うたのすけの日常

日々の単なる日記等

昔のお話です 四十八

2015-10-07 05:38:58 | 昔のお話です

          頭に浮ぶまま書いてみよう 母の苦労 2007-1-8記

 あたしの生まれたのが昭和七年。父母が食堂を開業したのがその年、父は東京市に奉職していた。後年嘘か誠か、父が市バスの運転手で母はバスガールだったと笑わしていた。それはともかく下級の職員だったことは間違いない。父たちが仲人したという、役所の後輩の奥さんが家に出入りしていて、あたしたち兄弟のセーターを毎年編みなおしてくれていた。面立ちのふっくらとした、色白の人であたしと同い年の長女に恵まれていた。
 それはともかく、世間には不況の嵐が吹きまくり、子沢山の両親は下級役人の俸給では生活が苦しく、商売に転じたという。事実それまで姉たちの生まれ育った代々木上原では、素人下宿を営み台湾の留学生の世話をしている。学生たちが食事のときに、やたら土間に食べ物を吐き捨てるのに往生したといった話を母から聞いている。

 商売は不況の回復と共に順調にいったらしいが、子供四人を抱えかなり過酷な日々だったのが事実だった。店の周りには中小、零細の町工場が多くあり、それらで働く工員が主だったお得意といったことになる。勘定は個人払いであったり、会社払いとまちまちで、当然月勘定であった。
 調理場の隅に簿記台がある。扉を下に開けるとその裏側が書見台となり、書き物が出来る。正面の棚に帳面がぎっしりと並んでいた。そこであたしたちは交代で食事をしたものである。通い帳と太字で書かれた帳面は和紙で、客の名前が書かれていて、日にちと朝昼晩の食事代が記入されている。あと受取証、それに請求書の帳面。これはかなりの上質な紙で、おそらくコクヨのものだったに違いない。
 あたしはこれでよく紙飛行機を作った、折るときちんと端々が重なり見事に飛んだ。用なしとなった通い帳の和紙で、父は紙捻を器用に作りパイプや煙管のヤニ掃除に使っていた。

 あたしが物心ついたころには下に妹が二人おり、それに生まれてすぐに死んだ弟がいた。店には男の使用人が一人と子守がおり、この子は後年病気となり家へ帰されて死んだ。肺病である。みっちゃんとあたしたちは呼んでいた。

 商売は順調ではあったが、反面忙しさは並大抵のものではなかった。母は子守がいたとはいえ、体を酷使しながら出産をし、育児を続けていたわけである。おそらく牛乳配達の車の音が、がらがら路上に響くころ、新聞配達が、家々に新聞を投げ入れるころには起き出し、朝食の準備にかかっていたのだ。あたしも経験あるからわかるのだが、水商売はどうしても女房主導になってしまうのである。
 
 客が来る頃には弁当を詰め終え、各自の風呂敷に包みすぐに渡せるように積み上げ、朝の客の対応しなければならない。その間には下がりものを洗い場に運び食器洗いをし、起き出してくる年長組の子供の食事の世話である。学校を遅らせるわけにはいかない。

 朝がひと段落つけば昼の仕込みである。あたしは母や姉が板の間に腰を下ろし、桶にまな板を渡し刻み物の音をたてているのを、昨日のように憶えている。おそらく母の背中にまとわりつき、五月蝿がられていたのではないか。父はいっとき簿記台で帳面付けに追われる。そのあと昼の客が来る前に母たちには、もちろん総出で一仕事が待っている。出前である。それも今のようにプラスチックの容器に、要領よく詰めるのと違って重い瀬戸物の食器に銘々盛るわけである。それを箱にならべて詰め、リヤカーに何段か積み重ねて工場の食堂へ運ぶのである。

 昼が終われば後片付け、出前も下げに行かねばならぬ。そうこうしているうちには夜の時間が迫ってくる。夜は酒も出す、夜業のある会社には出前もしなければならない。息もつけないとはまさにこのことである。
 のれんを下げるころには日にちが替わっていただろう。それから母は風呂へひとり行く。父も姉もおそらく昼間、忙しい合間をぬって銭湯に行くのだ。母はその間もひとり仕込みに精を出しているわけである。

 母は閑散とした洗い場で、ひとり一日の疲れと汗と汚れを洗い流す。そのうちタオル持つ手も重くなる、疲れと睡魔が心地よさにかわって全身を覆ってくる。母の銭湯での居眠りは有名だったらしい。番頭が湯を落す時間になって、気の毒そうに母を起こす光景がよく見られたらしいのである。母の口からも後年笑い話として聞いている。番台のおかみさんが番頭にもう少し寝かしておいてあげなといったとか。

 月末になれば会社払いの勘定取りが一仕事、これも母の仕事。なかには翌月回しなんてこともあったらしい。それが順送りとなって大晦日の勘定取りとなり、落語の掛取りではないが十二時を廻れば翌年になってしまうわけである。あとは個人の集金、何時の世でも同じ、都合はそれぞれあるだろうが、払いのいい人悪い人がいるわけである。母は一度は来月一緒にと待つが、その約束を違う(たがう)と怒った。父はその点「ようござんす」で終わり、客は遅れの言い訳は父に言う。母が催促すると、おやじさんがいいと言ったといってかわしたそうである。

 客はおやじはいい人だが、おばさんは一筋縄ではいかないといわれていたらしい。
 母はよく言っていた。夫婦して仏様だなんて言われてちゃ、商売はやっていけないよ。と…それから男は仕事と女房に惚れなきゃいけないよ。と…


 



最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (やまちゃん)
2007-01-08 16:08:48
ほんと!男は仕事と女房に惚れなきゃ~。女も同じかな。主人と仕事に惚れなきゃ。でも時々喧嘩していますけどね。こんちくしょうなんて思います。戦後生まれの女は強いです。
返信する
Unknown (うたのすけ)
2007-01-08 16:43:31
負けるが勝ちといいます。それが夫婦円満の源です。
返信する
Unknown (志村建世)
2007-01-08 22:14:38
お母様と銭湯のしまい湯の話、その時代の母親像の典型と言うか、泣かされます。それにしても、3食を提供する食堂の忙しさは想像を絶します。よくも働き通されたものです。「国民栄誉賞」は、こういう人たちにこそ、あげたいものですね。
返信する
Unknown (もりちんとワニ!)
2007-01-08 23:55:29
もりちんです!
夜分すいませんです~~
もりちんはバスの運転できますよ
大型ニ種の免許があるから~~
でも市バスは滑ってしまい
バスの仕事はできませんでした
お風呂、お風呂!!
お風呂と言えばもりちんです!
今は引越ししていい温泉が近くにあるけど
都会の時はお風呂屋さんにいきましたよ
今は360円です!
でも~~
銭湯はヤクザが多くて~~~
少し怖いです
友達と色々な銭湯にいきましたが
モンモンが沢山います
正直、怖いからだんだん行かなくなりました
今は違います、ムチャいい温泉があり
とてもいいです!!
お気に入りです!!
問題わ
800円なの~~
休日は900円なの~~
お風呂はいいですよね~~~
大好きです
じゃ!
帰ります!
返信する
Unknown (うたのすけ)
2007-01-09 03:57:38
志村さんへ
ありがとうございます。お言葉、母へのなによりの供養になります。合掌
返信する
Unknown (うたのすけ)
2007-01-09 04:00:21
もりちんさんへ
コメントありがとうございます。いい温泉に恵まれた環境、ウラヤマシイです。
返信する

コメントを投稿