暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

’16秋、一か月の帰省(3);蕎麦に冷酒

2016年11月18日 19時10分37秒 | 喰う

 

この何年も関西空港を発つ前に食堂で蕎麦を喰うのが習慣になっている。 だからこの何年も日本最後の食事は笊蕎麦ということになっている。 朝8時前にスーツケースをカウンターに渡しベルトコンベヤーの秤の数字が23kg以下かどうか気にしながらあとまだあと500gいけると知ると嬉しくなり、機内持ち込みのデイパックだけで軽くなったら、さてこれから2時間半ほどブラブラと時間を潰すのにまず朝食をと開店し始めた食堂街をブラブラ眺めながら何にしようか迷うのだが、昔は朝からカレーや餃子などでビールだったのがこの何年かはもうそれが出来なくなっている。 腹にもたれるのだ。 若い時から胃は丈夫で腹一杯喰わなければ満足できない百姓腹なのだけれどこの何年かはこれから狭い機内に10時間以上座ることと飛び立ってから3時間ほど経てばあまりうまくもない機内食が始まることも計算に入れてどっしりとしたものを腹に詰め込むということはできないからだ。

そんなときに一番軽いものを物色していて習慣になったのがザル蕎麦に常温の冷酒だ。  まず冷酒がでてきてそれにつまみとして甘くない、蕎麦を軽く揚げたカリントウ仕立てのものが添えられてそれをポリポリ齧りながら冷酒を飲んでいるとザル蕎麦がでくるという趣向だ。 そこに山葵の根がでてきて大根おろし器の小さいのでゴシゴシ擦ってタレに山葵おろしをいれるというなかなか悪くない年寄り向きの朝食ができる。 済んでから蕎麦湯が来てそれをタレに注いで飲めば出来上がりで腹の調子も悪くない。 それをこの3,4年で10回はやっている。 けれど今回はそれを何日か前に昼食として口にしているので今回は気が変わりとんかつ屋でカキフライをビールで喰った。 添えられたキャベツも白米も3分の1ほどしか喰わず大粒のカキフライを今回日本最後の食い物にした。

滞在中大阪梅田にアイルランドで壊したレンズキャップの代えを買うのとジュンク堂書店でめぼしいものをみつけるのにキタを歩いていると書店の近くに菅原道真が大宰府に流される前に立ち寄ったと言われる網敷天神御旅社という小さな社があってビルの間に窮屈に収まっているのが哀れでおかしかった。 1時間ほど静かな書店にいて2,3冊買って外に出れば1時を廻っていた。 あまり腹が減っていなかったけれど地下鉄の駅まで歩いて行く途中に蕎麦屋があったのでそこに入り冷酒でザル蕎麦にした。 初めに出てきたのが写真のこれだ。

 合成樹脂にちがいないけれど侘びた塗りに模した酒器、カリントウ様のカリカリした蕎麦なのだが蕎麦色をしていない。 味のないチキンラーメンを齧っているような気がしたがこの酒器に免じてその後のあまり特色のないごく普通のザル蕎麦を腹に入れた。 蕎麦湯は呼ばないと持って来なく、その向うに二十歳ぐらいの娘が大きなうどんの丼に五目飯の定食を元気に腹に入れていた。 今回の滞在中昼食は軽いもの軽いものと考えながら喰っていたように思う。 こんなことは今までなかった。 明らかに老化現象なのだ。 それから5時間ほどして女友達と晩飯を食ったが待合わせた場所についても腹が減っていなかった。 空腹を感じるあの健康はもう戻ってこないのだろうか。


雨がふります 雨がふる、、、、

2016年11月18日 16時26分39秒 | 日常

 雨(あめ)

作詞;北原白秋  作曲;弘田龍太郎  1919年

雨がふります 雨がふる
遊びにゆきたし 傘はなし
紅緒(べにお)の木履(かっこ)も緒(お)が切れた

雨がふります 雨がふる
いやでもお家で 遊びましょう
千代紙(ちよがみ)おりましょう たたみましょう

雨がふります 雨がふる
けんけん小雉子(こきじ)が 今啼(な)いた
小雉子も寒かろ 寂しかろ

雨がふります 雨がふる
お人形寝かせど まだ止まぬ
お線香花火も みな焚(た)いた

雨がふります 雨がふる
昼もふるふる 夜もふる
雨がふります 雨がふる

 

この二日ほど降り続く雨に嫌気がさして外に出なかった。 仕方なくオランダ木靴を履いて裏庭の物置にあるビール瓶を何本か取りに雨に打たれて芝生の上を急いで往復しただけだった。 だから窓の外を眺めているともう何十年も口にしたことのない童謡が溢れて来た。 といっても全て覚えているわけでもなく、雨が降ります雨が降る遊びに行きたし傘は無し、、、で、その後かろうじてべにおのカッパのおがきれた、、、、と覚えていた。 だれに教えてもらったのでもなく聞き覚えだったに違いないから今ネットで牽いた北原白秋の第一次世界大戦終結、ベルサイユ条約が締結された年の全歌詞を見て驚いた。 何とも今からすると異次元の昔の日本だと感じる。

自分は定年年金生活者で予定もない毎日に退屈して外に遊びに出ようかと考えている午後の冬の雨だ。 遊びに行きたし傘は無し、でもなく、遊びには行きたし傘もポンチョもあって、無いことはないのだから出かけるつもりになれば車でも出かけられるけれどこの雨の鬱陶しさにその気にもならず隣近所の老人たちと同じように窓の外をただ眺めているだけのことをしている。 晩飯の支度をしなければならないのだが幸いなことに昨日雨が止んだ暫くの間に久しぶりに車で重いもの、嵩になるものをスーパーで買っておいたから外に出なくともいいというわけだ。 肉の煮込みにはまた木靴を履いてちょっとは雨に濡れながらも庭のハーブを4,5種類摘めば済むからそのとき急いで台所のドアから入ってくれば面倒なこともない。

しかし、中途半端な覚え方をしていたものだ。 紅緒はいいとしてカッパが木履(かっこ)だったとは。 かっこ(木履)という言葉は聞いたこともなかったし知らなかった。 漢字でそれが木の履物、つまり下駄だとわかるけれどそれをカッパと覚えていてそれは雨合羽の合羽だと思っていた。 それにしても紅緒の合羽の緒とは何なのだ、そんなものはない。 妙なイメージが浮かぶ。 ただ、遊びに行きたし傘はなし、、、けれど結局は、遊びに行きたいのだけれどその気にはならない、、、だったのだ。

大学生のころ60年代の日本のフォークから派生して四畳半フォークというような惨めなジャンルが流行っていてその一つに「傘がない」というのがあった。 都会では自殺する若者が増えている、自分は彼女に会いに行きたいが傘がない、、、、というような内容だったのではないか。 そのころそんな日本の若者にアピールする「フォーク」は嘗て聴いていたフォークではないとして毛嫌いしジャズしか聴かなかった時期だった。 そんな歌ならよっぽど演歌の方がいいとも思っていた。

窓の外で小雉子が鳴いているのが聞こえる家など今頃あるのだろうか、あったとしてどんな田舎なのだろうか。 その後の、人形を寝かせて線香花火を(家の土間で)焚いた、、、とくる。 そして昼も夜も雨が降るのだ。 1919年以降戦後までアピールする、雨が降ります、の世界とは今は様変わりして都市化が進み、更に全国どこにいっても同じような住み方になっている均質社会の現在、この童謡が口に上るのは過疎化が進んだ村に一人住む老人がこういう雨に口づさむときだけぐらいかもしれない。 そしてこの何日かで80歳以上の老人が止むに止まれぬ必要から路に出て運転する車がアクセル、ブレーキの混乱で自分の孫や他人、子供を曳き殺してしまうというような悲劇の背景にこの童謡の世界を引き摺る人々が重なり、ただ窓の外を眺めて遊びに行きたし傘はなし、と歌いながらただ外を眺めているだけ、でかけなくともいいような社会がいつ来るのか夢想する。 そういう老人から傘を取り上げる、いや免許証を取り上げるだけでは何の解決にならないのはその老人たちの都会にいる子供たちには十分わかっているのだが、、、、。

こんなことを書いていてその間にも降り続ける雨にもウンザリしてこのページには昨日か一昨日雨の間にほんの一瞬見えた夕空の写真を掲せてせめてもの慰みにする。