うたのすけの日常

日々の単なる日記等

昔のお話です 四十六の続き

2015-10-05 11:15:53 | 昔のお話です

    目医者によく通い、赤チンは家庭の常備薬だった 2007-1-7記

 ここんところ寒くなってきたので早朝の散歩は控え、午前中暖かくなってからにしている。先日小学校の前を通った、丁度休み時間にぶつかり、子供たちがグランドに出て元気に遊んでいる。グランドはコンクリではなく、土を固く踏みしめたようになっている。ジャングルジムや埋め込んだ太いタイヤ、鉄棒が遊び相手だ。先生の姿は見当たらない。しばし眺めていたのだが、「不審者にみられますよ」というかみさんの言葉に慌ててその場を離れる、怪我をしないようにと念じ、自分の子供のころを思い出しながら。

 子供のころ大怪我はしなかったが、あたしを含め子供たちは生傷が絶えなかった。ナイフで指を切る、膝や肘は転んで打撲擦り傷をこさえるのは日常茶飯事のことだった。そうそうこぶもよくこさえたものである。
 擦り傷にはオキシュール、赤チンの出番である。母や姉に治療してもらう、ときには自分でやる。
 膝の傷は立てひざをし、脱脂綿でオキシュールで先ず消毒する、凄く沁みる。母がふうふう息を吹きつけて沁みるのを和らげてくれる。オキシュールを塗られた傷の表面がぶくぶくとあわ立つ、ばい菌が死んで泡とともに出てくるのだと、親も子供も信じる。実際はどうだったんだろうか、とにかく安心するわけである。そのあとは赤チンを塗って治療は終わりだ。
 傷は乾いてかさぶたになっていく。茶色に変色したかさぶたは濃さを増し、かゆくなっていく。かゆみは直ってきた証であるが、思わずかいてしまってかさぶたを剥がしてしまう。下はまだ赤んべえで、じくじくしていて治療のやり直しで叱られる。
 かゆかったら周りをかくんだと、よく母に諭されたものである。子供としては突っ張ってくるかさぶたが、気になってしょうがないといったところであろう。肘の傷は鏡に映してよく眺めていたものである。
 そう、こぶだが、母は生米をよく咬みくだき塗りつけてくれた。目にとびこんだゴミは、おっぱいで洗い落としてくれたよう覚えがあるのだが、これは錯覚かもしれない。

 子供に限ったわけではないだろうが、あたしたちはよく結膜炎になった、多くは夏に。今はプールが感染源といわれたりするが、当時はどうだったんだろう。一般的に衛生並びに保健といった観念が、公私ともに希薄だったせいと考えるのが妥当と思う。ひと夏に一度や二度は必ず罹ったような気がする。それから「ものもらい」、これは栄養の取り方が大きく関係していたはずだ。
 今の目医者はあたしの経験では症状をきき、診察器具で診断して薬をだすだけで治療はしない。昔は治療してくれたのである、いわゆる洗眼である。それだけでさっぱりし、直ったような気になる。目玉が生き返ったような気になる。
 目の下にブリキの水受けの容器をあてがい、淵がカーブしていて上手い具合に目の下に密着する。大きな吸い飲みのようなガラスの容器に入った、ピンクや水色に染まった液体で、瞼を丹念にひっくり返して洗ってくれる。そのあとスポイトで何種類もの目薬をさしてくれる。目薬を頂き、両目とも赤いのだが眼帯をしてもらって帰る。夏の日差しが一段とまぶしかった。
 それで直ったわけではない、四五日通ったのではないだろうか。家での治療も大変である、朝目覚めると、目脂が固まり瞼がふさがってしまっているのである。またも母や姉に朝の忙しい時間帯に厄介をかけることになる。
 「目が見えないよう」あたしは悲鳴をあげる。母はおわんに硼酸をぬるま湯で溶かし、それを脱脂綿を割り箸でつまんでひたし、瞼にこびりついている目脂を洗い落すのである。徐々に目が開いていき眼前が明るくなっていく、そのあとは自分でやらされる。

 今の子供たちは切り傷擦り傷と無縁なのだろうか、眼帯とも。
 

 



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6 コメント

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Unknown (きゃらめる)
2007-01-06 08:52:45
赤チンと硼酸なつかしいです。
自分の子ども時代ころよくお世話になっていました。
子どもたちが赤ちゃんの頃、よく目やにを硼酸水を
つけたガーゼで拭き取っていました。とてもよく
取れたので重宝していましたよ。
うちの子たちの足、生傷絶えません・・・・
でもそれも子どもらしくていいかな、と
思っています。
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Unknown (志村 建世)
2007-01-06 10:14:12
そういえば今の眼科は洗眼をしませんね。結膜炎はありふれた病気で、学校の医務室で、校医の先生に洗って貰った記憶があります。
 今の孫たちを見ていると、打撲は昔と同じようですが、切り傷は少なくなっているようです。刃物を持たないからでしょうね。
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Unknown (うたのすけ)
2007-01-06 10:55:26
きゃらめるさんへ
絶えない生傷、わんぱく小僧の勲章でした。でも親としては心配だったと思います。何事も程度問題といったところしょうか。
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Unknown (うたのすけ)
2007-01-06 11:04:05
志村さんへ
目医者の治療法、あたしのかかる医者だけではなかったんですね、やはり。
結膜炎は当時はありふれた病気といったところで、プールに行けなくなるのが困りもんでした。
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Unknown (ち~でっす!)
2007-01-06 14:30:46
医療は、時代によって様々に考え方から方法まで変わっていっているのですね。
現在は傷を消毒薬で「消毒する」という観念は徐々に衰退していき、極端に言えば水道水で「洗浄する」というものに変わっています。
洗眼器なるものも10年ほど前に見たことがありますが、本当に吸い飲みのようなものでしたね。
当時義眼の方が使用していたもので、その頃でも既に、眼科での洗眼はあまり行われていなかったように思います。
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Unknown (うたのすけ)
2007-01-06 16:50:32
ち~でっすさんへ
洗眼なるもの、指を折って数えれば10年以上、かなり前から使われていないでしょう。義眼の洗滌に使われていたとは驚きです。ありがとうございます。
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