暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

子供たちと過ごす (2)

2019年06月25日 00時52分26秒 | 日常

 

2019年 6月 19日 (水) ー21 日 (金)

19日  この日は電話で2件 栄養士と食餌について、国立癌研の執刀医とは2か月ほど前にライデン大学で撮ったCTスキャンについてのセカンドオピニオンを聴くという予定があって一日中家で待機というつもりだったのが二人とも午前中早くに電話をかけてきたのでものごとがすんなりと行き、予定していた時間が大幅に空いた。 娘は Karwijk の浜で泳ぎたいというので11時を周って彼女の車で出かけた。 25℃を越す陽気だったのだがいつもそよ風が吹いていて爽やかだった。 もし風がなければむしむしして暑かったかもしれずそのときは自分も水に入っていたかもしれない。 先ず魚屋のレストランで魚のスープで昼食を摂ってから浜辺に出て浜のカフェーでデッキチェアーを借りてそこに寝そべった。 気持ちよく、持って行った本を読んでいる間に1時間近く居眠っていたようだ。 その間に娘は水に入って泳いでいたようだ。 そよ風と言っても水の中では冷たくないものの水から濡れた体で出ると肌寒いらしく何百人と浜辺にいても泳いでいるのは娘ぐらいだった。 もう少し風があれば借りてウインドサーフィンができたのにと残念そうだった。 

20日  この日は何か月か前に焼いた鼻の毛細血管の結果を担当医と早朝に話し、午後から胃カメラを呑んで検査することになっておりこれについては先日そのときの写真と共にここに記した。 

21日  娘がロッテルダムの写真美術館で開かれている Ed van der Elsken の Lust for Life展 (生への渇望)展に行こうといい、それに付いて行った。 Ed については1985年に知己を得、その後2週間の日本旅行に同行した後、家族ぐるみで付き合っていた。 生まれて半年たった孫の顔を見に日本から母親が来た時も子供を連れてエドに会いに行ったし、その後北ホランダ州の家に泊りがけで訪れたこともある。 1990年の暮れに亡くなったときにはエドの家から牧場ごしに見えたエダムの大聖堂で葬儀に参列し裏の墓地に埋葬されるのにも立ち会っている。 その後何回かの回顧展にはそのオープニングで未亡人とその後の様子を話していもいた。 未亡人自身写真家でもありここに来るのは何年か前にロッテルダムのこの写真美術館で彼女が個展を開いた時にそのオープニングに来て話して以来だ。 この間娘たちとこのそばの古いホテルで昼食を摂って遊んだ時にこの展覧会のポスターを見ていて開期が5月から10月までとかなり長いのでそのうちに来ようと思っていたから娘の提案に二つ返事でのったのだった。

この展覧会はエドの活動でモノクロ写真が一般に知られていることなのだがここではカラー写真にスポットをあてて特集していることだ。 膨大なネガのうち42000点のカラースライドが劣化・剥離の危機にありその補修・復元作業が一応済み、そのまとめを見せる意図もあったようだ。 驚いたのはいままで見知っていたモノクロ作品がコダック・エクタクロームのカラースライドからモノクロとして焼かれたものが多かったことだ。 その経緯としてエドはオランダでは50年代の終わりごろからカラースライドフィルムで撮っており当時はまだプリントに難点が多くカラー作品は写真の世界では「芸術」とは認められていなかったときに既にカラー作品集を上梓しておりそのときの保守的な批判が今では如何に陳腐なものとして響くかとの資料として示されてもいる。 自分も実際60年代後半にエクタクロームやサクラ、フジのカラースライドを使って撮ったこともあるけれど当時でもまだ自分で現像することもたやすくなく、ほとんどがモノクロフィルムを自分で現像することで満足していたことを想い出す。 当時のカラードキュメンタリーが会場で流されておりエドの声を久しぶりに聴いて嬉しかった。 

https://www.nederlandsfotomuseum.nl/tentoonstelling/lust-for-life-ed-van-der-elsken-in-kleur/

この日の午後、ロッテルダムから帰宅すると家人が骨休めの北の島でのバカンスから戻っていてそれと入れ替わりに娘がロッテルダムの自宅に戻って行った。