捨て身の日本軍<o:p></o:p>
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吾が空軍の一将師曰く「吾ら全軍体当たり捨て身の悔いなき戦争を決行せん。われらの子孫が、後世に於いて、祖先はかく戦えりということを記憶するかぎり大和民族は断じて滅亡することあらざるべし」と。それに対して作者はいささかながら批判的です。言々血を吐く声なり。叫びなり。凄絶悲壮、実に吾人をして背に粛然、また欣然たる感動を与うるものなれど、そもそもこの将、体当たり戦法をとりてこの戦争の前途に微光を認むるや否や。<o:p></o:p>
一月十四日(日)晴<o:p></o:p>
先日あまりに銭湯の悪口を書きたる天罰てきめん、きょうメリヤスのシャツ二枚板間にて盗まる。もっとも上等なるシャツにして、あと所持せるはぼろぼろに近き代物ばかりなれば閉口す。しかし可笑しくもあり。<o:p></o:p>
B29伊勢の皇大神宮爆撃。<o:p></o:p>
一月十五日(月)晴午後曇夕雪<o:p></o:p>
空襲のため毎日明日の命わからず。高須さん(下宿の大家さんか)までが遺言を書いておくという。余の遺言はただ一つ「無葬式」。紙製の蓮花、欲深き坊主の意味わからざる読経、悲しくも可笑しくもあらざるに神妙げなる顔の陳列。いずれも腹の底から御免こうむりたし。<o:p></o:p>
一月十六日(火)晴<o:p></o:p>
午前十時、独逸語の授業中警戒警報発令。校庭に飛び出すや否や、もう頭上はるかなる蒼空にB29西より飛びくるが見ゆ。こは何事ぞと呆れるうちに東方に消え去りぬ。弾幕いたずらに蒼空に美し。<o:p></o:p>
一月十七日(水)晴<o:p></o:p>
肥運搬人来らず、家多く糞壷より溢る。わが宅にても溢れて汲出口より塀に至るまで、尿と糞ながれて湿潤す。もちろん汚し。…東京に於いては手のつけようなし。穴を掘らんか、三坪の庭、その庭せまきまですでに防空壕を掘りてあるを如何せん。