ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

雪の日から数えて何日目?

2008-02-14 | weblog
前回ブログの後すぐにこれを投稿したかったのに、いつものように日が経ってしまった。
たいした事でなくても色々なことがその日その日にあり、どんどん「過去」へと消え去ってしまう
「あのときの現在」を追いかけて書く、というのを止めて、早く昨日、今日のことを即、書きたい。
本当だってぇ.....。
 
2月5日に、18年お世話になった車を廃車として引き取って貰った。親の「運転手」として、所有者ではなく使用者の立場で10年間利用。その後、車両入替をしたので、その車は甥が買い取って乗っていたが、仕事で海外へ赴任する時、もう廃車にするけど、うちの子が使うんだったらあげるよ、と言ったので、免許取立ての子たちがちょっとの間、練習するには良いかも、と思い、今日までズルズルと来てしまった。子供が使うといっても、車に乗る時間はそれほど無いので車検が来るたびに廃車にしようかどうか、迷った。
小さな傷はちょこちょこあるけどご覧の通り一見、綺麗だし、車内は今乗っているのよりグレードが上だ。問題といえば、ご老体なのでいつ電気系統がおかしくなるか予見出来ないこと。
これこそドライバーには最も恐ろしいことだ!
一度、都心の大きな交差点を過ぎた所で動かなくなりJAFを呼んだこともあった。又、走行距離メーターがバカになり、大きな出費をこれ以上避けたい、と思いながらも廃車を決断できず、メーター部分をそっくり取り替えてしまった。更に去年の4月が車検だった。走行距離が少ない車にこれ以上お金を掛けたくない、と断言したのに、車内の本木目のパネルを見ると、父が生前言っていた言葉を思いだ
してしまう。若い人仕様の、車体が少し低めのこの車は、振動が直に手術後の父の体(頭)に響いてとても辛いと言うので、8年前、他社の新車に入替えたのだが、木が特に大好きな父は、「あれはいい車だからね。ずっ~と乗れるまで乗るといいよ。」なんて、無責任なことを言ったもんで、父亡き後、7年も、あ~ぁ、出費が痛い・・と言いながらも持ち続けてしまった。

4日の月曜日は会社へ、火曜日は廃車の日なので、愛車とのお別れの記念撮影を日曜日に一人でしよう、と思っていたら、朝からの降雪で断念。息子と二人して写真に収めるべく最後のドライブをしたのは廃車予定の当日となったが、ガソリンが少なかったので近所を回って場所さがし。車の邪魔にならない場所って結構探すのが難しい。息子がふと思って行った先は墓地公園!考えて選んだのではなく、車が少ないとの理由だったがなんとも相応しい場所、と二人して苦笑。
海に近いホテルの前や、母のマンションの前で、と、場所を変えて撮影したけど息子が急かすので落ち着いて撮れなかった。何で撮影会か、と言うと、
こんなコマーシャルフォトをチラシのなかに見つけたから。それを見て、そうだ、こうしてお別れしよう! 
と、一人で写真のロケーションを頭に描いていた。娘にそれを見せたら即、「赤いドレスを来てモデルになろうか?」と言われ断った。赤い薔薇の代わりに今が旬の真っ赤なチューリップ10本とカスミソウにしたけど、カスミソウは甘すぎ。チューリップは20本は欲しかった。花びらを散らすのは止めにしたけど、写真はどれもパッとしなかったのは、そりゃぁプロじゃないも~ん。

 この車が後日スクラップされ、金属の塊になってしまうんだ、と考えると胸がキュンとなり、一週間の間、ションボリしてしまった。こんな古い車をタダで引き取ってもらえてラッキーと、最初は思ったが、やっぱりタダでは口惜しい~!

平成2年4月生まれのキミよ、18年間共に過せて嬉しかったよ。キミと安曇野へ、白馬へと旅をした、あの時小さかった子供が18才になって免許をとり、キミを使って走った時はどんなにかハラハラしただろうね。彼らにとってキミこそがファーストカーだったんだもの。本当にお疲れさま!そして長い間、有難う!

廃車とほぼ同時期に私も仕事を廃業した。廃者?敗者?実際には昨年いっぱいでそれまでの仕事をそっくり他社に譲渡。一月はその後の整理に追われていた。最後に菓子折りを持って会社に行ったのは今月4日の月曜日。ご挨拶を兼ね使い古したOLYMPIAのタイプライターを、処分してしまうんだったら、と、貰ってきた。今でこそパソコンが仕事全般を何でもこなしてしまうが、少し前までは前任者がやっていたようにタイプライターも併用していたのだ。クルクルッと紙を巻いてキーを叩く快感。しかし~家に持って来たはいいが、何に使おうとしているんだろう、私。思い浮かべるのは、年一回のX’masカードの宛名書きだ。
古きを捨て、古きを拾い、かぁ。古い私はだれが拾う?疲労?披露?