暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

ポカポカの日本から戻ってみれば雪

2013年01月16日 21時52分21秒 | 日常
2013年 1月 15日 (火) 雪

前日の午後スキポール空港に着いた。 12時間ほどの空の旅には少々疲れ、それは去年と同じホテルで去年はそこにあるジムで靴を持っていなかったからトレーニング出来ないのを残念に思い今回こちらから持って行ったトレーニングシューズで何日か毎日2kmほど動くベルトの上を時速7.5kmで走りその後サウナで汗を出し人が働く時間にゆったりと外を眺めながら大きな風呂に入っていたのだけれど、それが少々はしゃぎ気味だったのか体重の増えたことに無頓着だったからか腰を痛める結果になり、ぎっくり腰の入り口辺りをうろうろと徘徊するていたらくだった。 これも身から出た錆、サウナの後の冷水を浴びるのは気持ちがいいものの年寄りの冷や水、この痛みが帰りの機内でジクジクとしたのだった。 けれど戻った空港で機内から運ばれた自分の27kgとなったスーツケースを取り出し持ち上げるときには何ともなかったのだからそのときにはもう大分ぎっくり腰ゾーンから離れていたのだろう。

この時期に日本からオランダに来る人たちは機内の日本人の数からすると驚くほど少なく、荷物を乗せたカートを押してガランとしたホールを税関の最後の関門を抜けるとそこに家人が待っており、そのまま空港の大ホールで電車の切符を買い地下のプラットホームに下りれば5分ほどでハーグ行きの電車が来てそこから15分ほどで自分の駅に着き、そこに待っていた息子が運転する車で家に向かった。 電車がスキポールのはずれから地上に出たときにちらほらと白いものが舞っていた。 スキポールに着陸するときに雲のなかから鉛色の中、スムーズに降りたボーイング777の機長を上手だと評したのは一つ座席を置いて窓際に座っていた40前の脂がのり始めた日本の大企業の駐在員で年間160回以上飛行機に乗っているからその経験上これほど上手な着地は少なく、この機長は軍のこのような大型機でよく訓練された人なのだろうと言っていた。 そのときはただの冬の曇り空の中でもうこの狭い空間から開放される喜びで一杯だったから気がつかず、そんなものかと思っただけだった。

行きも帰りも機内ではスコッチを飲みながら映画を幾つか見ていて興奮もあったのか眠らなかった。 だから家に戻ってそのまま荷物を解き家族それぞれへの土産を渡し、旅の話を様々にして過ごし夕食を摂った後にはどっと眠気が襲ってきて、それに堪らずそのまま寝床にもぐりこみ眼を閉じると訳もなく沈み込んだ。 次に眼を覚ますと夜中の3時で便所に行って戻ると再びそのまま眠りに沈没した。

朝、眼を覚まして驚いた。 積もっている。 この分だと欠航はなくとも遅延だったり悪く行くと他の空港に回されるかもしれない。 例えばブリュッセルなどに下されてそこから電車ということも考えられる。 道路の交通は大分遅れるかもしれないからバスでは帰れない。 と、そういうことを思うと昨日戻ってくることができて幸いだった。 実際この日のニュースでは交通網の混乱は大きく、渋滞は合計1000kmの大台を越して新記録だと言っていた。 そして早くも温度よ下れ、氷よ16cm以上になってこの10年行われていない国民的行事である自然のなかでの200kmスケートマラソンを待ちわびる人たちの話がそろそろ盛んになってきていることも添えられていた。

朝食を摂った後、職場に出かけるのに雪かきが出来ていない町を自転車で走るわけにも行かないのでデイパックを背中にウォーキングシューズで1.5kmほど離れた自分のジム所まで歩いて行ったときには外気マイナス5℃の空は快晴だったから昨日の鉛色の世界と違い気持ちが良かった。 夜には20kmほど離れた警察署に出かけて銃砲所持許可証の延長のため書類をそろえて出向かねばならず、そのためには車も必要でスコップとブラシで丸く白い車の雪を下さねばならなかった。 前日息子が運転していたからバッテリーは大丈夫だったけれどこれからは2日に1度はエンジンを温めたほうがいいと心した。

このように、10日ほどの温暖な大阪滞在中は一度も降雨にも逢わずコートも要らないところからこのようなところに来ると別世界に戻ったのだと自覚する。 これに慣れるには時間がかからなかったものの、この10日ほどの日本滞在中にあったことを反芻する時間も余裕もまだない。 去年の夏のバカンスの後にしたように少しずつこれから記して行こうと思う。