暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

これでやっと浴室、便所を改修することが出来る

2009年03月15日 14時10分17秒 | 日常
家人と二人で土曜の昼から工業団地の中にある風呂、トイレ、台所専門の業者のショールームに出かけ4時間話を詰めて契約書にサインした。 これでこのまま何もなければ4月の始めから改修作業が始まり3週間で家の風呂場と便所が新しくなることになる

築50年の家で台所と風呂場には1970年代に手が入っているようなのだが50年代のもともとの配管の具合が老朽化のためか不都合でいよいよ手を入れないと大事になると予想されていたからこれでやっと肩の荷が下りるといったところなのだが、けれど実際に出来てみて何年か使って初めて問題がなくなったかどうか分かるような息の長いことでもある。

何週間か前にここを訪れて係員と広いショールームを歩きながら最初に我々の希望と様々なもの、例えば、バスタブ、風呂場と便所内の便器2個、便所と風呂場の床とそれぞれの壁のタイル、照明装置、排気装置、床暖房の有無、洗面台の種類、それぞれの付随器具等々、実際のものとカタログから選び組み合わせて検討したのだが、その後、業者からの見積もり書が家に届いてその確認のために出かけた、というわけだ。

前回が2時間半、今回が見積もりの訂正、変更、確認のため細部についてまで4時間もかかるというようなことで最後に契約書にサインをしてショールームを出るとどっと疲れが出た。 金融危機でこの業者を始めこのあたりのショールームは静かで普通なら受注から作業開始までは8週間から2ヶ月ほどかかるものが4週間弱で始められるということからでも景気の様子が窺われるというものだ。 逆にもしかして途中で業者が倒産して前払いの分が回収不可能になるというような場合の処置についても考慮し、それに対する法的な救済、保険措置の条項が契約書に入っていることを確認するような場面もあり、客も業者もこのような状況はメディアで伝えられているようなことを後追いしているような気分にもなり去年の今頃とはまるで雰囲気が違うのを実感した。

契約書には数日後業者からこの契約確認の手紙が届いたときに前払い20%、作業が始まり設備が届いて設定にはいる時期に60%、仕上がった段階で残り20%の金額を支払うこととなっていた。 


ハーグのハーフマラソンをテレビで2時間半見たのだが、、、

2009年03月15日 13時48分58秒 | 見る
土曜の夜中に夜食を摂りながらテレビのチャンネルをあちこちに変えてみていたら地元ローカルだけのテレビ局でその日、デン・ハーグ市でハーフ・マラソンがあり、ナショナルテレビではスポーツ番組で少しは報道されたのだろうが日頃スポーツをあまり見ないからそういうことも疎く、へえと思ってちょっと見ているとよく見知ったハーグの町並みが出ていくるので眺めていて、普通大きな大会だと大通りだとか沿道の応援、観客などがたくさんいる中を走っているのを見慣れているもののここではごく普通の小道をも通り抜け、時には間に無人のところもあり犬と散歩中の老人が立ち止まってみるようなのんびりした景色も見られ、ええと、あそこを行くとここにでて、、、と結局そこにずるずると2時間半ほど座ってしまった。

ビール腹の具合が気になったら行き当たりばったりでジョギングみたいなことをしてそれでは運動不足の解消にもならないのだがこの2週間で生まれて初めて立ち止まらずに7kmほどを2回完走していることから、画面では世界レベルの選手が出ていると言っているからスッポンが月を眺めるように我と彼らの差を測るということも契機になっていたのだろう。 最近マラソンを見たのは去年の北京オリンピックの模様だったけれど誰が優勝したのかもどんな様子だったかももう覚えていない。

この日はハーグの町の中心、国会議事堂、首相の執務室、レンブラントやフェルメールの絵がどっさりあるマウリッツハウス博物館から200mほどのところからスタートして海沿いの保養地スヘーべニンゲンの海岸大通りを走ってぐるりとまたアメリカ大使館の前を折れてゴールに戻ってくるコースだから通りのあちこちは時には自分が車を運転したり歩いたり知り合いが住んでいたりする辺りでもあるので競技に対してそれほど興味がなくてもそれなりに面白いのだ。

それにトップレベルの競技者たちが30人か50人ぐらいであるものの全部でエントリーが26000人というのだから殆どが純粋アマチュアで、小さな子供から年寄りまで様々にいるのだからその人たちの走り方にも興味があった。 自分は先週、7km弱を58分で走ったのだから距離がその3倍のハーフ・マラソンならそのまま完走するとして大体3時間前後だろうと踏んだ。 世界記録の大体3倍かかる。 一位がゴールしたときにはまだ海岸やスヘーべニンゲンの漁港へさえ到達していないことになる。 ハーフ・マラソンの世界記録ではこの日の目玉、エチオピアのハイレ・ゲブレセラシェ (Haile Gebrselassie 35歳 )が過去に4度も世界記録を立てているらしいからこの日も一位は当然のこと、世界記録を更新するかどうか、というようなことが期待されていたのだが初めの3-5kmほどでそれが危惧され始めて途中10kmあたりではアイルランドの選手に先頭をとられ同僚ペースメーカー2人に先導されたもののゴール前4-500mあたりから若手22歳のケニヤのサミー・キトワラ(Sammy Kitwara )に抜かれてそのままの結果だった。 

このゲブレセラシェという人はよっぽどのトップスポーツマンなのだろう。 ゴール後のインタビューは一位に行かずにこの人に来るぐらいだから番狂わせだったのだろうがタイムも一位が(59分46秒)二位が(59分49秒)と悪くはないけれどそこそこの結果だったらしい。 ゲブレセラシェは別段息も切らせてもいずに「気温と天候が芳しくなかった。 こういう天気は自分の持病の喘息にはよくないから」と微笑みながら言っていた。 ま、これで1200万円ほど稼ぐのだから悪くない。 世界記録ならそれにまだ600万が上乗せされたはずなのだけれど自国に2つも自分の会社を持っていて年齢のこともありもうがむしゃらに稼ぐほどではなくなっているのだろう。

この賞金のことでは思い出すことがある。 もう20年近く前、私がまだハーグ市のはずれに住んでいた頃のことだ。 知り合いの義弟だったかが日本の大手食品会社が持つマラソン部の部長をしておりロッテルダムマラソンに出るから手伝ってほしいと言われ何日かお手伝いをした。 自分のうちからロッテルダムの日本選手団の宿舎まで車で20分ほどだったから自分の仕事が済んでから夕方から出かけ夜中の車通りが途絶えた時間に選手たちを乗せてコースを下見のためにゆっくり走り様子や作戦を練る準備にしたのだが役目はそこにいて必要なときに通訳をしたり付き添うと言った具合だった。 付かず離れずの距離を置いていたしこの世界のことは興味があるものの知識はまるでなく、選手たちが淡々と日ごろの日程をこなしていくのを見たりして感心することが多かった。 毎日一定の距離を走りながらその町の感触を得ていく様子も聞かされたし食事には水から何まで全て自分たちで管理する様子、日本料理店でのご馳走も豪華というものでもなく勝つための日本食のようで緊張もあるのだろうがそれも淡々と自分の中で解決するといった風情だった。 

日曜がレース当日、土曜の夜に選手、付き添い、組織、スポンサーの人間が集まってパーティーがありそこに皆で招かれた。 会場ではそれぞれのゆったりとしたテーブルにすわり手持ち無沙汰にぼそぼそと話していると日本選手にサインを求める上気した顔つきの人たちがやってきたりするのだが、組織の委員であるヨス・ヘルメンス(Jos Hermens)という人間がやってきて我々のところに来て私に通訳をしてほしいと言う。 私はこの人のことは何もそれまでは知らず互いに挨拶をして話に入った。

ロッテルダムはロンドンと同日にマラソン大会があり、どちらとも世界にも名がありロンドンとはライバルであるからここでいい記録を出すことがすなわち世界のマラソン大会界で勝つことだ。 アフリカの選手など世界から選手を招待して開催するのだが刺激になるのは特に褒賞でついてはここに賞金のリストがあるからそれを見て覚えておいてほしい、と紙を示したのだ。 そこには世界記録の場合いくら、そこから何秒かづつ刻みの時間に対応した金額がびっしり書かれていてプロマラソンの知識がないものには驚きだった。

それを通訳したときには日本選手からそんなものを見せられても、という戸惑いと不満のようなものが出て、それを伝えるとヘルメンスも驚いたようだった。 当時は日本の陸連が一括してマネージメントをしていたのだろうか。 優勝しても選手には多額の賞金がそのまま入ってくるわけではなく実際にはそのメカニズムは個人の選手にははっきり分かっていなかったのではないか。 プロモーターのヘルメンスとしては世界のトップレベルでは賞金が馬の鼻の前にぶら下がる人参でそれが記録を伸ばすのに貢献する、日本でも状況はそのようなものだろうとの認識があった処に、この日本選手たちの反応に逆に驚いたようだった。 オランダ人としてはどうして自分で勝ち取ったものが自分の懐に入らないのかが不思議だったろうし、そこでは勿論、世界中の陸上連盟が選手たちに多大な貢献をしていて費用もかさむことも既知の事実としてあるものの、当時進行していたプロ化のなかに日本の選手団が中間的なアマチュアのままでいて、周りでアフリカの選手たちが個別にヘルメンスたちとプロとしての話をするのと対照的だったのだろう。 その後世界のスポーツ界のプロ化は進み今では直接間接に個人に褒賞が配分されることになっているのだろうと忖度する。 翌日のレースでは日本選手団の一人が優勝したようだ。

そういうことを思い出したのはこのレースでずっと先頭のゲブレセラシェに沿って走るBMWオートバイの後ろに乗って絶えず「皇帝」と呼ばれるランナーに声をかけたり身振り手振り大きく叱咤激励していたのが皇帝のマネージャーであるヘルメンスだったからだ。 この20年間の間に時々はロッテルダムマラソンの折にテレビやラジオの解説者として出ているのをたまに見たり聞いたりしたことがあるけれど、このかつていくつか世界記録をフィールドランナーとして長く所持していた男が今まだ陸上ビジネスの世界で現役であることをみて懐かしく20年ほど前のことを思い出したのだ。

1時間も20分ほどまわれば競技の参加者は全てゴールに入りあとは一般の参加者が入りだした。 2時間を少し周ってアナウンサーがゴールのところでいろいろな人々にインタビューしている中で見知ったカップルが画面にでた。 義妹の友達でもう15年ほどほぼ毎年1,2回義妹のパーティーで会う40半ばの女性だ。 アイルランド人との間に息子をつくりそれももう中学生になるほどなのだが5年ほど前にその彼とも別れ去年、オランダ人の男性と結婚したと大晦日にその男性を紹介されていた。 ごく普通の顔つきだから彼女が画面に出ているから夫だと分かるものの一人だけでは分からない。 スポーツはジムに通っているとは言っていたけれどマラソンをするとは知らなかったし、それに何週間か前に悪性腫瘍を簡単な手術で切り取っていて完走できるとは予想もしなかったけれどできて嬉しいといっていたから後で家人にそのことを言うと、パーティーの時には言っていなかったから全て今年になってからのことだったんだね、といった。 その後、家人は自分の妹に電話をかけてそのことを言っていた。

彼女が2時間と20分あたりでインタビューを受けている頃、脚きりで公式にはこのハーフマラソンの最後のランナーになりそうな人々が14kmあたり、かつて森鴎外が泊まったといわれる海沿いの由緒あるホテルのあたりでインタビューを受けていた。 私のジョギングと同じほどのペースで別段疲れた様子も見せず走りながらも楽しそうにインタビューに答え、「沿道のサービス、サポートたちも自分が通過すると店じまいをするのがあちこちで見られたから規定の3時間以内にゴールできるようにぼちぼち頑張って走る」と答えていた。 参加者の数が2万6000だといっても全部がゴールしたとはいえないだろうし他のショートコースもあったのかもしれない。もし私が走っていればとても3時間以内にはゴールできないだろう。 果たして自分にはハーフマラソンで3時間以内にゴールできる日が来るのだろうか。 

ローカルテレビ局をみているとこういうことが時々あるから面白い。 地元のニュースには今までにもう知人が現れており、そんな身近なニュースと世界のニュースが隣あって画面にでるので時には不思議な気分になるし今ではこの局の天気予報はCG画面で自分が住んでいる町の上空までちゃんと飛行機から眺めているような景色で示されるから便利でもあり、夜中のテレビは猫が外に出たいと私を急かせるまでだらだらときりがない。