銭湯は子供同士で行くに限る 2007-1-7記
わが家から等距離に二軒の風呂やがあった。あたしたちは風呂やといってたが、東湯と朝日湯である。あたしの家のものは朝日湯へ行き、もちろんあたしも姉に引率されていくときは朝日湯であった。しかし友だちと行くときは東湯、それはそばに、夏は氷や冬は焼き芋やに衣替えする店があったからである。
母は子供同士で行くのを歓迎しない、なぜなら帰りの小遣いをねだるし、第一全然体を洗ってこないからである。よく耳を引っ張られて、耳ん中も後ろも真っ黒じゃないか、どこ洗ってきたんだと叱られたもんである。しかし子供同士で風呂へ行くのはこたえられない魅力があった。いいだろう、いいだろうと、ねばったものである。
たいてい四五人で行った。後年鍵のついた個室の下駄箱に代わったが、そのころはただの棚である。だから終戦直後には、盗難を恐れて脱衣場のざるにいれたものだ。
履物を棚に放り込みガラス戸を勢いよくあけ、次々にはいはいと言って番台のおばさんにに風呂銭を渡す、ときには娘に番台は替わる。東湯の娘は美人である。大人たちがよくからかっていた、中には書いていいものか躊躇らうが、悪い大人もいて、あそこの毛を抜いてほらほらと吹きつけたりしていた。娘は動じたそぶりは微塵も見せず相手にしない、素知らぬ顔である。この看板娘は正月には、結綿、桃割れ、高島田と結いあげていた。子供心にも、きれいなものはきれいである、まさか唸りはしないが番台を見上げたものである。
番台の銭函の上にはそれぞれのつり銭が並べて積まれていて、つり銭の客に手際よく渡される。あたしたちは服を脱ぐのももどかしく、裸になると一斉にタイルを駆け湯船を飛び込む。ここで先客の大人に一括食らったりする。冬場は戸をちゃんと閉めろと叱られ、後になったものが慌てて閉めに戻る。ちゃんと体洗ってから入れと怒鳴られる。これも飛び出して仕切り直しである。遊びに入るのも容易ではなかった。
先ずやるのは息を止めての潜りっこ、そしてバタ足で泳ぐ、大人の顔に湯をかけて叱られる。だが風呂屋は子供の治外法権の状態といってよかった。湯船を出れば石鹸箱を手ぬぐいで包み、石鹸を塗り息を頬をふくらまして懸命に吹きかける。ぶくぶくとあわ立ちかなりの大きさになると、体になすりつけたり、相手の顔にに吹き付けたりして遊んだ。
だが遊びの圧巻はなんといってもタイルの滑りっこである。石鹸を尻に塗り、湯船のへりを両手で掴み、その腕を何回も屈指運動させ、勢いがついたところで手を離す。体をかがませ両手を膝あたりにおいて、もちろん後ろ向きに滑ってその距離を競うのである。ときにはカーブして大人に激突して大目玉を食ってしまう。
帰りは冬は焼き芋を新聞紙で包んでもらい、ふーふー頬張る。夏場は店に陣取りカキ氷。たいてい氷いちご、ぎゅっと器の氷を手で押し込み、一回転させてから、色と甘味の十分沁みたところからしゃじですくって食べる。
昔に戻れるとしたら、あたしはこの時代に止めを刺す。
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思い出しました。何処そこの子と遊ぶんじゃないよ!なんて親は自分の子を棚にむあげて言ったもんです。それだけ子供同士、今と違って外での遊びが活発だったということです。