筑波大学硬式野球部のブログ

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ラストシーズンに懸ける想い③(体育4・小田切大也/会津、社会4・寒野雄太/西宮)

2024年08月17日 20時00分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 


第3回は小田切大也(体育4・会津)と寒野雄太(社会4・西宮)です。





こんにちは筑波大学4年小田切大也です。




はじめに、監督をはじめとする指導者の方々、スタッフ・関係者の方々、今までご指導いただきありがとうございました。


毎年何気なく読んでいたラストブログですが、とうとう自分が書くになりました。なんだか不思議な感覚です。


またそれと同時にラストブログを書くということは小学校3年生から始めた学生野球が終わりに向かっているということでもあり寂しさを感じます。


普段から自分のことをあまり口にしませんがこのような機会なので自分なりに書こうと思います。




私は小学校3年生から野球を始めました。しかし、なぜ野球をやりたいと思ったのか、なぜ始めたのか全く記憶がありません。


ただ野球が好きで楽しくて友達と遊ぶにしても野球、テレビを見る際はプロ野球何をするにしても野球が身近にあったような気がします。



リトルリーグに入団したのですがまあまあ強く本気で全国大会を目指していました。なんなら行けるものだと思っていました。しかし、東北大会で負けてしまい号泣したのを覚えています




中学校ではボーイに入団しました。ボーイズの練習がない日は中学校での部活を終え下校した後すぐに先輩や同級生、後輩と室内練習場に集まり、毎日練習していました。


今では考えられません。



リトル、ボーイズ指導者との出会いがなければ野球をここまで好きになり、大学野球を続けることもなかったと思います。



本当にありがとうございました。




高校は不完全燃焼で終わってしまいました。


毎日の練習は2時間程度で気付いたらす終わっていました。秋、春と聖光学院に負け夏も全く何もできずに負けてしまいました。


コールドで負けたのですがあまりにも歯が立たず絶望し、6回くらいに守備に付きながら明日から受験勉強かーと思ってしまいました


終わってます。


同級生、後輩のみんなごめんなさい。



浪人もしていますが文字数の関係で割愛します。


ただ小中高浪人と本当に仲間に恵まれ今の自分がいます。




そんなこんなで筑波大学に入学します。




大学で多くの人に出会いました。


この場を借りて感謝を伝えたい人がいます。

まず、Bヘッドであった傳谷さんと榊原さんです。


自分がノックやハーフをお願いした際は、日が暮れるまで練習に付き合っていただきました。


私がリーグ戦に出場できたの2人のコーチのおかげです。本当にありがとうございました。


次に西浦さんと生島さんです。


普段の自主練リーグ戦の前泊の際にご飯に誘っていただいたりと大変お世話になりました。


また、アップの時間の雑談や自主練中野球の技術について話したりするのがとても楽しかったです。ありがとうございました。




話は変わりますが、私は筑波大学というチームが好きです。


リーグ戦になるとグランドの選手とスタンドが一体となって勝ちに向かう姿はどこのチームにも負けておらず誇りです。



そのような部分から学んだことがあります。 



この一体感はグランドでプレーする選手とスタンドで応援してくれる選手スタッフの信頼関係によって生まれるものであるということです


自分が選手であるため選手目線で書きますが、選手は応援してくれるスタンドのみんなにこいつならやってくれるといったように信頼してもらこいつのために応援しようと思われる選手になる必要があると思います。


そのために普段の私生活や練習態度、言動に責任を持たなければなりません。これらのことをチーム作りを通して、また、最近より一層思うようになりました。



後輩には筑波の良さ1つでもあると思うので受け継いでもらいたいです。


こんな一丁前なことを言っていますが自分もまだまだだと思うので信頼される選手、応援される選手を目指してラストシーズンまで走り抜けたいと思います。



また、野球への取り組み方にも影響を与えました。



これまでは、結果を出すことに執着し、自分のことばかり考えていました。


しかし、筑波大学でプレーしていく中で学生スタッフに感謝の気持ちを持ちながらプレーするようになりました。


普段のノックやバッティングピッチャーしてくれるおかげで自分たち選手練習することができているし、キャンプや試合ができるのはマネージャーがさまざま準備をしてくれるから、リーグ戦で打つことができるのはSSDの対策のおかげです。



いつも本当にありがとう。



そして、ラストシーズンの目標はリーグ優勝です。これまであと1歩のところで優勝できずにチームとしても、個人としても悔しい思いをしてきました。


この悔しさ感謝の気持ちを忘れずにリーグ優勝という目標を実現できるように頑張ります。

 



最後になりますが両親に感謝の言葉を述べたいと思います。



これまでなんの不自由もなく野球を続けさせてくれてありがとう。最後のシーズン悔いなく良い形で終われるように頑張ります。




他にも色々書きたいことはありますが文字数の関係で割愛します。気になることがあれば聞きに来てください。



纏まりのない文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

 



体育専門学群4年小田切大也

福島県立会津高等学校







こんばんは。寒野です。



ブログ締め切り当日にもかかわらず、21:00過ぎまで書くのを忘れていました。僕の悪いところが出ていますね。森本君すいません…。

SSDで鍛えられたタイピング技術を駆使して急ピッチで書いたため、拙い文章になっているとは思いますが、お付き合いいただけると幸いです。
 


楽しみに読んでいたラストブログもいよいよ書く側になってしまい、小回りを走っているときは永遠に感じた大学野球も今思うとものすごく一瞬だったなと感じています。

飯塚君や南原君のような面白い文章は書けないので、まじめに波乱万丈な大学生活を振り返っていこうと思います。
 

新型コロナウイルスの影響で高校野球最後の春、夏の大会が中止となり、さらにろくに練習もできない環境の中で怪我をしてしまい、最後の独自大会はベンチに入ることすらできませんでした。


そんなやりきれない気持ちのまま受験勉強に励み、倍率9倍の壁を突破して筑波大学社会学類に入学しましたが、一向にけがは良くならず、結局大学に入ってからは3回しかブルペンに入ることができませんでした。


自転車で転んで骨折するなどプチアクシデントはありましたが、覚えている人はほとんどいないくらい下級生のころは影が薄く、虚無な日常を送っていました。

正直、この期間に野球部をやめたいと思ったことは幾度となくありました。
 

そんな生活を送っている最中、僕の中で大きな転機が訪れます。

2年の夏帰省が終わり、憂鬱な気分でつくばに戻ってきた次の日、スーパーで買い物中に意識を失い、救急車で運ばれ、入院することになりました。

部活が憂鬱すぎたせいなのか、帰省ではしゃぎすぎたせいなのか、倒れた原因は不明ですが、しばらくの間体調は良くならず、結局1か月以上部を離れることになりました。

その期間このまま野球部を辞めてしまおうかこれまで以上に相当真剣に悩みました。
 

ではなぜ踏みとどまり今も野球部にいるかと言ったら、それはおそらく重久君と菅野君のおかげだと思います(本人たちは自覚ないでしょうが…(笑))。


今でこそトレーナーとして大活躍の2人ですが、当時は僕と同じく不甲斐ない(といったら怒られそうですが…)大学野球生活を送っており、ともにCチームで頑張っていた仲間でした。

そんな2人が練習後に見舞いに(からかいに)家に来てくれて、その時に「もう少ししたら練習行くわ」と話したのが一歩を踏み出すきっかけになりました。

そして、その後行われた学年ミーティングに活樹よりも白い顔で参加し、一足早くスタッフになる決断をしました。
 


ここまでの重い話とは対照的にSSDになってからは充実した生活に一転しました。

SSDといっても何かわからない方も多いと思うので簡単に説明させていただくと、主に映像やデータを用いて、対戦相手や自チームの分析をするスタッフの役職です。

毎週末朝から晩までバックネット裏でリーグ戦を全試合見たり、市長杯前に3日マネ室でほぼ寝ずに作業したりと、大変なことも多いですが、それ以上にチームの戦力になれている充足感があります。

そして何よりもそれまで畏れ多くて話しかけづらかった波戸さんや偉大な先輩方とも仲良く話せるようになって飲みに行けるようにもなったことが先輩っ子の自分にとってはうれしかったです。(げんちゃん早く飲みつれてってね)
 


SSDになって精神的に余裕ができてから今までなかった親への感謝の気持ちが芽生えてきました。


こういう題材のブログとしてはありきたりすぎて飽き飽きかもしれませんが、高校時代は家族とほとんど会話することがなかった自分にとってはここじゃないと書くことができないのでお許しください。


大学に入って1人暮らしを始めてから、ご飯を作ったり、洗濯をしたり、掃除をしたりがどれほど面倒くさいかを思い知りました。

SSDになって遠征費が倍以上に増えて僕の貯金が尽きても負担してくれたり、大学院に進みたいと言ったときも快諾してくれたりと最近は本当にありがたいなとひしひしと感じています。

とりあえずは大学院に落ちて、負担を増やしてしまわないように勉強頑張ります。
 

自分は今まで知らなかった新しい道を拓いてくれた筑波大学野球部に感謝しています。

もしかしたら今後一生この仕事をするかもしれないですが、学生野球はこれで最後です。

最後の最後は自分の役割を全うして悔いのない終わりを迎えたいです。


春リーグ後悲惨なリーグ反省を話しましたが、あれだけ過酷な練習を乗り越えたピッチャー陣ならやってくれると割とまじで信じています。


最後の最後で優勝して良い景色を見させてください。
 
p.s. 今シーズンこそはノーエラーでハマスタ、神宮に連れてってください宮澤くん。
 
 
最後まで読んでいただきありがとうございました。



社会・国際学群社会学類4年 寒野雄太
西宮市立西宮高等学校



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