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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

字余り インデックス

2014年06月20日 | 字余り

八風街道----------------------------2014/06/19
CD・DVDライブラリ--------------2014/02/09 
哲学者・池田晶--------------------2014/02/08
人生で一番若い日を生きる------------2014/02/03
吉行和子さんが好き------------------2014/01/31

連句もどき「おもてなし」の巻--------2013/12/27
連句もどき「松茸」の巻--------------2013/12/16
連句もどき「馬肥える秋」の巻--------2014/11/07
久し振りの猫持さん------------------2013/10/15
古代史再発見------------------------2013/09/15

和田誠さん
--------------------------2013/09/02
日本書紀のプロデューサー------------2013/08/21
恵信和尚の懺悔----------------------2013/08/20
旧暦--------------------------------2013/08/11






 


八風街道

2014年06月20日 | 字余り

2014/06/20

私の田舎に八風街道という道路がある。小さいときに街道名を聞いてロマンチックな名前だと思っていた。人伝に聞くと永源寺のそばを通り鈴鹿山脈を越えて三重県の四日市に出るということを知った。国道421号線であるが、名前の由来は三重県側にあるようだ。その道は、還暦を越えたいまでもまだ通ったことがない。二十歳前後だったが、空を飛んだり、知らない道を歩いている夢をよく見ることがあった。できないこと、したいことを夢で間に合わせていたらしい。とくに八風街道を通り峠を越える夢はよく見た。さすがに二十歳を越えて自分の意思で空間移動ができるようになると夢を見ることもなくなった。
今ならグーグル・マップで道を疑似体験もできる。八風街道というロマンチックな名前もググる検索をするといつ頃できたかとか、由来なども理解ができる。この道は東海道と中仙道を結ぶ街道の一つで三重と近江を行き来した商人の道であったらしい。わたしの祖父は、魚屋をしていて屋号が「伊勢甚」となっていたので、多分この道を通って滋賀に住みついたのでろう。
「八風」の名前の由来は三重側に同じ名前の村があるらしい。こうなってくると七色の虹よりも一色多い八つの風、どんな風だろう、等と夢想する身にとっては夢も希望もないので、八風街道の由来を勝手に解釈して納得しましょう。つまり、この街道は、禅の言葉にある『八風吹不動ハップウフケドモドウゼズ』から来ており、世俗の楽しいこと、辛いことなどいろいろな風が吹いている道であると……。

八風とは、「利リ」「衰スイ」「毀キ」「誉ヨ」「称ショウ」「譏キ」「苦ク」「楽ラク」のことで、各々の簡単な意味は次のようである。
「利リ」:順調であること
「衰スイ」:意に反すること
「毀キ」:人を悪く言うこと
「誉ヨ」:誉めること
「称ショウ」:称えること
「譏キ」:人の欠点を見つけて悪く言うこと
「苦ク」:身心を悩ます
「楽ラク」:身心を悦ばす

これらの風が人の心をあおりたてるから八風という。
「衰スイ」「毀キ」「譏キ」「苦ク」の風が吹くと人は落ち込み、
逆に、「利リ」「誉ヨ」「称ショウ」「楽ラク」の風が吹くと自分の力で何もかも成し遂げたと有頂天になる。
しかし、禅の世界ではどのような風が吹いていても動じないで、むしろその風を楽しむのがよいとされている。
滋賀と三重をつなぐこの道を風を感じながら走ってみるというオプションも一興かな思う。


【参考】禅の言葉に学ぶ ていねいな暮らしと美しい人生(枡野俊明著)


 


CD,DVDライブラリ

2014年02月09日 | 字余り

2014/02/09

DVDのデータベースを作成し終わった。全部で339枚になった。今回整理していて、今後見ないようなものまでDVD化していることに気づく。断捨離が叫ばれるなか、本や資料などと同様、あとで見よう、いつか見るだろうという類いは、置いておく価値はないのかもしれない。TSUTAYAに行けば借りられるようなものは置いておく必要はない。
ともかくドラマ・映画などは成り行きで観賞し、ドキュメンタリとか教養番組は見直そうと思っている。今回整理したデータベースが役に立ちそうだ。
クラシックは、モーツァルト関係だけで34枚(34=307-274+1)あった。モーツァルトの生没年は1756-1791年だから、モーツァルトにめざめて1991年の没後200年と2006年の生誕250年を経験した。1991年の時はビデオテープで番組を録画し、2006年のときはハードディスクでの録画であった。以前のビデオ番組は2006年の段階でDVDに落としておいた。
2006年の録画を中心に気合いをいれて観賞するつもりである。2006年はNHKも毎日モーツァルトという番組を放送しておりその映像が残っている。毎回、モーツァルト好きが出てきて、その日のテーマ曲についてコメントを残し、ナレーターが曲の説明をする。以前、この『毎日モーツァルト』のコメントなどを百回までまとめてHPに載せていた。今回、続きの百一回目以降をまとめていこうと考えている。あとはオペラやアーノンクールの演奏などを楽しむとともに、いろんな曲の聴き比べもしてみたい。
あとLPのデジタル化の予定がある。これはジャズがメインであるがモーツァルトのLPもあるので、デジタル化していこうと考えている。CDではあるが、モーツァルトのライブラリに加えていくつもりである。


哲学者・池田晶子

2014年02月08日 | 字余り

2014/02/08

今日の読売新聞の『五郎ワールド』に<永遠の「哲学の巫女」>と題してコラムが載った。内容は哲学者の池田晶子のことを取り上げている。池田さんは哲学をしているわりには滅法な美人である。その美人がうつむきながら目線だけ上目使いの写真が載っていた。 美人のことはともかく、五郎さんの文章は、池田晶子さんのことを「生涯を賭して自分で考えることの大切さ、言葉の重要さを説き続けました」と説明しています。
さらに一度だけ会っていて、政治部長時代に「21世紀に向けて政治を問う」というテーマでインタビューをしたときのこと。当の池田さんから「わたしの寝言を正確に読み取ってくれた」と誉めていただいたことを紹介。
最後は大峯顕(大阪大学名誉教授)さんと池田さんの交流を紹介している。池田さんの口癖が「自分にはいのち根性がない」、「私、死ぬのを怖いと思ったことがない」に関わることで、『いのち根性がない』についてである。池田さんは亡くなる4カ月前に、大峯さんに手紙を書いており、その内容に大峯さんはおおいに喜んだらしい。いのち根性がない、ことに回答を見出だした池田の報告が書かれていた。「池田晶子の長い旋回はついにその最終的な局面に入っていたに違いない」と思ったそうだ。
五郎さんは、最後は仙崖義梵という禅坊主の辞世の色紙に「死にとうない」というエピソードでしめくくっている。

******池田さんからの大嶺さんへの手紙の一部********* 
相変わらず厄介な病気を抱えておりまして、日々、剣が峰を歩いております。が、それは本来の人間の在りようなのだから、ちょうどいい修行だと腹をくくっております。
ひとつ気がついたのは、例の"いのち根性がない"ということ、生きようとするのは執着なのだと私はずっと思っていたのですが、どうもそうではないようですね。人が生きようとするのは意志、生命本来の意志として肯定さるべきことのようなのです。 


人生で一番若い日を生きる

2014年02月03日 | 字余り

2014/02/03

DVDの整理をしていて「人生で一番若い日を生きる~西村恵信(こころの時代~宗教・人生)」という番組録画をゆっくり見てみた。落ち着いて見ているとすごく内容のある番組だった。東近江市の興福寺の住職である西村恵信和尚は、花園大学の学長や禅文化研究所の所長をされたこともあり、著作も色々されていてその道では有名なんだろうとおもわれる。
具体的なことは映像を見ていただくとして、内容について気がついたところをあげておきたい。
・三余居窓話。書斎の名前で、はじめ堂としていたが居がいいだろうということで、三余居になった。山田無文老師に書いてもらった。
・三余とは、夜は一日の余り、冬は一年の余り、雨は時の余りである、ということだ。つまり、晴耕雨読の精神のこと。
・孫が将来、結婚式に出てほしいといったとき、つい90才まで生きると宣言したとのこと。
・いつ死ぬかわからないが90才まで生きるとして、引き算の毎日を送っている。こう考えることで毎日が充実する。
・大学の卒論は、キェルケゴールのキリスト者の実存と禅の実存をテーマにした(久松先生に激怒された)。
・養父で、師匠の南明宗寿の人生は八割が草むしりだった(禅や座禅のことは言わなかったが、禅坊主という言葉は使った)
・自分を形成しているものは自分で意図的に作れない。奇麗な花だと見て感じたら、その経験が次の自分を作っている。
・『鐘が鳴るかや、橦木が鳴るかや、鐘と橦木の間アイがなる』といって、鐘をついていた
・緒方宗博というもう一人の師をもった。禅坊主で初めて英語をしゃべる人だった。
・留学させてもらいクェーカー教徒の大学に行った。瞑想とハンドシェイクのクリスチャンだった。翻って、禅は日常的に瞑想しているか。
・'69にバチカンの対話局ができて日本にもいろんな人が来た。国際会議などにかり出され忙しかった。
・キリスト教は奉仕が言われるが禅坊主は座っていてよいのか。教と道徳とは違う。遺産としての禅。禅僧には禅僧の生き方がある。
・己事究明:座って悟ればいいができないのが一般的。自己を追求することが禅僧の役目。
・自己を説明しようとしてもしきれない。1.母親のお腹から出てきた塊、という面。2.こころの窓-五感-が関わりをもった内容-経験-が作る、という面。
・西田幾太郎のことば『個人があって経験があるわけでない、経験があって個人がある』
・経験を取り込み自己ができる。最後の経験が死である死は自己を完結する。
・自己を追求して新しい自分、今日が一番若いと思って生きることが、わたしの考える禅である(といっていた、と思う)。