銭湯の話はまだ続きます<o:p></o:p>
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(湯舟の客たちは疲れきっていたからといって、別に恐怖とか厭戦の表情は見せず、戦うという最高目的を忘れることはないと強調しております。そして戦う、戦う、戦い抜くということは、この国に生まれた人間の宿命の如くであると断じ、いささかも筆にためらいは見せてはおりません。なにか物悲しくなってまいります。)<o:p></o:p>
前には一人ぐらい、きっとお尻に竜などを彫った中年のおやじさんがいて、いい気持そうに虎造崩しなどをうなったものであるが、今はどこにもそんな声は聞こえない。<o:p></o:p>
壁の向こうの女湯では、前にはぺちゃくちゃと笑う声、叫ぶ声、子供のなく声など、その騒々しいこと六月の田園の夜の蛙のごとくであったものだが、今はひっそりと死のごとくである。女たちも疲れているのである。いや女こそ、もっとも疲労困憊し切っているのである。<o:p></o:p>
こうして裸になると、いかにも青年がいなくなったことがよくわかる。美しいアダムのむれは、東京の銭湯にはもう見られない。蠢いているのは、干乾びた、斑点のある、色つやの悪い老人か、中年、ないしは少年ばかり。(事実は辛辣で作者の目もまた深刻に現実を見据えております。)<o:p></o:p>
一月八日(月)晴<o:p></o:p>
午前第一教室にて大詔奉戴式、昼屍体解剖見学。(戦況逼迫の折から、医大でこうした授業が行われていたとは驚きです)<o:p></o:p>
放課後本郷にゆき金原書店にて加藤元一「生理学」(下)を求む。九円なり。<o:p></o:p>
帰途暮れの空襲被害地を見る。神田区役所付近、美土代町、神田駅付近、惨憺たる廃墟と化す。美土代最も荒涼たり。この三日に見末広町よりも被害地広し。焼けて赤き鉄屑、石、柱、或は機械の残骸、或は四、五台の自動車も焼けて放置さる。西空夕焼けて、灰じんの跡を斜めに照らす。高架を通る省線電車の窓、夕映えに燃ゆるごとく見ゆ。