きょうは午前9時半から塔の事務所で全国大会の資料発送をしました。昨年より100名ほど参加者が多くて嬉しい悲鳴なのですが、7名で作業をして13時くらいまでかかりました。
私の段取りが悪かったのもあって少し反省しています。みんなでヤマトへ持っていき、計算するのに3時間はかかるといわれて、前田さんと小川さんとお昼を食べに行ったあと、事務所へもどって大会の詠草集を読んでいました。A3用紙にびっしり7枚。350首といえば歌集1冊分です。ちょうど読み終えたころに連絡がはいって、お金を払って帰りました。
さて、きょうは水曜日。短歌の日です。「1099日目」の続きです。
・砂鉄川を流れる水へ砂鉄増し海底(うなそこ)の遺体を埋めてゆくなり (田中 濯)
・来たときと離れるときに二度泣くと伝えられたる岩手山、春 ( 同 )
・「津波にも遭っていないし住む場所も家族もなくしていないんでしょう?」 (田宮 智美)
・震災が起きなかったら、震災が起きなかったら、呪文のように ( 同 )
・家々の取り壊されて薺(なずな)咲く春の原野はぬかるみ多し (外山 つや子)
・ぽろぽろ靴底の泥をこぼしつつ娘(こ)は走り出す春の風が追う ( 同 )
・ポケットに鍵さぐりつつこの夜の寒さの芯になりゆく身体 (花山 周子)
・砂つぶのひとつぶひとつぶ見えている風やみしのちの椿の照り葉 ( 同 )
・行き場なく青ざめた土さっきまでたしかに公園として踏みいき (三浦 こうこ)
・人はみな低温やけどしておらむ生れてより日にさらされておれば ( 同 )
・もう寿命なれども雪の翌朝にすぐ来てくれし旧式除雪車 (吉田 健一)
・大地震(おほなゐ)に倒れたる碑の文字撫でて関の小径の巡回を終ゆ ( 同 )
連作のあとに書かれたエッセイ。どの言葉にもそれぞれの方の思いがあって胸を打たれますが、なかでも田宮智美さんの歌とエッセイが一番印象的でした。
「・・・中略 震災時、わたしよりご両親や(仕事先の)お年寄りの下へ行ってあてげ、なんて気丈に振る舞わず、一人はこわいと素直に泣きついていれば、それはこわれなかっただろうか。どこまでも不器用なわたしは、人の手を握りたいという感情を震災のふた月後に知った。」
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