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雨曇子日記

エイティライフの数々です

雷電稲荷神社

2015-01-14 18:25:09 | 神社仏閣

1 月 12 日(月) 京王線改札口を出て新宿御苑に行きました。初めてのコースなので、見るものがみな珍しく、キョロキョロしてしまいました。

 

     

           (駅前のビルは工事中)

             

             

                     (この改札口は初めて)

             

     

     

 

そして、道端に発見した雷電稲荷神社。

 

     

     

        (なぜか狐に金網がかぶせてある)

                          

 

帰って blog “猫の足あと”で調べてみると、この神社について次のような解説がありました。

「創建年代は不詳ですが、源義家が奥州征伐途中雷雨にあい、小祠前で休んでいる時、一匹の白狐が現れ、義家の前で三回頭を下げたところ雷雨がたちまち止んだことから雷電神社と呼ばれるようになったと伝えられています。

昭和 3 年に花園神社に合祀され、宗教法人としては消滅しましたが、現在も鳥居と祠が残されています。」

 

   


一年の穢れを祓う

2014-12-31 22:52:28 | 神社仏閣

    

 

「どなたもご自由に」とあったので、近くの神明社の大祓式に出かけた。

 

     

     

 

神事は、大祓詞(おおはらへのことば)を神官と一緒に唱えることから始まった。

“今日より始めて 罪という罪は在らじと。祓へ給ひ清め給ふ事を天つ神 国つ神 八百万神達共に聞こし食せ(めせ)と恐み(かしこみ)恐み白す(まをす)”

 

             

             

     

 

そして、茅の輪くぐり、神官を先頭に、左、右、左と大きく 潜り抜けた。

 

             

             

             

             

             

 

それから、各自が捧げ持った竹串を神前の一箇所に置き、拝殿へと進んだ。

 

             

             

     

             

             

             

             

             

             

 

式が終わって拝殿を出ると、暮色がたちこめ始め、境内の立ち木の枝の先に上弦の月が光っていた。

 

     

             

             


赤坂・日枝神社

2014-12-19 23:04:33 | 神社仏閣

             

 

12月18日(木) かねて訪ねてみたいと思っていた赤坂・日枝神社に行きました。

東京メトロ溜池山王駅を降り外堀通りに出ると、大鳥居に出会います。

屋根つき、足許を保護された立派な鳥居。(合掌造りと根巻をもった山王鳥居)

階段の脇には上り専用のエスカレーターがついています。

 

     

     

 

階段を上りきって最初に目についた建物は、料亭ふうの披露宴会場とその待合室。

 

             

 

境内に入ると、茅の輪がありました。

 

             

    

 

この神社の神の使いは猿(申)ということで、夫婦猿像が置かれていました。

 

     

     

     

 

神門には注連縄が飾られています。

 

     

 

国を護る神社ということで、戦前は“国幣大社”という高い格式を与えられたこの神社は、国宝だった社殿が全て大空襲で焼失し、昭和33年(1958)に再建されたのだそうです。

 

     

 

52段の男坂を下りて帰りました。同行してくれた新小岩のご隠居さん、ありがとう。

 

   


ムラの神明社 2015

2014-12-16 19:20:29 | 神社仏閣

            

     

 

よく訪れる近くの神社ですが、最近の充実ぶりには驚かされます。

立派な石段を上ります。

 

     

             

 

宝暦七年丁丑(ひのとうし)は1757年、石華表とは鳥居のこと、下総国相馬郡塚崎村と書かれている。

ずらりと並んだ石灯籠は平成12年奉納。

 

             

            

 

この神社には、もう一つ大正4年の参道があります。

 

     

             

            

 

江戸時代奉納の石垣、手水鉢は、よく手入れされ、手水鉢には水道水が注ぎこまれています。

 

             

             

             

 

社殿の修理は、今年(平成26年)行われました。

 

             

             

 

昔から村にあった石祠は、統合されています。

 

     

 

境内の杜は整備され、すっきりしました。

 

             

             

             

             

 

ここは、弁天様を祀った弁天池です。

 

     

 

木彫りの狸様?と石造りの大黒天は、従来なかったものです。

 

            

 

そして、茅の輪くぐりの神事も復活しました。

 

             

 

12月16日(火)小雨の境内を歩きながら、神様を深く尊崇していた昔の人々もこの改革なら喜んで迎え入れるのではないかと思いました。

 


霊巖寺

2014-11-01 20:25:12 | 神社仏閣

東京メトロ半蔵門線・都営大江戸線“清澄白河”駅下車徒歩3分の霊巖寺。(深川江戸資料館隣)

門を入ると本瓦葺きの大屋根が現れた。

 

     

             

 

昔、霊巖島と呼ばれた中央区新川1・2丁目、そこに雄誉霊巖上人が開いた霊巖寺があったので、そう名づけられた。

明暦3年(1657)の大火で被災し、この地に移った霊巖寺。その後、震災、戦災を経て現在の本堂となった。

 

ここに、陸奥白河藩3代藩主松平定信の墓がある。(国の史跡)

 

     

 

松平定信は8代将軍徳川吉宗の二男田安宗武の七男で、白河藩の養子に入った。

11代将軍徳川家斉(いえなり)の下で、主席老中、将軍補佐となって、寛政の改革を推進した。(池波正太郎“剣客商売”では、田沼意次を“よし”とするので、こちらは悪役となる)

ともかく、この墓の故にこの地は「白河」である。

 

ピカピカの本堂とは対照的に、境内の仏像は古めかしい。

 

     

            

             

 

大きな銅製の地蔵は、江戸6地蔵の5番目。享保2年(1717)のもの。

 

墓地の前に並んだ6地蔵をよく見ると左2体は新しい。顔が黒い地蔵は、昭和20年3月の東京大空襲の戦火に焼かれたと思った。

 

             

            


亀戸天神社

2014-10-01 16:31:35 | 神社仏閣

              

      

 

JR総武線は隅田川を東に渡って、両国、錦糸町、亀戸と続きますが、亀戸天神社は、錦糸町と亀戸の中間、蔵前橋通り沿いにあります。

九州の大宰府天満宮に対する東の天満宮です。

 

     

             

                    (戦前の鳥居の土台石)  

 

鳥居をくぐると、朱塗りの大きな太鼓橋(男橋)があります。

 

     

 

橋の上からの展望です。

 

             

             

             

 

男橋があれば、当然、女橋もあります。

 

             

             

             

 

立派な石橋が池をめぐり、藤棚が池の上にせり出しています。

 

             

             

             

 

亀戸天神社が賑わうのは、梅や藤の頃、あるいは“うそ替え”の神事の頃です。

 

     

 

でも、塩原太助の寄進した灯篭、道真公ゆかりの牛の像などの存在も、天神社のゆかしさを深め人々を惹き付けていると思いました。

 

     

     

             

     

 

菅原道真公は承和(じょうわ)12年(845)乙丑(きのとうし)の御生誕。ご逝去の延喜(えんぎ)5年(905)も乙丑(きのとうし)年。

御遺体を運ぶ牛車の牛が座り込んで動かない地に建てられたのが大宰府天満宮。

それらの縁から、牛は天神様の神使(みつかわしめ)として信仰されているのだそうです。

 

 

 

 

 


円通寺

2014-09-18 18:03:23 | 神社仏閣

     

 

9月11日(木)南千住散策で立ち寄った、円通寺(南千住1-59-11)です。国道4号線沿い、千住大橋手前にあります。

大観音像があるのは、百観音の寺だからでしょう。

 

江戸時代、門前に秩父、坂東、西国の百の観音像を安置した観音堂がありましたが、安政の大地震で倒壊し、観音像は33体が本堂に保存されているそうです。

 

     

 

書院への門に榎本武揚筆の額がありました。

 

     

 

境内の彰義隊士の墓には生花が手向けられています。

 

             

             

 

「死節之墓」は三河屋幸三郎が向島の別荘に秘かに建てて供養していたものだそうで、近藤勇、土方歳三他97名の氏名が彫ってあるそうです。(確認しなかった)

 

     

     

     

     

 

弾痕きわだつ黒門のほうは修理を終えたばかりのようでした。

 

 

 

 

   


延命寺

2014-09-12 11:48:45 | 神社仏閣

     

 

Wikipedia には、宮城県白石市から長崎市まで29の寺院が記載される「延命寺」。

その一つ、東京都荒川区の「延命寺」に来た。(2014. 9.11)

JRや日比谷線、つくばエクスプレス南千住駅西口すぐ。JRと日比谷線の線路に挟まれた一画に建つ。

 

             

             

 

先の東日本大震災で地蔵の左腕が落ちるなど、大被害を受けたが修復された。

 

     

     

 

ここは、江戸時代鈴ヶ森と並び称された小塚原(こづかっぱら)刑場で、明治の初めに廃止されるまで、磔、斬刑、獄門などの刑が執行され、その間の刑死者の数は20万人以上という。

地蔵は、刑死者の菩提を弔うために、寛保元年(1741)造立された。

そんな歴史を感じながらこの場に立つと、なにか厳粛な気持ちに襲われました。

 

             

            

             

 

 

 

             


亀戸の名刹  普門院善應寺

2014-03-27 12:41:58 | 神社仏閣
     


亀戸3丁目の普門院の前にいた人、散策の下見だそうです。
「見所いっぱいですよ」通りがかりの私は、思わず口を出しました。


             


「お墓そのものじゃあないですよ、これは。この寺の墓地にあるという案内です」


             


「お墓はこちらです。この書体は、中村不折ですね」


     
     


「山門に戻って、右手の茂みの中にある大島伯鶴の碑を見てください」


      


講釈師2代目大島伯鶴は、昭和10年代には、6代目一龍斎貞山と人気を2分し、NHKラジオでは、正月は伯鶴の「愛宕山」(寛永の三馬術)、暮れの14日は貞山の「義士の討ち入り」と相場が決まっていました。
辞世の句、「伯鶴は永々嘘をつきました どうせあの世で 舌はないもの」は、「講釈師見てきたような嘘をつき」を踏まえています。
この方は、チャラを入れるのが得意で、子ども達にも分かるような講談だったそうです。

少し長くなりましたが、あと一つ、この寺にはこんな伝承があります。


             


1616年(元和2)橋場(足立区千住)にあったこの寺が当地へ移転の際、梵鐘を隅田川に落としてしまい、そこが、「鐘ヶ淵」と呼ばれるようになりました。

徳満寺

2014-03-23 18:17:01 | 神社仏閣
     
             


利根川に架かる栄橋を渡って左手、小高い丘に、真言宗多聞院徳満寺があります。


             
             


立派な本堂ですが、この寺が有名なのは本堂の廊下に掲げられた「間引きの絵馬」です。


             
     


柳田國男は13歳のとき、この絵馬を見たことがきっかけとなって、民俗学者の道を歩んだと言われます。

境内から利根川を望み、この地を来訪した小林一茶の句碑がありました。


             
             
     


こちらは、別棟の地蔵堂。
オビンズル像、大黒像が鎮座していました。


             
             
     
             


鐘つき堂の鐘は、今も時の鐘でした。


     


大師巡拝の信者の人たちによって大正3年に建てられた大きな宝キョウ印塔が建っていました。


     


茨城百景の石碑の前で一休みしているのは、柏市から自転車で来たFさん。
ここまで、20キロ強とのこと。

水運が盛んだった昔は、利根川べりのこの寺は、多くの参詣者で賑わったことでしょう。


             


地蔵堂の裏手は、大木に囲まれた琴平神社です。


             
             
             
     
     


見所満載の徳満寺でした。