各建物の外壁には、当時、日常的に行われていた残虐行為が描かれていた。
さらに収容所敷地を進むと、1947年4月16日に初代所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスが絞首刑になった場所に出た。
絞首刑場跡
その横の狭い入口を入ると、復元されたガス室と遺体焼却炉に出る。
ここでは、32分で800名処刑可能であったとされており、死体は施設に備えられた焼却炉などで処分され、遺体の骨は砕かれてビスチュラ河に捨てられたそうである。
From Face Book: Auschwitz-Birkenau(4).