ビアンカの  GOING MY WAY ♪

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ダリってダリ?

2006-10-21 | art/exhibit/museum

 
             

一昨年、裏磐梯の、諸橋美術館に行った時のことをnettonさんにメールで伝えたら、
こう言われたのです。「ダリって、ダリ?」

               

「ダリ展に、ダリと行こうか?」なんて新聞までが書きたてて、本当に、ダリと行こうかなって思っていた所、友達から「招待券を持っているから行こうよ」と誘われたので水曜日に行ってきました、“生誕100年記念ダリ回顧展” 正確には今年で102年目なんですけど、世界規模での展覧会の順番待ちでこうなったのだかどうか・・・ダリか知っていますか?

   

ハタチのときにその作品に大いに煽動されてから、幾年月になるのかな。初めは、彼のシュールリアリズムー超現実主義といわれる絵画が瞼の裏に焼きついて離れなかったのですが、彼が髭をはやしていて、これほどまでに個性豊かな画家であるとは、その時、絵画は見るだけ、だった私には知るよしもありませんでした。とにかくウンチクなしで、作品だけを初めて目にした日々だったのです。
今は、初めて見るものでも、情報が豊富すぎてしまって、見る前にそれらが頭にインプットされ、純粋に物を見る妨げにさえ感じるときがあります。

  
今回は友達が、イヤホーンのお役目を果たしてくれましたよォ~。
諸橋美術館でガラの存在を知って以来、ダリの一途な人柄がいとおしく感じました。
白紙のキャンバスにダリのサインを書かせ続けたというガラ。ダリの妻であり、ミュールであり、プロデューサでもあり、恋多き女性であり、ダリだけでは満足できなかった女性。でもその全てをダリは最後の最後まで受け入れ、愛し続け、一度、彼の元を去ったガラを、彼は聖女として描き続けていました。それでも、年老いて戻ってきた彼女を迎え入れるのは、ダリのほうだったのです。
この二人は出会いの時から、自分たちは一卵性のカップルであると、自覚しています。それゆえに彼の作品のキーポイントの一つは卵なのです。言っておきますけど、ダリが25才のときに初めて出会ったガラは、ダリより10才年上の、子供のいる人妻だったんですよ、もォ~!


  ダリは1904年5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲラスで、裕福な中流階級の役人 の
  息子として生まれる。母親も富裕な商家出身だった。ダリ家には幼くして亡くなった息子が
  おり、両親は新しく息子が生まれるとその子に亡き子と同じ「サルバドール」という名を付けた。
  これが画家となるサルバドール・ダリである。亡き兄と同じ名であったことはサルバドール少年に
  大きな心理的影響を与えたと言われている。

生まれてすぐに亡くなった、自分と同じ名前の兄のお墓参りに行ったとき、ダリはどんなにか複雑な心境だったことかと察します。長男の再現として扱われてしまったのですもの。ガラとの結婚を期に、父とは不仲となりますが、彼の、故郷フィゲラスを想う気持ちは死ぬまで強く、彼の描く絵の遠景に現れたりしていましたし、終焉の地もフィゲラスでした。

ガラの存在を、絵画や写真を通してイヤになるほど感じました。
まず、写真ですが、彼が逆立ちをして、そのあごにハイヒールを載せている一枚。一方の絵画では、あちこちに杖が目立ちます。

 
「焼いたベーコンのある自画像」

杖なしでは、ふにゃふにゃになってつぶれてしまいそうな自画像。
ハイヒールに支配され、「作品のヒント」を与えられ続け、もうガラなしでは生きていけなくなったんでしょうか?ダリがダリをそうしたのか?
ダリはガラガラと崩れない為に、もはや杖なしでは生きていけない、と言っているようです。1982年にガラが88才で亡くなったあと、ダリの画家としての人生は終わりました。1989年1月23日死去。

卵の他に、彼の絵の中で目につくのが蟻、そしてフランスパン。
ダリは昔昔、コウモリを飼っていましたが、ある時、瀕死のコウモリを発見した時、体中、蟻に覆われていたそうで、それ以後、蟻には「死に至る」というイメージが付きまとったようです。
パンの絵は一風変わっていました。パンに靴下を履かせたような絵だったので、まるで足のようね、と私が言うと、友人は別の物に見える、と言いました。
後でわかったのですが、パンと言うのは焼きたては温かくやわらかい。時間が経つにつれて固くなり、最後にはぼろぼろに崩れていく・・・

「それは年とともに皮膚が固くなっていく人間という存在を象徴しているのである。それはまた、《焼いたベーコンのある自画像》におけるベーコンにおいても同様である。」又「それは、ふだんは柔らかく、勃起すると固くなり、やがて力を失う男根と同じである、と彼は考える。このようにして彼は生きるために必要な、聖なる存在でもあるパンに新たなる意味を付け加えたのである。」

と、【ダリ回顧展の見どころ】で、岡村多佳夫氏が書いています。
もう一つ、彼の絵や彫刻に頻繁に登場するクニャッと曲がった時計、これは回顧展のチケットとパンフレットに使用された「記憶の固執の崩壊」の絵にも描かれていました。私の頭も固くなってきているのか、なんだろう~?と疑問符ばかりでしたが、この件についても岡村氏は見どころのなかでこう言及しています。

「・・・そして、ダリは原子核の崩壊に思いをめぐらせつつ、それが人間という物質の崩壊を、さらにはその記憶の崩壊までも視野に入れてこの作品を描いたのであった。そこでは、死を象徴する枯れた木の下半分を含むほとんどのものが海の中にあり、その中で時計や人間の頭などすべてが壊れ、変化し始めている。表面の下では何が起こっているか、あるいは何があるかもわからない。あらゆる事象の表面をめくってみること。そこには時間も空間も超越した存在があるかもしれない。あるいは何もないかもしれない。そのようにして、ダリは見ているものの向こうにあるものを見る、あるいは見えないものを見ることが如何に重要かを示すのである。それはまさに、想像力の全的解放を謳うシュルレアリスムの考えを具現化したものであるといえる。・・・・・」

一枚の絵から二枚目の絵に移るのにー人が動かないのでーたいそう時間のかかった回顧展でしたが、それだけ、興味深く、面白いからなのでしょうね。私は大いに楽しめました。会場ををあとにし、紅葉にはまだ早い上野の山を、久しぶりに西郷さんの像方向に歩きながら、お昼をどこにしようか、と話し合い、トンカツの老舗「双葉」で頂くことにしました。私ははじめてなのですが、鈴本演芸場の先を右に曲がったところにある、全くふつうの、私なら絶対通り過ぎるだろうなぁと思う造りのお店。メニューをみてびっくりしました。だって、「トンカツ」か「トンカツ定食」の2種類しかないんですもの。
お値段だって味噌汁とご飯にお漬物つきの定食が2940円!ご飯のお代わりが200円!私、お替りサービスの所しか知らないし、大体お替りなんてしたことないしね。とんかつは、赤身ばかりでさっぱりと揚げてあり、美味しかったですよ。でも、お店に入る前にお値段がわかっていたら、私、入ったかなぁ。付け合せはご覧のとおり、キャベツの千切りでした。

 

帰り際にタウン誌を頂きました。このなかで、上記、岡村氏の記事を見つけたのです。
図録を購入しなかったので、見終わったあとでしたが、「見どころ」がちょうど、私たちの知りたかったことと重なり、、やはり~老舗でお食事~もいいもんだ、と思ったことでした。