暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

認知症の老母を見舞って(3)秋祭り

2016年11月07日 16時28分34秒 | 日常

 

10月4日にオランダから関西空港に着いてそこから遠くないレオパレス21の賃貸しアパートに1か月暮らし11月4日にオランダの家に戻った。 8月の終わりから9月の初めにかけて2週間弱慌ただしく来日していたのだがその後、母の容態が落ち着きそうだったので当初は10月、11月と2か月住むつもりだったものを今回は1か月に短縮した。 容態は5月に比べると驚くほど悪化しているけれど一時は覚悟した9月に比べると少しは落ち着いて、この分ではこれは長期戦になると感じ、来年にも同じようにして戻ってくることになるだろうとも感じている。 

親戚の者は3度の眼の手術で麻酔が引き金になりそれによりは母は突然植物人間のようになったと言う。 寝たきりで移動は車椅子、話すことはなく殆ど首を落として居眠り、目を覚ましてこちらを見る眼に力がなくこちらの言うことを首を動かすか指を微かに動かして意思を示すだけだった。 それが今回では眼に微かには力が認められ微かにほほ笑むこともあるのだがそれも毎日のことではない。 食欲がなく介護師がスプーンで根気よくほぼ液状にしたものを口に持っていくもののその味か舌触りからかじきに口を噤む。 医師からは老人性の鬱が顕著であり薬物で鬱を晴らすべく、それによって食欲も徐々に増やす、けれどそれには時間がかかる、との診断を受けている。 月曜と木曜はデイサービスで自分の部屋から1日出るからこの2日は母の下に通わないで他のことをする。 殆どが10時半ごろ介護施設に着き彼女の昼食に付き添い、その後外に出て自分の昼食を済ませ戻り6時前の夕食に付き添い部屋に戻り安楽椅子に坐らせ介護師が母をベッドに8時前に横たえた後帰宅するという1か月だった。

滞在の最後の方で2日ほど鬱が薄れて陽が射したように30分ほど話ができたけれど後は居眠りの老人の傍にいるだけだった。 これには疲れた。 介護師たちには日常でありテキパキと身の回りの物を整え介護するのをこちらは黙ってみているだけで自分の無力を悟ったし彼らにしてみれば自分の存在が老人に嬉しいという感情を起こしているしその兆しが十分あるというけれどこちらには分からない。 自分には何もできないけれどこのルーティーンを続けるのが自分の仕事だと毎日通った。

1か月もそのようにしていると母の容態、気分の上下、介護師の、介護師たちとの微妙なところにも多少は触れるようになり徐々に自分もこの環境に慣れて来たけれどそれでも沈む夕日を戻すことが出来ないことを納得しなければならずそれは楽ではなかった。 友人、家族の助言があってなんとか自分も鬱の縁から距離を置けるようになったと思えるようになったと思うのはオランダに戻って少し落ち着いたこの頃だ。

10月10日は自分の育った村の秋祭りであり去年は車椅子に乗せた母を伴ってそこに出かけ村の知人、老人たちとも顔を合わせ話も出来たのだが今年はそれももう不可能になっている。 介護施設のある場所は自分の本籍のある土地でそこでも10月10日は秋祭りの山車を練り歩く。 昼前に介護施設に着くと今さっきその山車がここを訪れ母も車椅子からそれを楽しんだと聞かされたが部屋に来てそれを訊ねると微かに頭を下げただけだった。 またそこで1日過ごし暗い田舎道を駅に向かうとそこだけ祭りの提灯が雲間からの満月に並んでいてそれが見上げられた。 去年今年の秋祭りをこのように過ごしたもののさて来年はどのようになるのだろうかという気が重く頭をよぎる。


大阪土産

2016年11月07日 13時15分06秒 | 日常

 

喰い物は別として毎回日本に帰省するたびに何かしら自分たちのための土産を買う。 別段どうというものでもないのだが何かの記念なりあればいいな、そろそろあれも買い替えの時期だと思うような物たちだ。 そしてそれが今回はジャガイモの皮むきナイフだった。 36年前にオランダに来て自分で料理するのに買ったものがこのジャガイモの皮むきナイフだった。 こういう形のものが珍しかったこととこれからジャガイモ文化の国で暮らすということもあって、ナイフはドイツのゾーリンゲンだという思い込みもあって双子のロゴのツヴィリングのものを20年ほどほぼ毎日使っていたのだがついに持つところが木だったからゆるみが来て15年ほど前に買い替えたのが上の三本刺す又のマーク、 ヴュストホフのもので4034/6cm  x46Cr13  と腹にあるのが読み取れる。 持つところは合成樹脂なのでしっかりしたものだ。 これと同じような長さでやはりこの36年愛用しているゾーリンゲンの一番安物でステンレスでない錆びる鋼の小さなナイフがあって実際はこれを一番使うのだがそれは時々研がなければならないのだけれどその薄さと切れ味から重宝しているのだけれど安物だから木の持つところがふやけて腐るようになり大抵は5,6年で代替わりをさせなければいけなくこの何年かはそれもステンレス製に替わり少々切れ味が落ちたと感じるものの日常それで不都合はない。

上の ヴュストホフ ナイフも代替えしたときにステンレスであったし元々のツヴィリングのものもステンレス、今は殆どステンレス製で鋼は鋼でもステンレス加工がしてあるのだが子供の時の百姓家での鋤、鎌が研がれるのを見て育ち自分も子供の時から肥後守を使って遊んだことから錆びる鋼に愛着があって安物のゾーリンゲンナイフを好んでいたのだが時代はもう錆びなくて研がなくともいいステンレス製が席巻するようになっている。 

大阪に帰りどこに行くかというと難波や新世界をうろうろする。 難波で吉本の劇場の前の道から始まる道具屋筋という通りがあってもう何年も前から通りのアナウンスが日本語・英語・中国語に韓国語というようになっていて観光客も多い通りなのだが厨房器具を売る店が並んでいて見るからに楽しく外国人たちには食堂に陳列するサンプルを売る店が人気でもありオランダ人の友人たちには珍しい暖簾や椀、大阪名物タコ焼きや食い倒れ人形などの小物を買ったりもする。

その中で一番の気に入りが堺の包丁メーカー、堺一文字光秀の店だ。 プロ用の包丁が主でゾーリンゲンのものまでを揃えていてここには何回来ても見飽きることはない。 店頭に銃口を塞いだ種子島銃や刀と見紛う1m以上ある各種包丁を飾ってあるだけではない。 何か子どもの頃おもちゃ屋や何かすごいものが飾ってある店のそこから離れられなくいつまでも用もないのにうろうろしているような種類の店でもある。 だからここに来るのは料理が女性のものという偏見やプロの料理人の多くが男であるという常套句の通りいつまでも付かず離れずいつまでも眺めているのが外国人・日本人の男たちである。 そこで今回家人が買ったのは掌の中に入れて人差し指と親指で刃先を挟んで糸を切る昔ながらの裁縫挟みと爪を切った後滑らかにするヤスリと息子の料理用のかなり大きな白鋼キッチンナイフだった。

さて、自分の土産の堺一文字光秀、鍔のロゴが16世紀琳派の金箔に映える緑で記された SWORD というもので今日初めて使ってみた。 マッシュポテトに煮込んだ牛肉のメニューにしたので小ぶりのジャガイモを10個ほど剥いてみた。 こちらの表現でよく切れることをナイフでバターを切るように、というのがあるが正にその通りだった。 注意しないと手を滑らせたら確実に左手を切るに違いなく注意しながら何個も剥いていると桃を切っているような感じもしないでもなかった。 ただヴュストホフのものでは握る人差し指から小指までがきっちり湾曲した持ち手の下側に入ったものが一文字のものではすっぽり入り小指のあたりが手持無沙汰の感もありこれも慣れの問題なのだとした。 それにこのサイズの違いにはドイツ人と日本人の肉体的サイズの違いが考慮されているのかもしれない。 ヨーロッパではプロは男だったことに加えてこの何十年かは男も女もキッチンに立つからこのサイズであるものの日本なら女性には少々手触りがごつごつするかもしれずその点一文字のものは日本人の男にも、とりわけ女性ににも丸く収まりそうだ。

尚、今日の献立を決めたのはこれでジャガイモの皮を剥きたいということもあったのだが2年ほど前にこの包丁屋で買ってこのブログに写真も載せた青鋼の錆びる包丁を使いたかったからでもある。 これを息子にも一つと思ったのだが青鋼のキッチンナイフはもう造っていないと言われて白鋼のものにしたのだった。 皮を剝いてから水洗いしたあと拭いて写真を撮ったらジャガイモの汁が乾いて粉になったものが持つところに付いていた。