つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1239号 嫌なジジイになってきたのかな?

2022年07月06日 | 抱っこ通信
つながりあそび・うた研究所ホームページの月初めに、ピカリンとゆずりんとまっちゃんからのつながり仲間へのメッセージが「風の便り」として連載されています。是非、研究所のホームページをご覧ください。6月号の転載です。

つながりあそび・うた研究所風の便り2022年6月号原稿
「嫌なジジイになってきたのかな?」
        二本松はじめ 
 ロシアがウクライナに侵略を始めて3か月が経過しました。私のつながりあそびやつながりソングの動画では、戦争反対!という思いを込めて毎週アップしています。子どもたちの笑顔をつくりだす一人として、子どもたちの笑顔を(命)守るためにも、つながりあそび大好きな一人として新曲もつくりました。抱っこうたもつくりました。

 テレビで見たのですが、キーウ近郊で生活している女性が話していたのですが、「最初の頃は、人が殺される、亡くなるということで気が狂いそうだった自分が、時間が経過する中で、そういう気持ちが薄れ、単なる数字だけしか感じられない自分になってしまっている。今では銃を持つことも、人を殺すことも平気になってしまっている」と自分の変わりように驚き、嘆き悲しんでいました。
連日の報道の中で、私たちの中にも、私の中にも同じように感じる時があります。660万人のウクライナ国外への避難民一人ひとり(多くは女性と子ども)のそれまでの暮らしや喜び、悲しみ、思い、願い、幸せ・・・そしてこれからの暮らしや喜び、悲しみ、思い、願い、幸せ・・・どれだけ感じられているのだろうか、考えられえいるのだろうか。

 この侵略戦争に乗じて、今、軍事費増額、軍備増強、敵基地攻撃、核共有、憲法改悪など、安全保障は、武力には武力、とばかり声高に叫ぶ自公政権、維新などの動きは、参議院選挙を前に急を大きくなっています。先の戦争の反省の中から生まれた、別の言い方をすれば、多くの市民の、特に女性たちの悲しみ、苦しみの中から生まれ、未来への希望を見出した憲法を、憲法九条を改悪することは許すことができません。憲法は私たち人類の歴史と事実から学び、くり返してはいけないことはなにか、何を理想として、何を目指すべきかを書かれたものと思います。そこには平和は、安全保障は武力ではなく話し合いで、外交でと書かれています。きっと、自公維などは、人を見ないで数字で物事を判断しているに過ぎないのです。地球に住まわしてもらって「人」を見ないのですね。今、戦争反対!という声を小さい声でもあげることが大事です。一人ひとりの声をつないでいくことが求められていると思います。
私に出来ること。週一回の駅頭での「ロシア侵略戦争反対。憲法改悪反対署名」等を訴える市民行動の中でうたうことは続けたいと思っています。


 最近、70年代、80年代に活動していたことをやたら思い出して懐かしんでいます。まだ、20歳代、30歳代で東久留米市役所に働いていた頃です。全国をまわっていた全レク(全日本レクリエーション・リーダー会議)の活動や、仕事としての社会教育活動、市職組合活動、地域での全レク活動、全レク一座の活動等などです。たまたま、その頃を思い出させる作品や活動や仲間たちに遭遇しり、調べたりする機会があったからです。
 特に、フォークソング等を歌っていた仲間たちのLPレコードを聴いてみたかったのです。もう一つは学生時代に楽しんでいたフォークダンスのレコード、民族音楽のレコードを聴きたかったのです。
いざ、プレーヤーを操作してもレコードが回りません。ラジオ、CDは聞けるのに。相当期間、使っていませんでしたから故障していたのでしょう。急遽、無理してそれなりのプレーヤーを購入しました。そうだレコードを聴くというのは間違いですね。レコードに収録されている歌を、音楽を、ですね。

当時の多くのレコードが、若い仲間たちの手で制作されています。みんな貧乏な時代でしたから自己資金なんかありません。みんなで少額を持ち寄ったり、カンパしてもらったりしながらです。ある面では、今で言うところのクラウドファンディングでしょうか。アレンジも演奏も基本的には本人や仲間たちです。録音スタッフだけはプロにお願いしています。
音楽の出来という点では、各盤によってかなりの違いがありますし、いろいろな意見があると思いますが、その熱量は、今も昔もあまり変わっていませんが、どちらかというと当時の方が熱かったかな。ここに惹かれるものがあるのです。なぜ、あの頃はみんな熱くなれたのか・・・。

今、思えばですが、自分の生き方や職場や家庭や様々な悩みや問題を抱えながらも、ただひたすら自分の好きなことやっていたに過ぎないのですが、結果として、人間らしい働きやすい職場に変えることや暮らしを、世の中を、政治を、世界を変えることにつながることを信じていたように思います。別に、そう考えること、信じることが、特別なこと、なにか凄いこと、格好いいことだからなんて、誰も意識はしていなかったです。ただ歌ってつどっていたのですから。
好きなこと、楽しいをやっていれば、そこに同好の士というか仲間たちが集まってきて、その仲間たちの仲間たちも集まってきました。当然、人が集まればいろいろな話、いろいろな考え、いろいろ生き方がぶつかったり、くっついたりしながら、一人の人として普通に自分の仕事や暮らし、そして社会や世界に目を向け、耳を傾け、中には行動する者も出てきたりしたのですね。なにも、そういうことを特別に話し合うなんていうことでなく、飲んだり、食べたり、遊んだり、おしゃべりしたり、コンサートなどに取り組んだりして、つながりが複雑に豊かになる中で、人として感じあえたのです。

自分のそういう一人だった気がしました。住むところも仕事も知らず、顔も知らず、話したこともないけれど、同じような思いをしながら歌って活動していると、なんだか信じられる仲間たちがたくさん出来たことには間違いなかったです。一人の人間として当たり前だったのですね。そんな時代のそんな仲間たちがつくったLPレコード、歌です。音楽です。だから聴きたいのです。ま、昔は良かった、と思いたいだけかもしれませんが・・・。今の若者たちになんでできないの、やらないの、と言いたいのかも知れませんが・・・。
いやだいやだ、ただの嫌味なジジイになっている・・・。ちなみに私も遅ればせながら40歳記念として、1987年に自主制作のカセット、カセットですよ、『生きて生きて生きて』を出しました。資金は公務員でしたから労金から借りられましたが、初版2000本、2~3回増版して、なんと4000枚以上広がりました。もちろん借金は完済。でも、一緒につくってくれた仲間たちには良い意味で「人としての借金」をしたと思っています。その後の活動は、その借金を返済する意味もあるのです。



 7月17日に愛夢主催でいよいよサマー・カレッジが再開します。京都とも開催予定でしたが、会場の空調関係の工事が急遽入ったということで中止になりました。コロナに関してもだいぶ見えてきたこともあるのかも知れませんが、9月以降に研修会や親子あそびで来てほしいという依頼もあります。みなさんの職場、地域ではつながりあそびを楽しむような環境はまだでしょうか。

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