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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

西鶴という鬼才

2017年04月16日 | 字余り

2017/04/16

『西鶴という鬼才』を中古書店で250円で買ってきた。先日来、オランダ西鶴という本を買おうか買うまいか迷っており、先伸ばしにしていた。西鶴には目の見えない娘がいたこと、俳句を一晩に二万句つくったこと、吉行淳之介が訳している『好色一代男』が気になっていることなど、関心はあった。

西鶴は盲目の娘を51歳で亡くしているが、自分自身も翌年には52才で亡くなっている。
大阪で生まれ俳句、連歌、経済小説、ポルノ小説、エンタメ小説、芸能全般に通じており、盲の娘も退屈しなかったと父の存在を喜んでいる。人間西鶴と俳人西鶴について知ってみたいとおもうこの頃である。


空白の俳句史

2017年01月05日 | 字余り

2017/01/05

『子規は何を葬ったのか〜空白の俳句史百年』今泉恂之介著を読んで興味を覚えた。
空白の百年とは一茶から子規の活躍した狭間は大体百年であり、その間の俳人、俳句が闇になっている、というものである。
なぜ空白ができたかと言うと、一つには子規の論争テクニックで『卑俗陳腐』と切り捨てたこと、二つ目には『俳句分類』が間に合わなかったこと、等があげられる。
実際はどうだったのかと言うと、それなりの俳人も出ており、俳句も『卑俗陳腐』と一刀両断すべきものでもないらしい。
どんな俳人がどんな俳句を作ったかは本に譲ることになるが、最近は子規も罪作りなことをしたもんだと言うのが正直なところである。


漱石百回忌

2016年12月09日 | 字余り

2016/12/09

今日は夏目漱石の百回忌だそうだ。つまり、1916/12/9に49才で胃潰瘍かなんかで喀血し死んでいる。生誕はと言うと、150周年を2017年に迎える。ということで漱石の話題で賑やかである。朝日新聞は『我輩は猫である』の再掲載をしたり、テレビでは、漱石の紹介や文学について取り上げたりしている。昨晩は、当時の二大文豪である漱石と鴎外の食物に対する姿勢を取り上げていた。漱石は食いしん坊で、鴎外は果物でも火を通した潔癖症とのことがおもしろかった。木曜会や歌会で出てくる食物を料理して皆で食べたりしていた。今日は『三四郎』の深読みをしていた。こんな調子でしばらくは漱石の特集が続くのだろう。
さて、わたしの漱石ということだが、わたしにとって初めて感動、共感した作家だと言える。芥川や三島由起夫などそれなりに読んだが、読破しようと奮起したのは夏目漱石が最初であった。小説だけでなく評論・随筆・日記や漢詩などもわからないなりに全般を読んだ。漱石の小説は先々再読しようとしていたがまだ果たせないでいる。
漱石の魅力は世の中の認識の仕方というか、批評眼というか、その言葉である。モラル的なものを知らない間によきにつけ、あしきにつけ吸収したのではないかと思っている。しゃかりきで再読するとか、研究するとかという気はないが再考はしてもよいかと考えている。


部屋の模様替え

2016年09月04日 | 字余り

2016/09/04

先週から今週にかけて部屋の模様替えを余儀なくされて進めている。余儀なくされないとなかなかできないもので、いまの家に引っ越してから二度目の模様替えである。一回目の模様替えは局所的だったので、引っ越しの時の配置が基本で、段ボールによる収納が主であった。引っ越したのは、阪神淡路大震災のあとで、横浜の鶴見からであるから大分たっている。
一度目は滋賀の実家から仏壇を持ってきたので、その収納が問題になった。仏壇の置き所は、自分の部屋しかないと思い部屋の模様替えが必要になった。それまで使っていた机の位置に仏壇を収め、机は別に作ろうと考えた。知恵を絞ってそれなりの変更をした。縦型の展開式の机を再利用し、机板をはずし仏壇を上下に分離して収容した。新しい机はDENONのスピーカの上に炬燵の上板を置いて机にしていた。
今回の二度目は、ものに溢れて片付けを余儀なくされた。定年から既に三年たつが、整理や廃棄ができていなかった。リタイヤしたあとの資料の廃棄、結婚前に買ったオーディオシステム、壊れたが捨てられなかったパソコン、パソコン関連の本、LPレコード、必要のない本類…など捨てるものに溢れている。生来のものぐさから手をつけなかったのであるが、避けられない状況ではある。世の中、断捨離が叫ばれており、言葉も定着した感がある。私の余生に要るもの、要らないものを判断するのは結構難しい。また別に考えることにして、とりあえずしか
たない部分だけ整理してみよう。
整理に当たって、『書斎改造計画』を作成し、余生を快適に過ごせるような部屋に改造したい。
改造計画の骨子は、大きく三つ
(1)収納を増やすためにベッド下をユニットボックスで収納
(2)デッドスペースだった押し入れを書斎机とベッドスペースに活用(机の奥は本だな、ベッドの奥は夜具いれ)
(3)ガレージの奥もユニット棚に変更し収納を増やす。
である。
以上の計画がうまくいき、一段落つけば結果報告とその次に断捨離をしていこう。


 


山家集を始める

2016年02月11日 | 字余り

2016/02/11


先日の短歌の会に『妻子捨て武士を捨てたる西行の気持ち知りたくく山家集読む』と書いた。実際は読んでいないのだが、読みつつあるくらいの軽いノリで書いたのだが、読まねばという気持ちにさせられた。ということでその気になったのであるが、簡単には終わりそうにもない。ひょっとすると2~3年かかるかもしれない。源氏や万葉集と同じく結構ボリウムがありそうだ。始めるに先立ちどう取り組むか。まず、本に頼るか、ネットのテキスト本に頼るかだが、後者にする。国際日本文化センターの和歌データベースのテキストをダウンロードして使う。上中下巻が部立ごとになっていて、1500首余りの歌群になっている。ただ、このテキストは濁点のない平仮名が主で少し読みにくい。そこで、参考書が必要になってくるが、とりあえず、次の二冊を使うことにする。『西行・山家集~井上靖 学研M文庫』『西行~西澤美仁編 角川ソフィア文庫』場合によっては追加が必要かも。例によって西行の歌を一首づつ取り出して歌の解釈と関連知識を5・7・5・7・7の定型で語呂合わせするというものである。今回は、ノートへのメモも残そう。
今年も始まったばかりで『花と七十二候』と俳句と平行しての取り組みになる。ペンディングになっているシェイクスピアや続・漫画能百番もある。『エェーイ、ままよ』とばかりに出たとこ勝負である。
いずれにせよ、色々な人が歌ばかりでなくその人物に焦点を当てて論じている。歌、貴族と隠遁、京都と鎌倉、聖俗、交遊など重層的な人物だけに興味はつきない。話の持っていき方として、『西行は、………と考え妻子を捨てて、武士を捨てて、自ら詠んだ歌のごとくに桜の下で成仏した』としたい。………のところがどの位わかるかがポイントであるが、お後がよろしいようで………。
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