暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

射撃の季節が戻ってきた

2011年09月11日 14時44分50秒 | バンバン

2011年 9月 11日 (日)

日本に発つ前に慌しくオランダ古式銃射撃全国大会の25mの部に出たのが6月19日だったからそれからほぼ3ヶ月の夏休み期間を挟んで今日また年末まで秋季の大会の季節が始まった。

今日は前回6月11日にこのコラムに載せたのと場所もセッティングも全く同じ50mライフルの部だったのだが今回はどういう訳か少しだけ得点が上だったからその分少しだけ気分がよかった。 その後その理由を考えてみた。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/folder/1465228.html

所定の30分の間に所定の13発を撃つのだが、狙っているときには規則正しく3,4回呼吸をしてその息を後止めて的を狙い、そのまま静かに引き金を引く、というプロセスはいつもの通りなのだが今回はこの2週間ほどの筋肉トレーニングが効いているのか構える筒先が安定したように思える。 腹筋、腕の筋肉に力が少しついたからだろうか。

9,9,9,8,8,7,7,7,7,6 の77点という結果だが希望は常時83,84点あたりに納まりたいものの、そこまではまだ大分距離があるようだ。 5年ほど前までは普通だったものがここからそこまで戻るまでには大変な努力が要るようだ。 いままで先輩達が言っていたことが自分にも起こっている。 曰く、若いときに普通にできたことがこの歳になって今ではもう出来ない、ということなのだ。 衰えはそのままにしていてはますます衰えるばかりだ。

半年ほど前に手遅れの癌が見つかって半年の命だと宣告された射撃クラブの先輩のことが心配で、日本にいる間中、忌むべきメールがはいらないよう願っていたのだが、今日その先輩に射場で会ってほっとした。 なんとか日常のことをこなすようにしているらしいが次の目標は年を越すことだと言っている。 80歳も遠くない歳では長く重いライフルは支えるだけの体力は残っていないが25mのピストルはまだ撃てるだけの握力と筋力はあるから我々の顔をみがてらこういうところにやってくるのだ。 老人が多い我々のクラブはこのように少しづつ一人欠け、二人欠け、というふうに顔見知りが減っていく。







オランダ・ナショナル・モニュメント・デー

2011年09月11日 08時08分02秒 | 日常



2011年 9月 11日 (土)

7.11から10年経った今日、オランダは土日とオランダ・ナショナル・モニュメント・デーでそれぞれの町で記念碑的建造物を一般に開放して見せる恒例の週末にあたる。 我々は別段何も予定が無かったから2,3日前にどこにしようか、自分の町はもうあらかた見たからね、と家人が言うので、じゃ、Dordrecht(ドードレヒト)にしようかと提案した。 今までに何回か歩いているし、けれどそれも子供たちがまだ小さいときだったからもう6,7年前にもなるので、いい町だけれど今までじっくりとは見ていないからこれはいい機会だと前夜インターネットで確認し、何十もあるそういう場所からめぼしい建物をいくつか見ようと電車で出かけた。

自分の町からハーグ、ロッテルダムを抜けて南に40分ほど乗ると着く。 50ページほどの案内プログラムを市の観光案内所(VVV)でもらい、表紙に写っている17世紀からワイン輸入で栄えた倉庫の様子も含めて5時間で5,6箇所観た。

この町を選んだのは他にも理由がある。 江戸末期幕府最初の、つまり日本最初の鉄製蒸気船がこの町で建造され榎本武揚が32歳の時ここから日本までその軍艦「開陽」を幕末最後の年に回航したという土地でもある。 武士数名と職人が何年もそれに先立ちここに滞在し、多分ここで当時ビールやワインを飲んだのが日本人としては最初かもしれない、とも言われているし、その中の職人はオランダ人女性との間に子供までなしている。 日本ともまったく縁の無い町ではない。 

当然ここの人たちにはそういうことは瑣末なことでだれも殆んど知る由もなく、そのことを記念物の案内人に言うと驚いている。 けれど殆んどの建物は歴史的には1500年以降の建物でありオランダの黄金時代17世紀の栄光を今に残す商人の邸宅や市の評議員、貿易に使われた倉庫などが多く、市や国が今はそういう建物を買い上げてこの数百年で変わった内装、基礎構造などを復元、当時の姿に戻すという文化財保存を進めていて、こういう一般公開日には日頃みられないそういう建物に興味がある人々が集う日でもあり、幕末となれば歴史のなかでもかなりこちらに近づくようだ。 国外との関係で言えば数限りない関係が絡まるので旧植民地のインドネシア関係が建物に残る程度だ。

こういうィベントでこういうものごとに興味があるのは還暦を過ぎた暇な人々が8割以上を占めていて若い人たちの少ないのが目立つのはどこでも同じことである。 という自分達にしても20年前には興味があっても雑事に追われて来ることが無かったのだからその事情はよく分かる。

ある場所ではかつてのワイン商館を買い取って五階の屋根裏スペースから地下まで外観を残し全て骨組みと床だけにして調査するためのスペースに10人ほどのグループがガイドに先導されて嘗ての様子、400年ほどの間にどのように補修、改修がなされてきたのか、というような説明をうけて彼方此方を見て廻ったのだが、最上階の瓦屋根から樋を内側に通し、屋根裏部屋に引かれ現在も使われている鉛の雨樋を見るのは驚きでもあり、瓦屋根を裏から覗いて日光が窺える隙間だらけの瓦の組み方を見るのにも時間が何百年ともどるような思いがして不思議な気がしてならなかった。

嘗てその軍艦が通ったであろうという港を見渡すホテルのテラスで昼食を摂りながらオランダにしては暖かく蒸す日中に冷えたビールを飲むのにも「文化的」ではあるなあと妙な倒錯した納得をしそうになる。 自分の住む町と比べるとここの町の文化的な豊かさははるかに高いと感じるのだが先週の週末三日間いたオランダ南部の町、マーストリヒトと比べるとどうだろうか、と思ってもみたのだが、歴史的、文化的にはマーストリヒトには叶わないとも感じる。 いづれにせよ古い町の古い歴史的建造物を訪れるのは楽しいことだ。 歴史がギリシャ、ローマ、フランスや日本に比べるとオランダは新しい国であるから古いといっても精々鎌倉後期以降であるからしれている、といってもいいけれど16世紀以降は世界に冠たる短くも黄金時代を築いた国のその遺構であるから興味の湧かないことはない。 そういう意味ではマーストリヒトはローマ時代からあった街であるから非オランダ的だとはいえるかもしれなく、そういう古い伝統が今でも町の雰囲気の中に現れているような気がする。

それに今日にしてもそういう古い場所を観た後で同じく古い建物が外観を残して内側は現代的なオフィスに変えられているところを見ても、そういう文化財規制、保存規定というものとマッチさせているインテリア技術を見て感心することもしばしばだ。 古いものと新しいものの共存ということもなければ町中に博物館を作るわけにはいかないのだ。