新聞に掲載される週刊誌の広告という広告に、鳩山総理に対しての呆れるほど口汚い言葉の数々を見るにつけ、それらはまさに活字の暴力だ、と思っていた。昔、友人が、マスコミはヤクザのようなものだ、と言っていたのを思い出すほど、耳を疑うような言葉が大きな活字となって読者の目に飛び込んでくる。国の代表に対してならどんな暴言も許される、と考えているのだろうか。
6月2日の首相退陣のニュースを聞いた国民の反応は、「当然だ」と言う意見と「もう少し頑張ってほしかった」という二つの意見が飛び交った。なかでも「今までの総理とはひと味 違っていた。もう少し長い目で見ていたかった」と言う主婦の意見が印象に残った。 確かに失言も多かったし、それを、許せない!と 怒り心頭に発する当事者も多々あり、どうしてい つもあのような結果になっちゃうんだろう、 と、呆れもしたし、失言を誘い出す仕掛け人が いるんじゃないかしら、とも思ったし、同時 に、鳩山氏が国内外の大きな問題を一人で抱え 孤立しているようにも見えた。 一日の民主党幹事長達との会談後、「続投です か」との記者の質問に親指を立てたこと、辞任に 伴う記者会見を拒否したこと、 「国民が鳩山政権に対して聞く耳を持たなくな った。政権は国民の声と遠くなると立ちゆかな くなる」と身を引く理由を述べたこと、辞意表 明後、記者団から掛けられた声に「十分です。 ありがとう。」と言ったことなどが、最後の鳩 山首相らしさかと思うと寂しくなる。
支持するしないの意味ではなく、ここ数年来の短命首相の続出は、長い目で見守り、人を育てるという体質を政界も国民も共に持ち合わせてないのではないか、という危惧があるから。たとえ今の時代を乗り越えられる政治家としての資質を鳩山さんが持っていなかろうと、側近や良きご意見番と会話を重ねながら成長してほしかった。首だけかえることを続けてどうなるっていうのか、だ。一刻の代表の無責任な言動を非難する前に、何もしないで無責任に文句や注文ばかり言っている己を戒め、国が抱える数々の難題のベストアンサーを共に探っていくことも必要じゃないかな。 ただ、別の意味では、今回の辞任に内心ホッとしている私でもあったけど。
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