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雨曇子日記

エイティライフの数々です

法華経寺散策 ③ 祖師堂&光悦の墓

2015-10-01 16:46:06 | 神社仏閣

 9 月末の平日、お昼少し前の法華経寺の境内はいつになくひっそりとしていました。

私たちは、国指定重要文化財の祖師堂をじっくり眺めました。

比翼入母屋造りの屋根は、岡山県の吉備津神社とここだけだそうです。(ガイドマップ)

 

             

             

             

             

 

同じく重文の五重塔は、本阿弥光室(光悦の甥)が両親の菩提を弔うために加賀藩主前田利光公の援助を受けて元和 8 年( 1622 )に建立したものです。(ガイドマップ)

 

             

             

 

京都鷹峰にあった光悦の住居は、現在光悦寺(日蓮宗)ですが、この法華経寺にも分骨墓があります。(市川市有形文化財)もう一つは、本阿弥家の分骨墓です。

 

             

                   

        (中央に「妙法了寂院光悦日豫尊霊  脇に「寛永十四丁丑年二月三日」)

 

一段と高く、墓地を見下ろす丘に通ずる石段を上ると累代の上人の墓が並んでいました。

 

      

             

             

      

 

カメラを向けていると、蚊にさされたので早々に退散しました。

 

 

             


法華経寺散策 ② 安房神社&八大竜王

2015-09-30 16:42:50 | 神社仏閣

法華経寺の西隣に安房神社がありました。

 

             

 

日蓮上人が安房出身ということで、近世になって安房一宮の“安房神社”を勧請したのかなと勝手に想像しました。

 

             

                   

           

 

坂を降りると、法華経寺の境内、竜王池です。

ここには、何度も来ているのに、八大竜王の存在に気づきませんでした。

 

             

             

           

             

 

社の裏手にはいろいろな石碑が並んでいました。

 

             

             

   

 

八大竜王は、日蓮宗の寺で祭られているようです。

いろいろな信仰があるものです。 


法華経寺散策 ① クスノキの怪力

2015-09-29 21:54:46 | 神社仏閣

8 月いっぱい休んでいた N K K 散歩を再開し、集合地の京成線中山駅を出て歩き出しました。

 

     

 

泰福寺の「元弘の板碑」は法華経寺第 3 世日祐(にちゆう)上人自筆で「南無妙法蓮華経」と書かれた「題目板碑」で、この寺を開いた日寂(にちじゃく)のために建てたもの。元弘二年( 1332 )のものです。

 

             

          

             

             

              (これは現在の泰福寺です)

 

この寺から安房神社に向かう道すがら、石垣を突き破るクスノキの怪力を目の当りにしました。

 

             

             

             

        

 

「道路際に木を植える場合は、成長した姿をイメージする必要があるね」と N さんが言ったが、驚くべきはクスノキの怪力、と私はただただ感心してしまった。

 

             

 

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柏 長全寺

2015-06-22 22:19:55 | 神社仏閣

     

  (寺の門前から大きく見える“そごう”の回転レストラン)

 

JR柏駅東口にある長全寺です。

 

     

     

 

長全寺は、天正 3 年( 1575 )戸張村(柏市)に村の豪族“戸張氏”の菩提寺として開かれました。

現在地に移ったのは寛永年間(1624~1643 )といわれます。

仁王像・四天王像のある山門の落慶は昭和 49 年( 1974 )です。

 

             

     

             

             

 

七福神像は分かり易く親しめます。

 

     

 

一本だけ残った椎の木です。

 

     

     

 

門前に立つお地蔵さんは、昔から村人の信仰を集めていることが想像されます。

 

     


法華経寺の五重塔

2015-04-18 13:53:07 | 神社仏閣

          

 

4 月 15 日(木)中山法華経寺は骨董市が開かれ、かなりの賑わいをみせていました。

 

                

                

                

 

法華経寺の五重塔は境内の外からも眺めることができ、このあたりの寺町の雰囲気を醸し出しています。

 

                

                

          

                

 

心柱の上に乗った相輪の長さは 8.30m で、全体の高さ 30.74m の 27 %あまりを占めるといいます。(新編 市川歴史探訪)

私は法華経寺に来るとついつい日蓮上人像にカメラを向けてしまいます。

 

                

     

 


中山法華経寺の総門

2015-04-17 16:50:47 | 神社仏閣

                     

          

                

 

法華経寺参道の最初の門、黒塗りの総門にかけてある額が以前から気になっていたので調べてみた。

「江戸末期の遠江掛川五万石藩主太田資順(すけより)の筆。

これは、釈迦如来の入滅後、闇浮提(えんぶだい・人間界)の内で日蓮上人が初めて仏法を行った法華道場であるという意味」

門・扁額ともに市有形文化財(昭和 31 年 11 月指定)

 

法華経寺の北東 500 m弱の高台に奥の院があるが、ここは、鎌倉時代、冨木常忍の館があった所で日蓮はたびたびこの館を訪れ、法華経の教えを説き、また幾多の法難にあったときもここに身を寄せたといわれる。(新編 市川歴史探訪・千之原靖方著)

 

          

          

 

 


神々の住処(すみか)

2015-04-14 14:26:08 | 神社仏閣

4 月 12 日(日) 私は徒歩で柏市あけぼの山公園を目指していました。

我孫子方面から来て、布施の畑の道をあてずっぽうに歩いていました。

 

       

 

野道から林の道に入ると、一箇所大きく開けた空間があることに気づきました。

 

                

                

 

入ってみると、そこは神社のようでしたが、鳥居は見当たりません。

 

                

                

 

祠と数基の石碑があるだけの空間でした。一番大きな祠を訪ねるとそこには「日枝神社」と書かれた石碑が納められていました。

 

          

          

 

他にどんな神様がいらっしゃるのか訪ねてみました。

 

          

                                      (香取神社)

          

                  (雷神宮)

                     

    

     (天満宮)

 

林を抜けるとそこにチューリップの咲く“あけぼの山公園”がありました。

 

          

                

                

 

振り返ると、神々の住処は森にすっぽりと隠れ、桜の大木が満開の花をつけていました。

 

                

 

       


戦災供養碑の建つ寺

2015-03-08 20:00:46 | 神社仏閣

                

                

                     

 

亀戸天神から東に 300m ほどの地に建つ真言宗の寺、福聚山普門院の墓地の入り口に大きな戦災犠牲者供養碑、観音像が建っている。

 

                     

                     

                

                 

 

昭和 20 年 3 月 10 日の東京大空襲による犠牲者を、33 回忌にあたる昭和 55 年に供養したものだ。

戦前の亀戸地区は工業地帯で住宅が密集し多くの人が住み、その人たちが戦火に焼かれた。

供養碑の近くにある木の幹に何か異様な物が埋まっていた。70 年前の大空襲の傷痕なのだろうか。

上を見上げると葉を茂らせていた。

 

                

                

                

 

大正・昭和の講談師 大島伯鶴の碑は、寺の入り口の棕櫚の葉に隠れて建っていた。

 

          

                     

 

                               辞世の句

                伯鶴は永々嘘をつきました いずれあの世で舌は無いもの

 

“講釈師見てきたような嘘をつき” 講談を語る人は、見てきたように話をするのが商売。講釈師である伯鶴がこのような碑を建てるところがおもしろい。

この碑には人間国宝 5 代目柳家小さんの、伯鶴の講談師としての功績を称える一文が刻まれている。

 

この寺には、元和 2 年( 1616 )、(台東区)橋場からこの亀戸の地に移転する際、梵鐘を隅田川に落とし、その地が“鐘ヶ淵”の名がついたという伝承がある。

寺のそんな歴史を物語るように、古い石仏が並んでいた。

 

                

                     

                

 

 

 

                

 

 


豆まき

2015-02-03 19:04:16 | 神社仏閣

               

 

ここは我孫子市子の神大黒天延寿院です。

手賀沼を見下ろす高台に建つ真言宗の寺院です。

2 月 3 日(火)ここでも節分の豆まきの行事が行われました。

手賀沼側からは長い石段を上ります。

 

        

 

境内では、「河童太鼓」のみなさんがスタンバイです。

昭和57年に結成された伝統あるチームと会長さんに伺いました。

 

               

               

 

豆まきに先立って演奏が始まりました。

 

               

               

               

 

いよいよ豆まきが始まります。

 

               

               

 

これが、豆まきの舞台です。

 

               

               

               

               

 

お菓子の袋が飛んでいきます。

 

               

 

かくして、無事に豆まきは終わりました。

 

               

               

 

取材中のアビシルベさんを取材しました。

 

               

 

恵方巻の風習も定着してきたみたいですね。

 

        

 

 

 

 


大杉の寺 柏・妙照寺

2015-01-15 20:47:38 | 神社仏閣

     

     

 

この寺の若住職が、あの世界三大荒行の一つと言われる中山法華経寺の荒行(午前 3 時起床、一日 7 度の水行、読経とお題目三昧の百日間修行)を一度ならず三度まで実践されたと聞き、尊顔を拝したいと思っていた。

 

             

 

ボランテアの庭掃除の方にそんな話をしたら、会わせてくださった。

 

             

 

こちらが、超人的な副住職の瀬川さん。

毎朝 6 時、この寺から響いてくる鐘の音は、この方の日課の一つだった。

 

     

     

 

近くに大杉が立っている。

 

     

     

     

 

日蓮上人の弟子、日弁上人によって、鎌倉時代の正応元年(1288 )に開かれた寺で、文禄年間( 1592~6 )に中山法華経寺の末寺となり山号を長岡山と改めた。(沼南風土記)

 

     

     

     

 

私が写真を撮っている僅かな間にもボランテアの方が次々と現れ、とても活気のある寺だった。

 

     

 

屋根の上に浮かんだ雲さえ何か瑞雲のように思われた。