暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

クルーズ・バカンスの旅(4) 第三日 コペンハーゲンの旧ヒッピー解放区を訪れる

2019年06月07日 17時18分50秒 | 日常

 

9時から午後4時まで7時間しかないコペンハーゲン滞在の限られた時間内に何をするのか、何ができるのか、と思案する。 このクルーズの旅は我々が今までやってきたものとは根本的にはコンセプトが違う。 今まではバカンスに行き、ある都市を訪れるとなると3日ぐらいはそこに滞在してその短い滞在ではあるけれどその町に行ったということを少しは感じるというのが基本だった。 例えばオランダから車でオーストリアのチロルに行くとすると途中のミュンヘン辺りの市立キャンプ場に2泊や3泊して町をゆっくり散策してから目的地に移るといった具合だった。 少しでもその町にいた、寝泊まりした、という感じを味わいたいと思う。 それが朝出かけて午後に船に戻れというのだから自分が御上りさん、普通の観光客以外の何者ではなことを今更ながら思い知らされるのだ。 今回の旅では自分でここに行きたいという希望は何もなく、そういうことは家人に任せて自分はただ町をあるきたいという気持ちだけだった。 できるだけ観光バスに乗りたくない。 時間がなければせめて町を一回りして繁華街や町の中心地ではなくそこから遠く普通の人の住んでいるところを市電で周りたいとも思っていた。

コペンハーゲンと言う町はいろいろな島を繋ぎ合わせた形で都市となっていてその島々を繋ぐ部分には必ず橋があり、そこに行くと運河のような水路が認められ一見オランダのまちのように見受けられるけれど建物のサイズがかなり大きいように思う。 それは後ほど訪問するサンクトペテルブルグとまでは行かないものの日頃スケールの小さいオランダの町で生活しているとこんな町に来て歩くと距離感が増すような気がする。 五稜郭のような形で造られた嘗ての砦、いまも形式的ではあるけれど軍隊の兵舎のあるところを抜けるとじきに町の中心地らしいところにでる。 大通りで美術・骨董品のギャラリーがならぶところを突き抜けて市役所を目指す。 途中のカフェでコーヒーとデー二ッシュ・ケーキの休憩をとってからまた歩きはじめ、だだっ広い市役所の入口の脇を抜けて軍隊博物館の庭で暫し日向ぼっこをした。 

家人はもう大方40年ほど前に一人で北欧をサイクリング車で周ったことがありその頃まだ活動的だったコペンハーゲンのヒッピー村を訪れて深い印象をうけたことからそこを再訪したいと言う希望を持っていた。 それから40年経った今、ヒッピーの影はもう社会から殆ど失せて嘗てのヒッピーの面影は今では還暦を越した芸術家たちの中に見られるぐらいのものでそれらのコンミューンというのは世間からはもう殆ど姿を消している。 家人と自分が知り合った頃、芸大の学生だった家人は田舎の農場を改装した一種のコンミューンに住んでいてその時に近隣のコンミューンに住む人々との交流もあったけれどそれも徐々に消えて、今ではそんな場所もあることは承知しているけれど殆どみられなくなっている。 コペンハーゲンのそんなヒッピー解放区でもある「クリスチャニア」に出かけようということだ。 尚、クリスチャニアについてのウィキ゚ペディァに下のような記述がみられる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%8B%E3%82%A2_(%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3)

その近くの小ぢんまりしたカフェで地元のスープとそれにつけ合わされた美味いパンで昼食にしたのちその解放区に入った。 デンマークで観光客が訪れる何番目かの名所であるらしく今ではヒッピーの影はみられるもののほぼ完全に観光化していて人は単に「昔あったあの伝説のヒッピー文化」を見ようとくるようだ。 それにここではソフトドラッグのマリファナやハッシがあちこちの屋台で売られていて、あちこちからいい香りがしてくる。 ただ、その売人たちはヒッピーからは程遠いモロッコ系の若者でアメリカのストリートギャングのような格好で幅を利かせている。 そこに屯する若者たちも同じくアメリカドラッグ文化の匂いとエスニック臭をぷんぷんさせている。 つまりどこを探しても嘗てのヒッピーたちは見つからない。 かれらはとっくに老人介護施設か死に絶えているのだろう。 芸術家や造形作家のアトリエがあちこちに見られるがそれらは普通に芸術家としての作業場であって特にヒッピーとは関係がないように見受けられる。 そしてどこででも見かけるエスニックまがいの土産物屋が一杯店を出して、あたかもヒッピー文化の一角を背負っているような配置なのだがここにはそんな文化はとっくに消え失せているように見受けられ、単に観光地化してソフトドラッグの大っぴらな市が建っているだけのところと見た。 家人は、ヒッピーなどもうここにはいず、そのイメージだけを食い物にして観光地が出来上がっているだけだ、かつての雰囲気はない、と言った。 アムステルダムの港湾地帯の外れに小さいながら観光化していないヒッピーまがいの地区が細々とあるのだがそこは観光地化していないだけにまだ町や普通の社会に溶け込まない芸術家や社会から距離を置きたいような人々が生活している。 それから比べるとここはもう観光地だけのものでしかない。 メインストリートから少し離れたところに普通の集合住宅のような一角が見えたがここに現代風のヒッピー臭を纏わらせ別人種となった何家族かが住まいしているのかもしれないとも思われ、そこにカメラを向けたらネットに数多あるクリスチャニアの写真からほど遠いものとなっていた。 観光地とはそういうものでもある。  


クルーズから戻って喰いたいものと問われたら、、、、

2019年06月07日 12時21分45秒 | 喰う

 

クルーズから戻って数日してからある日、家人が地元のウォーキングクラブの歩こう会に一日でかけるというので留守番をすることになった。 家人から出かける前に、戻ってきたら疲れていると思うから夕食はあなたに作ってほしいと言われた。 自分は去年までもう30年以上、2年前の手術後の半年ほどを除いて週の半分は料理をしていたのだが癌再発後は止めていた。 もう5か月ほど料理はしていなかった。 理由は自分に料理する気が失せたからだ。 量が喰えない、長く台所に立っていると疲れる、抗癌剤の影響か舌の感覚が変わっているのではないか、時々は食事中に胸がつかえたり喰ったものが食道を塞ぐかして胃から腸に降りなくて苦しいことがあり喰うことに喜びを感じなくなっている、というような理由からなのだが、ここにきて急に料理せよという下命があったのでしかたなく今回は承諾したのだった。 家人にしてもこの5か月ほど毎日おさんどんをするのに疲れが溜まっていたこともあるだろう。 毎日病人の口に合うもの、消化がうまくいくのに避けなければならないもの、など普通の料理では喰えないものが幾つもあるなかでの毎日の食事なのだから苦労していることは分かっていた。 それに加え2週間の旅では毎日好きな時にテーブルに着けば目の前に食べ物が運ばれてくる日々だったのだから日常に戻って毎日の支度に疲れが出るのも理解できる。 自分には今、自宅で自分が献立を考える想像力が働かない。

家人が家を出る前に何が喰いたいか尋ねたら、あなたが自分で食べたいものを考えればいい、と返事された。 頭を使わない、新しいものを試みない、慣れているもの、クルーズでは出てこなかったもの、ときには自分で喰いたくなるものとあまり考えず頭に浮かんだものがこれだった。 ドイツでは、ザワークラウトと呼ばれ、オランダではジュールコールと言われるものだ。 今まで何度もここに記してきている献立で今更の感もあるけれど自分の好みの料理であることからして自分で作る中では一番気に入りだと思う。 こういう時にでてくるのだから初めから日本料理は除外してあることを考慮にいれてもこれは自分のソウルフードという冠をつけてもいいものと思われる。 尚、3か月ほど前にも下のように記している。 そのときは家人が作ったもので自分がつくるものとは少々趣が異なり、昔風の素朴な風味を残している。

httpss.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/66260614.html

彼女のジュールコールは昔からのレシピーを踏襲していて、初めから塩・酢漬けの硬いキャベツ、ジュールコールを鍋に放り込み、それに脂身の厚い豚のベーコン、黒コショウ、クーミン、ニンジンを加え最後に現代風にバナナを添えて茹でたジャガイモにその鍋で蒸したソーセージと共にのせるといったものだ。 自分のものは前にも書いたのだがかなり違っていて、初めにベーコンの塊の中から脂身を削いでそれをカリカリに焼き、油とオカキかアラレのようになった塩味の脂滓を分ける。 このカリカリになった脂滓は後で盛りつけた皿の上に振り掛けると美味である。 そして油で少々の長ネギ、インゲンマメ、ニンジンなどを炒めてその上に市版のジュールコールを加え、干しブドウにリンゴジュースを注いで煮るというものだ。 仕上げには5分前ほどに厚く短冊切りにしたベーコンの赤身とここではオレンジを刻んだもの、バナナを乗せている。 当然燻製のソーセージを蒸気にさらしたものが当然のこととして皿に添えられるのだがこの日は二日目のもので、ジュールコールは一層旨くなっていて、前日にはソーセージは完食されていて蒸したジャガイモも昨日の残りをフライパンで焼いたものであるからこれも旨く、趣の変わったものとなっている。 煮物の幾つかは初日より二日目の方が旨いという例にもれないものがこの献立でも証明されている。 自分のこのレセピーはこの30年ほどで自分で試行錯誤の結果出来上がったものだ。 家族に言わせるとこれはもはや伝統的なものではない、現代的で国際料理になってしまっている。 家人に言わせればオランダ料理の野趣が消えかかっているとの批判があるけれど何と言われても自分の好みでこうなってしまったのだから致し方がない。 尤もそんな批判にもかかわらず皆それを完食、お代わりを続けるのだから批判は批判として受け入れるとして自分はこれを変えるつもりは更々ない。