2019年 6月 28日 (金)
夏日の暑さに参って家人が今晩はそとで食べようと言う。 作るのは自分ではないので、いいよ、何でもといって言うなりに町に出る。 今はライデンのお祭りでもある Lakenfeest(シーツ祭り)の時期だ。 毎年この時期に何日か17世紀のオランダ黄金時代の礎でもある繊維産業の中核だったこの町の繁栄を記念して開かれる行事だ。 何日間か、多分週末にかけて町中がどんちゃん騒ぎとなるのだがこの町だけに限れば10月3日の16世紀にスペイン圧制から解放されたことを祝う10月3日祭りについで賑やかなものだ。 だからといって何があるかと言うと地元のレストランが腕を競って広場に店を出して味を競う美味い物フェスティバルか、運河にそれぞれ小舟に装飾を施して仮装やDJでどんちゃんパレードする催しぐらいにしか頭が回らない。 先週だったかこの町のその時代に繁栄した繊維業者のギルドホールだった、今は美術館になっている Lakenhal(シーツ・ホール)が何年かの改装をへて再オープンするそのオープニングに招かれて出かけたところだからこれもあながち縁がないこともない。 ことしはこの町に生まれた画聖レンブラント没後350年にあたり、レンブラントがテーマになっているのだそうだ。
家人は久しぶりに「美味い物フェスティバル」にいってみようか、というので風車博物館の地下駐車場の上にできた広場に設置された場所に自転車で出かけた。 もう何年も前に家からはちょっと近くになるスーパーの前の駐車場でずっと開かれていたのがそこもこの何年か500台ほどが収容できる地下5階ほどになる駐車場を掘っているので今のところに越したのだそうだ。
ライデンにはミシュランに掲載されたレストランはいくつもあるのだが星のついた店はない。 けれど経験上幾つかのレストランはそれに並ぶような質のものがあり、そんなレストランのお試しメニューがこういう場合に紹介されるからそれを味わってみようという訳なのだ。 20-30のレストランにバーやカフェーなどの出店が並び、ステージではライブバンドが11時ごろまで明るい宵を盛り上げる。 一流の味付けなのだが盛られるものはプラスチックのペラペラの皿にプラスチックのナイフ・フォーク、かろうじでワイングラスがクリスタルとはいかずともガラスのジャンクフードなみの入れ物だ。 けれどもコースメニューは普通の盛りの半分以下であっても質はそれぞれのシェフが日頃のそのものだからここでの評判がこれから1年間の客の入りに左右するということなのだ。 大抵のテントでは一人のシェフに小僧が4,5人付きっきりでシェフに怒鳴られながら走り回っているのが遠巻きに見て取れる。 ちゃちな入れ物に出て来るフルコースのミニ版として4皿がガタガタのテーブルに乗せられるとしてそれに4000円以上払うのだから不味ければレストランの命とりにもなりかねない。 それに自分のキッチンとは違い日頃なれない野外のテント・キッチンでは緊張が走るのも無理はない。
この日あちこち見まわってここにしようと注文しているとステージではコンテストの結果が発表されていて、このレストランが今年の金メダルを獲ったのだと告げられた。 シェフはそんな発表があっても客を待たせるわけにはいかないので見向きもせずキッチンの中を走り回っていた。 このレストランにはこの20年ほどミシュランガイドに載っているのをみて何回か行こうと予約を試みたこともあったけれど何やかやで実現はしなかった。 自分の仕事場に近くほぼ30年近く毎日前を通っていたのだったけれど縁がなかったということだろうか。 この30年近くでオーナーが何回か替わりレストランの名前も今のものになって15年ほどだろうか。 このところの評判は値段が高いわりに味がそこについて行っていない、というものでこの何年も自分たちが出かけるときには候補になっていなかったものが今回で今のシェフなら少々高くとも満足が行けると確信した。 そうは言っても今の自分にはもう何時間もレストランに坐る体力も啖力もないかもしれない。
賑やかで落ち着かない会場から出て市役所裏のライン川沿いのカフェーでコーヒーを飲みたいと出かけてみると日頃は土曜のマーケットの混雑を除いて静かな川沿いが人で埋まっていた。 船の仮装パレードでそれぞれに喧しく生バンドやDJががなりたてていて見物人たちも手にビールをもち浮かれている。 雑踏を避け帰宅してコーヒーを飲もうと向う側に渡ろうとするのだが人が一杯で向うに渡れない。 そこから川に並行した裏道を辿り橋を4つばかり通り越してやっと通路だけが空いた橋を渡って帰宅した。
帰宅してネットでこの祭りのことを牽くと企画されたのが1986年と出ていた。 なんだ、自分がここの大学の語学教師として働きだした年ではないか。 あの時分には町の行事などにはほとんど興味もなく家にいたのだからこういうところに顔を出すのも大分あとになってのことだ。 それにライデンに家を買ったのは91年だからそのころにはこの祭りも少しは形が出来かけていたのではないか。 公園でポップやロックの野外コンサートもあったはずだ。 この町の伝統行事といっても自分がこの町に来てからのことだから伝統も何も言えることではないのではないか。 小さな子供が、昔僕がこうこうだったころ、、、というのに等しいようなものだと思うのだが、、、、。