暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

木靴を履いて落ち葉集めをした

2016年11月27日 17時04分43秒 | 日常

 

 

昼前に寝床から起き出しイチゴジャム、セロリのみじん切りをヨーグルトソースで和えたサラダをカリカリに焼いたトーストの上に乗せ500ccの濃いミルクティーで日曜のブランチを摂った。 さて、と残りのミルクティーを手に屋根裏部屋に上がりメールやネットのニュースを眺めていると家人が来て、やって欲しいことがあるんだけど、という。 別段何の予定もなく昨日、一昨日の様な上天気でもないから歩く気にもならず家にいようと決めていたから言われるままに作業をした。

庭仕事だ。 秋も過ぎ冬に入ると枯れたものを掃除して凍てつく厳寒に備える。 つまり落ち葉掻きだ。 もう何週間も緑地の端に毎年のケージが出来ていてそこに掻いた落ち葉を各家庭から持ち寄って集めて置く場所なのだ。 一杯になれば市当局が処理場に持って行き他の有機物と混ぜてコンポストにするのだろう。  家からは100mほど離れたそこに落ち葉を持って行かなければならない。 もう何十年も前なら庭に落ち葉を集めて焚火をすればそれで済んだのだが今ではそうはいかない。 そんなことをするとすぐに警察と消防車が飛んでくる。 農家ですら禁止されているのに各家庭がこんなことをしてはCO2排出環境汚染の監視が厳しい折謝罪一筆だけでは済まない。 先月大阪の田舎で遠くの田んぼから焚火の煙がいくつも上がっているのをみてまだ田んぼがあることと日本では環境監査がゆるいのだなと感じたのだがいざオランダの我が家でそんなことを思い出しながらもう60年ほど前の家や近くの畑で焚いた火の匂いと時々ひっくり返して焼き具合を確かめるサツマイモの味を思い出した。 殊に籾殻で焼いたものの美味さはひとしおだった。 それに小学唱歌でこういうのも習ったのだが今の日本の子供たちには現実的なものとして響くのだろうか。

焚火(たきび)

作詞; 巽 聖歌

作曲;  渡辺 茂 

垣根の 垣根の 曲がり角  焚火だ焚火だ 落ち葉焚き
あたろうか あたろうよ  北風ぴいぷう 吹いている

 山茶花 山茶花 咲いた道 焚火だ焚火だ 落ち葉焚き
あたろうか あたろうよ シモヤケ お手手が もうかゆい

木枯らし 木枯らし 寒い道  焚火だ焚火だ 落ち葉焚き
あたろうか あたろうよ  相談しながら 歩いてく 

 

もう歳なのか子供の時に歌った唱歌が思わず頭に上ってこのところ何かにつけてここに書いている。 青年、壮年、中年にはそんな悠長なことに関わっている暇もなく、唱歌などとても口や頭に上ることはないのかもしれない。 だからこれは日々何もしない隠居同然の年寄りが子供の頃の記憶の中で遊んでいるというパターンなのかもしれない。 いずれにせよそんな老人でも作業用の手袋をして金属製の熊手を使ってあちこちから掻きだして集めては容器に放り込み手で押さえつけていっぱいまで詰め込みえっちらおっちらケージまで運んでぶっちゃけることを4、5回やった。 落ち葉だから重くはないけれど軽くもない微妙なものだった。 それを4、5回もやれば今日の運動には充分と後はソファーに沈んでテレビを眺めた。 

庭を眺めるとバラがまだ5,6輪咲いているのがみえた。 それにまだ幾粒か蕾が咲きかけていたのでおや、と思っていた。 10日ほど前今年最後の薔薇と題して写真を載せて下のように記したがそうではなかったことになる。 このところ急に寒くなったのだがそれまでは暖かかったのだからその余熱がボディーブローとして効いていて普通ならとっくに済んでいる薔薇の季節にまだ咲いているのだ。 10年ほど前のまだ寒い冬が続いたときの今の時期だったら庭に何の緑もなく一面の枯れ枝だけだったものがまだあちこちに赤やピンクが残っているのだから今年もまだまだ暖冬なのだろう。 薄氷はもう張ったが何週間も氷の上で遊べるような冬にはならないだろうと予測するけれどどうだろうか。 あと10時間もすれば-3℃になると天気予報は言っている。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/65405480.html