる
#11 一度だが藁菰背負ったダム現場
#12 甘酒饅頭二つ食らえり
#13 音たてて野分集まる最上川
#14 どどど どどどとリンゴを落とす
#15 どんぐりをぷちぷち踏みてゆく径は
#16 瑠璃色の濃く渡りの近し
#17 小鳥来て笑顔ばかりの故郷の母
#18 見ている媼を朝日が包む
#19 秋晴れや空気の先に空気あり
#20 月の船出づ絵本のごとき
#21 津和野てふ大きな絵本小鳥来る
#22 昏き器を近江と言へり
#23 子規の忌と念じつつ撞く三井の鐘
#24 円覚寺今どの坊も秋
#25 秋の風魂宿るときのあり
#26 火のごと燃えて風に吹かるる
#27 曼珠沙華まっかに燃えて寂かなり
#28 彼岸に早き墓にに詣でる
#29 人の世に踏みとどまりて敬老日
#30 言葉にならぬことば聴きおり
#31 さり気なく零すひと言露けしや
#32 ねえさんなんて呼べよおとうと
#33 弟の二人を送り残る亀
#34 看取りを終えてひととせ過ぎぬ
#35 島に生き島に父逝く星月夜
#36 明け方静かにかえりてゆきぬ
(終わり)
10/5
久しぶりに寒川猫持さんの「面目ないが」をパラパラ開いてみる。猫持さんの短歌はちょっと変わっていて読み出すと癖になる。文庫本の解説というか猫持評を「当世のますらおぶり」というタイトルで田辺聖子さんが書いている。お聖さんによると『詠んで愉しく、耳で聞いて娯しく、おぼえて口ずさめば尚いっそうたのしい、というふしぎな歌が、あちこちで目に止まり、それは、<ぴょい、ぴょい>と、飛びはねている、という印象であった。』とあるが、実際の歌を見れば一目瞭然である。
「もみじ饅頭一個くわえて走ってるあの縞縞がうちの猫です()」
このような歌を見ると自分でも冗談半分に作れそうな気になるが、これがなかなか難しい。ちょっと猫持先生の歌を並べてみよう………
「遅くまで物書く吾を蒲団から顔だけ出して猫が見ている()」
「にゃん吉よおまえが死ねばボク独りなんでんかんでん死なねでけろ()」
「僕ですかただ何となく生きているそんじょそこらのオッサンですよ()」
「おーいお茶、風呂に入るぞ飯食うぞぼちぼち寝よか谺しており()」
「尻なめた舌でわが口なめる猫 好意謝するに余りあれども()」
という感じである。
たぶん、まねはできても猫持先生の歌境にはたどり着けそうもない。というのも猫持先生は歌を読むだけでなく、もとは俳句を正式に作っており、虚子門下の有名な先生に師事していたらしい、文筆の方は、かの辛口コラムニストの山本夏彦氏の門人で兄弟弟子に安部穣二さんがいるらしい。何でそうなんだか、わからないが由緒正しい文学者なんだと知って恐れ入る。
本人は文学者でないというがそのくだりは次のようである。『歌人が文学者なら、歌よみは文芸家である。もっとわかりやすく言えば、歌をよむ芸人である。』猫持先生は、子規について和歌を短歌と改めて、芸術にまでたかめたのはいいが大衆性が失われた。もう一度、歌を大衆のものにできないかと考えて歌を詠んでいる、らしい。
たしかに、結社などを作って徒弟制度的な閉空間での運営には、大衆性はない。
最後に猫持先生の俳句を掲げるがわかりやすいし、笑いもありの味のある俳句になっている。
「風車並べて風を売る男()」
「牛の面程はごわっど島大根()」「菊を着てみんなあの世の人ばかり()」
「蜆汁子なき夫婦に貰ひ猫()」
「漱石に紙魚の這ひをり古本屋()」
「哲学を少しかじりし紙魚シミらしき()」
「木犀や吾に猫待つ家路あり()」
「雪女郎別嬪ならば吾ゆかん()」
最近はどんな歌やエッセーを書いているのかちょっと気にかかる今日この頃である。