見島のカセドリ行事(地域文化資産ポータル)
起源は定かでないそうですが、古老の話によれば、鍋島候が蓮池に城を築きその城主になって以来、およそ350年続いていると言われているとのこと。
見島のカセドリ(佐賀県佐賀市)は小正月行事ですが、カセドリとは神から使わされた雌雄のつがいのニワトリなのだとか(星野紘・芳賀日出男監修 『日本の祭り文化事典』 東京書籍、2006年、758-759頁 ウィキペディア「見島のカセドリ」2018/12/20からの孫引き)。
カセドリの語源ですが、稼ぎ鳥で卵を産むニワトリという説が妥当なんだろうと思います。ニワトリ(ウィキペディア 2018/12/20)を参照しましたが、江戸時代に採卵用としてニワトリが飼われるようになったそうで、時期は一致するんじゃないかと思います。また、佐賀藩の『諫早家日記』貞享4年(1687年)には長崎へ送られるニワトリについて記され、その食べ方は水炊きと考えられている「水煮」と記されているのだそうです。
弥生時代にニワトリの骨は出土するようですが、食用ではなく、鳴き声で朝の到来を告げる「時告げ鳥」としての利用だったようです。また、日本書紀や古事記に記される天岩戸伝説において、常世長鳴鶏を集めて鳴かせたという記述があり、時を告げる鳥として神聖視されたようです。ニワトリの名前ですが、古名では鳴き声から来たカケなのだそうです。カケ鳥と稼ぎ鳥をかけたのがカセドリなのかもしれません。見島のカセドリ行事は小正月行事であり(小正月行事に関しては拙稿「「来訪神:仮面・仮装の神々」(ユネスコ無形文化遺産登録)②(東北・北陸)」参照。中国式の太陰暦が導入される以前、一月の満月(望)が正月だったようです)、カセドリがニワトリだとすると、時告げ鳥だから年の始まりの来訪神だったのかもしれません。
その後も日本は仏教国となりやはり食用になることはなかったようです。戦国時代にはキリスト教徒のポルトガル人が西日本へ来航し、カステラやボーロ、鶏卵素麺など鶏卵を用いた南蛮菓子をもたらしたとのこと。南蛮菓子は珍重されたでしょうし、九州は言うまでも無く南蛮文化が入った最前線でした。
以上ですが、江戸時代に卵が珍重されるようにもなって、尚更有難みが増したニワトリ=カセドリが時告げ鳥として正月の来訪神になったということなのかもしれません。
起源は定かでないそうですが、古老の話によれば、鍋島候が蓮池に城を築きその城主になって以来、およそ350年続いていると言われているとのこと。
見島のカセドリ(佐賀県佐賀市)は小正月行事ですが、カセドリとは神から使わされた雌雄のつがいのニワトリなのだとか(星野紘・芳賀日出男監修 『日本の祭り文化事典』 東京書籍、2006年、758-759頁 ウィキペディア「見島のカセドリ」2018/12/20からの孫引き)。
カセドリの語源ですが、稼ぎ鳥で卵を産むニワトリという説が妥当なんだろうと思います。ニワトリ(ウィキペディア 2018/12/20)を参照しましたが、江戸時代に採卵用としてニワトリが飼われるようになったそうで、時期は一致するんじゃないかと思います。また、佐賀藩の『諫早家日記』貞享4年(1687年)には長崎へ送られるニワトリについて記され、その食べ方は水炊きと考えられている「水煮」と記されているのだそうです。
弥生時代にニワトリの骨は出土するようですが、食用ではなく、鳴き声で朝の到来を告げる「時告げ鳥」としての利用だったようです。また、日本書紀や古事記に記される天岩戸伝説において、常世長鳴鶏を集めて鳴かせたという記述があり、時を告げる鳥として神聖視されたようです。ニワトリの名前ですが、古名では鳴き声から来たカケなのだそうです。カケ鳥と稼ぎ鳥をかけたのがカセドリなのかもしれません。見島のカセドリ行事は小正月行事であり(小正月行事に関しては拙稿「「来訪神:仮面・仮装の神々」(ユネスコ無形文化遺産登録)②(東北・北陸)」参照。中国式の太陰暦が導入される以前、一月の満月(望)が正月だったようです)、カセドリがニワトリだとすると、時告げ鳥だから年の始まりの来訪神だったのかもしれません。
その後も日本は仏教国となりやはり食用になることはなかったようです。戦国時代にはキリスト教徒のポルトガル人が西日本へ来航し、カステラやボーロ、鶏卵素麺など鶏卵を用いた南蛮菓子をもたらしたとのこと。南蛮菓子は珍重されたでしょうし、九州は言うまでも無く南蛮文化が入った最前線でした。
以上ですが、江戸時代に卵が珍重されるようにもなって、尚更有難みが増したニワトリ=カセドリが時告げ鳥として正月の来訪神になったということなのかもしれません。