暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Ed van der Elsken が日本で撮った写真展に行った

2010年07月03日 20時00分45秒 | 見る


2010年 6月27日 (日)


昨夜、夕食を済ませてウインブルドンや南アフリカのサッカーの模様をテレビでザップしていたら義弟から電話があった。 BMWオートバイの代理店を経営している義弟が自分の隣町まで何か届け物をするのに最新型のバイクを試しているときにその町の通りに写真展のポスターが出ていて、それが Ed van der Elsken  が日本で撮ったものを城の地下に新しくできたギャラリーで杮落としとして見せているらし、という。 早速ネットで調べて翌日そこに出かけた。

Woerden  という町は一年に5,6回は出かけるのだがそれも決まったところだけで旧市街の、それも函館五稜郭と同様に堀に囲まれたあたりは行ったことがなく、また夏の暑さから遮蔽された城壁の地下のギャラリーであるから涼みがてらにもいいし日曜でもあるから混んでもいまい。 城とはいうけれど地元の貴族の住居だったのだろう、戦いのための物見の塔などもない普通の地味なもので、多分、国や地元の補助金で文化財改修、文化イベント振興の一環として立ちあがったところなのだ。 やたらとレストラン、カフェーが新しい。

入り口が見当たらないのでカフェーの女性に導かれて城壁の長い穴倉に導かれた。 入り口の石の階段は人一人だけしか通れなく教会の尖塔から降りるような感じだ。 城であるから外壁の下部のこの部分は必要ならば馬一頭、人一人が並んで進める幅だろうか。 

この写真家の日本での写真はほぼ見ているので義弟の知らせだけでは食指が動かなかったのだがネットの動画で観たオープニングに写っていた彼のポートレートと写真のサイズに興味が惹かれてここまで降りてきたという次第だ。 そのサイトの動画ではオープニングの模様が示され、もう15年以上前になろうか、世界に日本の政治について出版した書物で「日本たたき」にいくらか貢献したといわれるジャーナリストのカーレル・ヴァン ヴォルフレンがスピーチをしていた。 会場の本人の言では、自身1962年に来日して以来の知遇で自身が政治経済に関して興味を持っていたのに対してエドは日本の市井の人々、生活文化に旺盛な興味を示していたようだと書く。 ヴァン ヴォルフレン自身小さい頃から写真を撮り東京のうちには Deardoerf で8x10インチのポートレートを撮るための簡単な設備がしてあったのである日エドをそこに座らせて撮ったのだそうだ。 それがこの展覧会の正面に飾られそのエドの脇にはマスコットのぬいぐるみと当時の愛器ライカM6が置かれている。

動画では写真をバックに美術館の学芸員、若いカメラマンなどが談笑している姿があるのだが未亡人の姿はないのが妙だった。 ただこの展覧会に関してはオーガナイザー、友人のアドヴァイスを考慮してデザイン、作品の選択を行ったという趣旨のことが生前のエドの機材についてアメリカの批評家と行った交信とともに展示されていた。 彼はいつも最新の機材を欲しがったといい、晩年の主なものはNIKON FE2, F3、Leica M5, M6 でフィルムは Tri-X と Ektachrome のようだったという。 ただ、私が85年にエドとともに日本に滞在したときにはブラックキャノンの一眼レフ数台だけだったからそのことを聞いたら、機材一切を盗難にあって今はこれだけだ、別にライカじゃなくてもいい、と言っていたけれどあれも一時のやせ我慢だったのだろうか。 夫人の言ではその後上記の機材をそろえている。 ポートレートに見えるM6はかなり使われているように見えたしそれは多分盗まれたもので盗難直前のものと思われる。 84年末か85年早春だろう。

Leve ik! という短編映画を別の小部屋の小さなモニターで観た。 15分か20分ぐらいのものなのだろうが作家の略歴とそのおもな作品の紹介があったのだけどワンショットだけ忘れがたい画像があったことだ。 遺作となったドキュメント映画「Bye」では癌に侵され余命をしりつつも厳しいショットが多くみられるけれどそれらは全て自分が作品の中にある、記録する、という強い意志とコントロールのもとにあり感動を呼ぶものであるのだがその時期に他者からインタビューされたその画像がここにに現れる。 多分日本のNHKの取材なのだろう。 画像も少々白くはがれたようで家の前に杖をつききらびやかな衣装で登場する老写真家は英語で話しかける。 自分の読者を意識して話しかけ、多分これが最後になるのではないかという自分の発言に耐えられなくなりそこで嗚咽し、カメラを眺め、短くそのシーンを終える老写真家の眼と姿に今まで経験したことのない動揺を覚えた。 それはいつまでもざらつく思いを記憶に留めるものだった。



下記サイトでの展覧会オープニングの動画は20107月末までは見られる模様;
http://www.dzl.nu/2010/05/opening-fotografie-in-de-gewelven/

昼の外気35℃、夜中の屋根裏部屋1時で27.5℃

2010年07月03日 08時06分17秒 | 日常
オランダにしては暑い、35℃である。 日曜の朝早くにうちをでてほぼ1000km離れたオーストリアのキャンプ場に出かけそこで3週間、ぶらぶらしたり山を歩いて過ごすことになっているのでそろそろ支度をしなければならず、家人は一日中、寝袋、テント、マットレスに各種服装布物のパッキングに忙しく、時には自転車で町に買い物に出かけている。 自分は車の点検、一年に一回するかどうかという掃除に加え、素手でカーウォッシングである。  

午後の3時、4時ごろだっただろうか、表には人通りなく、気楽にi-Podの音楽を聴きながら水を使っていた。 金曜の午後にしては人通りがないのを訝しがっていたら隣の奥さんがパートから戻ってきて、サッカー見ないの?と私に聞く。 さて、別に興味もないので、どことどこ?と聞くとブラジル対オランダだという。 へえ、何時から?というともう始まっているらしい。 だからこの静けさなのだろうと納得した。 耳のプラグをはずしていたら近所からときどき聞こえるプラスチックのホーンの音がするのだろうがそれも聞こえないからどうということもないし、電気掃除機で車内をガーガーいわせていると一層周りの音は聞こえない道理だ。 そういえばこの前のオランダ戦の時に買い物にでかけるのに3つぐらい向こうの通りを自転車で走っていたら人通りが全くなかったので写真を撮った覚えがあるけれど今日はそれに輪をかけて人通りがないのだろう。

一渡り掃除を済ませて庭の植木に水をやり冷蔵庫から冷えたビールを掴んでテレビのスイッチをつけるとちょうどブラジルが自分のゴールにボールを入れて1対1になったところだった。 家人も買い物からもどりテレビの前に座る。 日頃はサッカーにはまるで興味も示さずルールさえ知らないのにこの騒ぎだ。

見ると審判はアジア人で固めているようにみえる。 これもヨーロッパ、アメリカの審判を除外してのことだろうか。時には家人も審判の判定に厳しすぎるだの批判をするがそれもブラジル側にフリーキックを与えた場合でその理由も判らずにそういうのだからこの熱気はスポーツに興味のないものまで熱くしているようだ。 私は日本人の主審がどのように判定を下しそれぞれの選手とどのようにコミュニケーションをとるのかの方により興味が向かう。 自分としてはどちらが勝っても別段どうということもないし、それは日本が試合をしているときも同じだった。 サッカーでは熱くならないのだ。 かといってウインブルドンのテニスでも熱くなるということもない。

スナイダーの頭にボールが回ってきてへッディングでゴールしたときは近所からいっせいに喧しいホーンが鳴り渡り私はこれで勝負ありかとテレビの前を離れ表に放ってあった掃除道具を片付けにでた。その後、裏庭ででるのに素足で石の上をあるいたらその熱さに飛び上がった。 これなら石版焼きができそうで、実際8時のニュースでは車のボンネットで玉子焼きを焼くのだというおばさんがいたし、この暑さで海岸にいった連中が車の中に愛玩動物を放ったまま遊びほうけていたら密閉された車内は軽く50度を越すのでホットドッグができるとボランティアが駐車場を見回っている姿もあった。 日本では赤子をそうやって脱水症状にさせる若い親たちがいることも毎年報道されるのだからさすがこの国ではそういうことはないけれどペットならあるという話だ。

9時前に射撃クラブに出かけてクラブのプラスチックピストル、グロックで9mm弾を数発撃ち、その後、心安いクラブ員とバーの止まり木でビールを飲んでいたのだけど暑いからと涼みがてらめいめい飲み物を手に裏庭のデッキチェアの所にで出るとそこからそのまま続く公園の木立の近くにテントが20ぐらい張られていた。 広い公園の中にあるスポーツクラブの一つに他の地方から遠征試合に来た連中が寝泊りしているのかもしれない。 うちの子供たちにしても一昨年まではこの時期にあちこちの地方にフィールドホッケーの試合に出かけていたからどのスポーツでも今はそういう時期かもしれない。 先々週クラブから緊急会報が届き、来週緊急会議が開かれ会員の了承を得て銀行から金を借りクラブハウスと射場の屋根の修理をしなければならないとのことだった。 25年に一度のことであり試算では2000万から2500万円ほどかかるらしい。 返済15年で利子が特別に4.1%とのことだ。 来週は会議に出ることができないので賛成として委任票にサインした。

うちに戻ると家人が11時前であるのに電気もつけず薄暗い中で出発の準備をしていた。 シャワーを浴び、さっぱりして今日何本目かのビールの小瓶を開けていると日本の老母から電話があった。 大阪は梅雨の雨、湿度の高い30度前後だろうと言っていた。 こちらは夜中の1時でもまだ室内は27.5℃だ。