暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

春の兆し

2011年02月16日 00時07分40秒 | 日常

落し物と拾い物が同時にあった今日、帰宅してみれば小部屋の中に春の息吹を感じた。 

昨日はこの何日かの惨めな天気に影響されたのか少々鬱の混ざったような日記にしてしまい、寝起きがよくなかったのだがシャワーを何日ぶりかに浴びて久しぶりに仕事にでたら悪いことといいことが起こり、これは何か縁起が、、、、、と感じ、帰宅して便所に入れば目の前にこの家に引っ越してくる遥か前から門のそばにあった木蓮の木にも春の息吹が息づいているというものが活けてあった。

昨日も夫婦揃って一日家から出なかった家人が外に出て木蓮の剪定をしたものらしい。 モノグサの自分に愛想をつかして自分でやる家人の性格に頬がゆるみ、シメシメ思う壺だと思う一方、家人もそれをあながち厭っている気配が見えないことだ。 数週間前に比較的大きな古い枝をばっさり落としていたときには近い将来今の古くて夫婦二人だけには大きすぎるステーションワゴンを廃棄して小さくて小回りが利いてなんでも後ろに放り込んで走れるペンキ屋のワゴンのようなものにしようと話していたからその車の屋根に引っかからないように剪定作業をしているのだと受け取った。

ここに引っ越してからずっと春の訪れを木蓮で感じていたしその写真も何枚か撮ってここに載せている。 木蓮はその短く感じる開花期間が過ぎて美しい花弁が地面に落ち、それが鉄さびのように朽ち、くびれた鶏の腿の骨を思わせる花芯が地面に散らばると季節は終わるのだが、また秋にはいくつか遅れてやってきたものが小さく開くこともある。

「小さい秋、小さい秋、小さい秋みつけた、、、、」という歌があるが、ここには小さい春がある。 小春か。 小春、というと浪花生まれ、いや泉州うまれの自分には坂田三吉の「女房の小春」が思いつき、それでは大分イメージが変わって苦笑に変わる。  そんなことを思いながらジッパーを上げ春の息吹が聞こえる小部屋を出る。

 

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