暇つぶし日記

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失くしたと思っていた徽章がみつかった

2019年01月03日 23時24分11秒 | バンバン

 

 何年か前にオランダ射撃連盟古式銃部門で自分たちの徽章を造りそのときそれを二つ貰っていた。 長さ2cmほどで帽子や服の襟などに徽章からでているピンを差し込み反対側に対になっている金具を指で摘まんでその孔にピンを差し込んで指を離すとピンが挟まれて服や帽子につけられるという一般の方式だ。 一つはハンチング帽の脇にさしてあったのだが野原を歩くときリュックサックやポンチョを頭からかぶるようにしていたらそのときに外れて失くしていたようで残念な思いをした。 そしてもう一つもスーツの襟なりジャケットの胸につけてパーティーや何かの会合などで人に会う時につけていて話の種にはなっていたのだがそれもいつの間にか無くしてがっかりし、仕方がないかと諦めていたら先日ネクタイを締める時にネクタイピンや様々な徽章を放り込んである箱の底にそれが覗いていたのを見つけ、何年かぶりに失くしたと思っていた自分の気に入りの徽章を再発見して喜んだ。 だから今はキーボードの前にこちらを向いて座っている高さ6cmほどの仏の坐像のそばに置いている。 

殺生を戒める仏のそばに古式銃の紋章とは皮肉なものだが歴史を辿ると武器の発達が歴史の転換期に関与していることは知られていてそれは現代においても明らかで、ピースサインに花だけでは現実世界の抑止力としては効果がないことは平和な日本から世界を眺めるとなかなか見えにくそうであっても冷徹な世界基準でみるとそれははっきりしている。 だからとはいえそれが現政権がいう憲法改正の根拠として説得性があるかどうかというと簡単にそうはならないところが現政府と国民意識のすり合わせのまずさなのだろうと日本に住まないものはそう言ってみる。

日本には武器アレルギーがあり西欧にはアメリカは別として火器をポリティカル・コレクトの観点からネガティブと見るような土壌が出来つつある。 当然日々アメリカ社会にみるように残虐な犯罪には火器が絡んでいるのだが、それをして短絡的にスポーツ射撃を否定する根拠とはならない。 犯罪に使用される火器が殆ど警察に登録されていないものであることからそれは明らかだろう。 火器を扱うような人間はアブナイ人間に違いない、というような偏見にしてもアメリカはいざしらず自分の住むオランダではアブナイ人間には元々銃砲所持許可などはは下りない仕組みになっている。 

またどうでもいいようなことを書いてしまった。 自分が棺に横たわるときにはその襟にこれをつけるように指示しよう。 そして棺に蓋が釘付けされるまえに外して家族の記念品の様々なものとして残しておくことも言っておこうと思う。 別段この徽章に価値があるということではない。 ごく個人的なものでこの30年間道楽でやってきたことの唯一の証でもあるからだ。

尚、年末の射撃連盟古式銃部門の納会でフリントロック式短銃部門で第一位だったことが発表されそのトロフィーが与えられた。 いつもの通り自分がただ一人この部門の参加者だったから仕方なくトロフィーを与えられたまでのことで実質はない。 この30年でトロフィーは30個ほど、首にかけるメダルは50個以上はあると思う。 これらのトロフィーやメダルは家族には何の価値もなく、だから保存することもしないだろうということは分かっている。 だから自分を記憶するのにこの徽章だけは保存しておくようにと言い残すのだ。



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