暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Robert Rook Trio Nov 5 '10

2010年11月08日 22時50分59秒 | ジャズ


雨のしょぼ降る金曜日の宵に地元のジャズカフェーに出かけた。 ベン・ウェブスターが最晩年に立った9平米ほどの舞台でこの日の三人が準備していた。 6つほどのテーブルにバーのつめれば10人ほどが並べるカウンターには3,4人、あちこちのテーブルでは学生風のグループが賑やかに喋っていた。 定刻を10分ほど周って「あなたと夜と音楽と」が前触れもなく演奏されてこの日の「コンサート」が始まった。 メールここで演ると知らされたのは前日だった。 そのせいか日頃みるジャズ仲間の顔も見えずまるで雑談部屋でジャズが鳴っている、と言う様相だった。 内容はどうか。

三年ほど前にちゃんとしたホールでのこの人のコンサートに行ったときのことを次のように記した。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/49110308.html

レパートリーは上記とほぼ同様でありながらこの日の環境、客の種類からこのトリオのリラックスした試みが聞けたような気がした。 R.R.のCDやDVDで聴ける静的なもの、こまやかな叙情を排した、荒々しくも熱のこもったものが演奏され、ここではジャズには興味が多少はあっても、熱に圧倒されてその結果そこから離れる気配の強い若者の多い会場でその雑音に拮抗するかのような緊張感も多少は漂い、普通ではなかなか聴けないところに行き会ったという気がした。

R.R.のサイトには英、蘭、日のCD評が検索できるようになっていて3つほど日本の評がある。 そのなかにR.R.を「隠れた天才」と書かれているのをみた。 なるほどR.R.の履歴からすればそうかもしれない。 ユトレヒト大学で数学を修め、コンピューターのプログラミングを経験してからのジャズピアニストなのだ。 頭の回転が大層速く、それをその都度自分の動きで確認しようとするのは彼の指の動きに現れているかもしれない。 話してみると分かるかもしれない。 率直な意見のさまざまなところでR.R.の笑いが弾けるのは彼の頭の中で知の回路が過熱気味に働きそれを押さえるための笑いかもしれない。 普通は知はクールなもの、情熱は熱いもの、とたとえられるけれど彼の場合にはその結合、知が情のもとになって短い距離で互いにフィードバックする、ということになっているのではないかと忖度する。 

音の調整だけはできているけれどここの安物のピアノの鍵盤が重いという、とくに右手の中音のあたりらしい、2,3日前に重い大きな植木鉢を幾つも運んで右手の筋のぐあいが良くないのでそれは手のせいか、ピアノのせいかベースにちょっと指で鍵盤のそのあたりをみてくれと頼んでいたのだがベースもこれはこころもち重いなあとのコメントで、嬉しいような、嬉しくないような、といって始めたセットだったのだが始まればそんなことはすでにどこにもないような飛ばし方である。

そのとき、In Your Own Sweet Way というのを彼のこの状況下でのやり方で演じたのを片手の中に入るデジカメで12分ほど録画、録音した。 貧しい音質だが、雑音と熱は伝わるだろうと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=paRuqpkMJEA

久しぶりに25kmほど歩いた

2010年11月08日 04時10分04秒 | 日常


今年の秋は長いこと歩いていないからどこか歩こうか、と家人が見つけてきたコースを土曜日一日歩いた。

前の晩というか、朝3時間ほどしか寝ていなくて、そのまま朝8時前にうちを出て電車でアムステルダムを通り越し Heiloo というところまで行った。 そこから平らな田舎道、牧草地の縁、水路の脇を10kmほど歩き、 Egmond という村に着き、そこでは昔の風車の内部をそのままカフェーにしたところで休憩しそのあとはこの日の第二部ともいうべき砂丘の森に向かった。 

砂丘の森というのは妙な響きだがフランスの北東からバルト三国あたりまで北海沿いの海岸はほとんどが岩のない砂地で、海岸から内陸部まで2,3kmは古い砂丘がベルト状に続いている。 内陸部からは針葉樹、広葉樹、低木の森、ヒースなどの比較的貧しい土地に生える草地の構成となっていて、むきだしの砂だけの丘はほんのわずかにそのまま砂浜からひろい遠浅の海になっている。 むしろ海岸線保護、海からの侵食を防ぐためできるだけ植物を植えて国土を保護しようと絶えずどこかしこで海岸の保全工事がみられる。 これも水から土地を作り一旦作ったらそれを何としてでも守ろうと言う国是でもあるからだ。 

けれど、水際から砂浜、そこからすぐのむきだしの砂の丘は砂丘といっても別段問題はないけれど、この内陸部の森のあたりをどういうのだろうか、古い砂地の上にそういう森や草地がベルト状となって海岸に平行に続いているのだからここでは砂丘の森と書くけれど、おおまかにいって砂丘なのだ。 オランダ語で duin、 英語では dune、 と言われ砂丘と訳される。 砂丘と書くとなぜか中東、北アフリカやモロッコの砂だけの丘が想像されるがここでは様々な相がみられる森なのだ。 ただ地面が砂というだけだ。 しかしこの幅2,3km時には4,5kmという緑のベルトが面白い。

内陸部から海に行くのに行く手に緑のこんもりとした丘のベルトがみえてくればそろそろ海に近づいたと見ていい。 今まで全く平らだったところが徐々にのぼり初め木立が続き、そういう場所はほとんどが国の林野庁に管理された森となっている。 砂地であるからろ過された雨水を溜めておいて水道水にするための湖もところどころにあるから入れないところもある。 これらの丘は砂地であるから層が貧しく、人がやたらと歩き回るだけで植生を壊すことにもなりかねないから森はともかく草地では厳しく人の歩けるところは小道の幅2mほどだけだ。 山をもたないオランダでは多くの人がこの丘に来てわずかではあるけれど森の中の登り下りで山の中にいるような気分を味わうのだ。 我々もその例外ではない。

ガイドブックには「鳥の道」というふうなタイトルがついているけれど、この日は特別な鳥は何一つ見なかった。 どこにもいる野鴨、バン、白鳥にかもめ、などの水鳥、森の中ではクロウタドリ、すずめにカササギぐらいなものだった。 動物の糞はあちこちにみられウサギ、ヤギ、鹿などのものもみとめられるけれど実際にこの日に動いているものを観た動物はこのような荒地でも生き残れるからと放牧されている角と毛がやたらと長い茶色のスコットランド種の牛ぐらいだった。 この隣町では開発で森に迫った住宅地に鹿がでて柵の破れ目から人家の庭に入り住人が驚き戸惑っていると苦情が出ていたことがある。 一旦破れ目からでた鹿は自分の居住地区にもどるにはそこから戻るしかなく、大抵はそんなことをするわけもなくそのへんをうろうろするわけで、見つけたら捕獲してもどす、柵を修理するということで終わりになる。 日本ではこの秋、山から熊が下りてきて里に出るということがいくつも報道されて何頭かは射殺されていたようだがここではそんな危険な動物はいず、鹿にしても捕獲はできるようだからもとに戻して、そのほかのものは住民が殺して喰ったというぐらいかもしれない。

この日はこの森に入るまでほとんど人に会うことはなかった。 水路の入り組んだ牧草地など土曜の昼間に歩くものなどいないし前日までの雨がしみこんで水路の堤もかなり緩んでいるように見受け、実際草の上を歩いてもその下で泥が動くようなところもあった。 そんなところでも羊が群れているから我々がそちらに移動するにつれて脇にのいて我々は羊達の沈黙の中を歩くことになるし、白鳥のつがいが水辺の土手に座っているところでは羽を広げ気味にしたオスに猫の威嚇音より低い周波数で威嚇される。 そんなときにはそのまま突付かれてもいいからとリスクを背負って直進するか譲って少々泥濘の低地に迂回するかということになるけれど今回はまだそんな巣からは2mほどは距離があったからそのまま進んだ。

オランダには松が少ないから松の森に入るとその匂いで安らぐ。 こういう海浜なりここから100kmかそれ以上はなれた内陸部の砂地の森などを歩くと同様の匂いに包まれてそこが内陸か海沿いか迷うことがある。 例えば広大な国立公園内にあるクレラー・ミュラー美術館のあたりもそうだ。 もう四半世紀以上前はじめて画家の知人に連れて行ってもらい贅沢なコレクションをみたあと森でピクニックをしたときに誰もいない松林のはずれに広大な裸の砂地があって海までどのくらいか聞いて驚いたものだ。 その翌日にはゼーランド州の海岸で泳ぎそこでも同じような松林があって不思議な感じがしたのを今でも覚えている。 全ては氷河期がもたらしたものらしい。

森のはずれあたりからポツリポツリと雨粒が落ちてきてすぐさまリュックのポンチョを被ったのだがそれもそのまま15分も歩いている間に乾いてしまったのでせっかく抜いた刀の納め方に困る武士の困惑ぎみでこんなはずではなかったにとおずおずとまた巻き戻してリュックに突っ込んだあたりで見知った海岸通に出た。 海風が強く波も相当荒いのだが遠浅のため高波にならずサーフィンの若者もせいぜいボードに横たわって滑るぐらいだ。 しかし水際は海水浴のための海の家もみんな店じまいしているにも関わらず多くの老若男女が歩いていた。 ここに来るのはほぼ4年ぶりだ。 ここではえらい目に逢って、このように日記にもしている。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/41637068.html

4年前魚のムニエルを喰ったレストランを横目に少し行ってバスの停留所で待てば1時間に2本しかないのが直ぐに来てそれに乗れば4年前担ぎ込まれた病院が近くにあるアルクマール駅にたどり着く。 世界中から観光客を集めるアルクマールのチーズ市があるのは駅から歩いて直ぐなのだがのんびりと観光客に混じって公式計量所の秤にのったのはもう20年以上前だ。 そういえば去年同じように救急車で担ぎこまれたハウダの病院からもハウダチーズの取引所は近い。 次に担ぎ込まれる病院はスイスのエメンタール・チーズの田舎にある診療所かもしれない、というようなことを考えながら帰りの電車に揺られていてそろそろ食前酒の時間だからリュックのなかのスコッチを一啜りと考えたものの医者の警告を守ってそれは家に帰るまでとっておいた。

自転車を物置に納めて家人と二人でワインを手にステーキ、蒸しジャガイモ、温野菜にサラダ菜を手早くでっちあげて食事が済んだら急に疲れが出た。 家人の後にバスタブに横になったら結局そこに1時間半寝そべっていた。 疲れ、昨夜からの寝不足、満腹とアルコールのフルハウスでカウントテンのノックアウトだ。 ブログの日記も書かずにそのままベッドに倒れこんだらそのまま12時間以上眠っていた。