この家に引っ越してから21年。家の前に道路があって、その向こうに空き地があった。
家なら4軒ぶんはありそうな広さ。
引っ越してきたときから空き地だったから、そのうち家が建つのだろうと思っていた。
そのうちに。
ガレージの車を出して植物に水をやったり、ガレージの掃除をしたり、新しい草花を植え替えたりするとき、空き地に車を移動して置かせてもらったりした。
犬の散歩に来る人、キャッチボールをする親子、いろんな人が日常的に活用していた。
小さかった息子はこの空き地で自転車が乗れるようになった。近所の友達が乗り方を教えてくれて。つるつるのぴかぴかの泥団子を作ったり、夏休みは花火をしたり。
そのうちに家が建つと思っていたのに、空き地はずっと空き地だった。
空き地に家が建つ前に、仲良しのミキコさんファミリーは転居し、息子は就職して家を出て、義母が亡くなった。
先週、空き地にロープが張られ、道路にはガス管が埋められた。家がとうとう建つんだろう。今週になって、簡易トイレが設置された。いよいよ工事が始まるんだな。
家が建ったら、空き地は空き地ではなくなる。あの場所はまるでニックネームみたいに「空き地」と呼ばれていた。ずっと空き地だったから。家が建ったら空き地っていう名前ごと消失する。
草は刈られるだろうし、つゆ草ももう咲かないかもしれない。 赤蜻蛉の大群ももう来ないだろう。
空き地だったために、東側は日当たりがよくて、ハゴロモジャスミンも野葡萄もよく育った。 あたりまえのように育っていた植物も少し環境が変わるかもしれない。
そうなったらまた、その環境で育つものを植えよう。 両親の介護によって、変化を受け入れられるようになってきた。たまに驚いたり怒ったり悲しかったりはするけれど。
ずっと若い頃、変わっていく、ということが嫌だった。生きているってことは変わっていくってことだよ、と教えてくれた人がいて、私は絶対受け入れたくないと思った。でもいまなら、それもそうかも、くらいには思える。諦めるのではなく、柔軟になること。それはコロナの体験を通してみんなが得たスキルの一つなのかもしれない。