9時から午後4時まで7時間しかないコペンハーゲン滞在の限られた時間内に何をするのか、何ができるのか、と思案する。 このクルーズの旅は我々が今までやってきたものとは根本的にはコンセプトが違う。 今まではバカンスに行き、ある都市を訪れるとなると3日ぐらいはそこに滞在してその短い滞在ではあるけれどその町に行ったということを少しは感じるというのが基本だった。 例えばオランダから車でオーストリアのチロルに行くとすると途中のミュンヘン辺りの市立キャンプ場に2泊や3泊して町をゆっくり散策してから目的地に移るといった具合だった。 少しでもその町にいた、寝泊まりした、という感じを味わいたいと思う。 それが朝出かけて午後に船に戻れというのだから自分が御上りさん、普通の観光客以外の何者ではなことを今更ながら思い知らされるのだ。 今回の旅では自分でここに行きたいという希望は何もなく、そういうことは家人に任せて自分はただ町をあるきたいという気持ちだけだった。 できるだけ観光バスに乗りたくない。 時間がなければせめて町を一回りして繁華街や町の中心地ではなくそこから遠く普通の人の住んでいるところを市電で周りたいとも思っていた。
コペンハーゲンと言う町はいろいろな島を繋ぎ合わせた形で都市となっていてその島々を繋ぐ部分には必ず橋があり、そこに行くと運河のような水路が認められ一見オランダのまちのように見受けられるけれど建物のサイズがかなり大きいように思う。 それは後ほど訪問するサンクトペテルブルグとまでは行かないものの日頃スケールの小さいオランダの町で生活しているとこんな町に来て歩くと距離感が増すような気がする。 五稜郭のような形で造られた嘗ての砦、いまも形式的ではあるけれど軍隊の兵舎のあるところを抜けるとじきに町の中心地らしいところにでる。 大通りで美術・骨董品のギャラリーがならぶところを突き抜けて市役所を目指す。 途中のカフェでコーヒーとデー二ッシュ・ケーキの休憩をとってからまた歩きはじめ、だだっ広い市役所の入口の脇を抜けて軍隊博物館の庭で暫し日向ぼっこをした。
家人はもう大方40年ほど前に一人で北欧をサイクリング車で周ったことがありその頃まだ活動的だったコペンハーゲンのヒッピー村を訪れて深い印象をうけたことからそこを再訪したいと言う希望を持っていた。 それから40年経った今、ヒッピーの影はもう社会から殆ど失せて嘗てのヒッピーの面影は今では還暦を越した芸術家たちの中に見られるぐらいのものでそれらのコンミューンというのは世間からはもう殆ど姿を消している。 家人と自分が知り合った頃、芸大の学生だった家人は田舎の農場を改装した一種のコンミューンに住んでいてその時に近隣のコンミューンに住む人々との交流もあったけれどそれも徐々に消えて、今ではそんな場所もあることは承知しているけれど殆どみられなくなっている。 コペンハーゲンのそんなヒッピー解放区でもある「クリスチャニア」に出かけようということだ。 尚、クリスチャニアについてのウィキ゚ペディァに下のような記述がみられる。
その近くの小ぢんまりしたカフェで地元のスープとそれにつけ合わされた美味いパンで昼食にしたのちその解放区に入った。 デンマークで観光客が訪れる何番目かの名所であるらしく今ではヒッピーの影はみられるもののほぼ完全に観光化していて人は単に「昔あったあの伝説のヒッピー文化」を見ようとくるようだ。 それにここではソフトドラッグのマリファナやハッシがあちこちの屋台で売られていて、あちこちからいい香りがしてくる。 ただ、その売人たちはヒッピーからは程遠いモロッコ系の若者でアメリカのストリートギャングのような格好で幅を利かせている。 そこに屯する若者たちも同じくアメリカドラッグ文化の匂いとエスニック臭をぷんぷんさせている。 つまりどこを探しても嘗てのヒッピーたちは見つからない。 かれらはとっくに老人介護施設か死に絶えているのだろう。 芸術家や造形作家のアトリエがあちこちに見られるがそれらは普通に芸術家としての作業場であって特にヒッピーとは関係がないように見受けられる。 そしてどこででも見かけるエスニックまがいの土産物屋が一杯店を出して、あたかもヒッピー文化の一角を背負っているような配置なのだがここにはそんな文化はとっくに消え失せているように見受けられ、単に観光地化してソフトドラッグの大っぴらな市が建っているだけのところと見た。 家人は、ヒッピーなどもうここにはいず、そのイメージだけを食い物にして観光地が出来上がっているだけだ、かつての雰囲気はない、と言った。 アムステルダムの港湾地帯の外れに小さいながら観光化していないヒッピーまがいの地区が細々とあるのだがそこは観光地化していないだけにまだ町や普通の社会に溶け込まない芸術家や社会から距離を置きたいような人々が生活している。 それから比べるとここはもう観光地だけのものでしかない。 メインストリートから少し離れたところに普通の集合住宅のような一角が見えたがここに現代風のヒッピー臭を纏わらせ別人種となった何家族かが住まいしているのかもしれないとも思われ、そこにカメラを向けたらネットに数多あるクリスチャニアの写真からほど遠いものとなっていた。 観光地とはそういうものでもある。