ビアンカの  GOING MY WAY ♪

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某日某所その4.佐原さんぽ

2010-11-29 | visit/drive

「原宿シカゴ」の古着倉庫見学のあとは、水郷佐原でのお楽しみタイムが待ち受けていました。まずは前もって予約してあった小野川沿いにある割烹「宮定」へ。創業二百余年の魚問屋ということはあとでわかりました。左下の暖簾のある家が店舗。右に続いている部分が割烹です。割烹のほうは比較的新しい建物で、二階に上がった二間続きの座敷に陣取りました。ずらっと団体さん用にすでに並べられた食事を見てちょっとガッカリしましたがお味はいけましたよ。特に煮魚が美味しかったのですが・・・これが「絶品鯉のうま煮」なのでしょうか。鯉、食べたこと無いし 絶品だと書かれたパンフレットは帰宅後に読んだのでした。

  
  

食後は一時間半ほどのフリータイムがあり、それぞれが好きなように過しました。
わが国最初の実測日本地図を作り上げたことでどなたもご存知、伊能忠敬は50歳で江戸へ出るまで、この町の名主・村方後見を務め、家業では醸造業等営んでいました。それなので、当然旧宅が残されていましたし、
伊能忠敬記念館もあったので、私はまず記念館に行くという人たちと共に歩きはじめました。本当は少しでも多くの建物を見たかったのですが、佐原に来たなら一度は記念館も見ておかなきゃ、と思って。記念館には第1次測量(東北・北海道)から第10次測量(江戸)を元にした伊能図の数々が展示され、地図にはじまり地図に終わる、という、とても地味な記念館でした。何気なく見ている地図は、測量する人がいてこそ、だったのですね。

      
   

伊能忠敬旧宅前の樋橋は別名ジャージャー橋と呼ばれ、時間になるとジャージャーと落水が始まります。右上の写真で、奥のほうに写っているのがその橋で、まさに落水の最中でした。「残したい日本の音風景百選」(環境庁)にも選ばれているようです。

  
           

茶色の暖簾の掛かった「夢時庵」はフランス料理店でした。明治34年建築の二棟の(木造建築と土蔵造り)建造物を、一つの屋根で構成した珍しい建築工法、正面入口上部には「よろい戸」があり、建物外壁を壁仕上げ、修復の柱は「四方かま継ぎ」工法を用いているとのこと。次回入って見たくなりました。

天保三年建築の「正上」の入口に立つと、看板を読まない限りここが何の店だか検討が付きません。ドキドキしながら入ったら、なぁ~んだ、お土産屋さんでした。っていうか、いかだ焼き本舗という佃煮屋さん。お茶を振舞ったり、佃煮を試食させてくれるので観光客が多かったです。ここでお土産を物色したあとは、時計を見ながらもうそろそろかな、と集合場所のほうへと歩くことにしました。もっと沢山見て歩きたかったけど、一応講座のメンバーとのバスツアーなので仕方ないです。

忠敬橋の角を曲がるとき、角地に建つ中村屋商店(画像なし)に引き込まれました。安政2年(1855年)に建築され、代々荒物・雑貨・畳を商ってきたお店とのことです。今は和物の製品や衣類なども置いてあり、つい奥の方まで入っていって見つけたのはこれとかこれ一枚の和紙から創り出された連鶴です!三代目当主の方の作品だそうですが、一枚からこんなに・・・って、凄すぎません? 

 
 明治13年建築の正文堂書店は桟瓦葺で切妻造りの木造2階建て土蔵造。

 
 明治33年建築 生蕎麦の小堀屋本店はもともとは醤油醸造が生業だった。

上の二軒は集合場所のすぐそばにありました。古い建物は存在感が違いますね。
駐車場の入口ではソフトクリームの看板に目を見張りました。

な、なに~、しょうゆジェラートだと?
おいしいですよ、と言われたら試すしかないです。珍しいんですもの。

ほのかなしょうゆの香りが、確かにありましたが味はソフトクリームでした。
さ、急がないと。すでに皆がバスの中で待機していました。

飛び入りで参加した「環境を考える講座」二回目でしたが、最終回の三回目は、古布を裂いてテーブルセンターを作るとのこと。面白そうなのでこちらも一週間後に参加いたしました。幾つになっても初めて体験することの多いことったら!あれこれ首を突っ込んで行ければ人生飽きることはないけど、要は体力気力次第なのかもしれません。

 ★毎回書き飽きたし、聞き飽きたでしょうが、投稿記事が呆れるほど遅れすぎで、
  編集画面を見つめながら自己嫌悪の連続です。早く12月にならないかな。

 

 


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