江戸中期、上州黒保根、花輪宿に、
彫師集団の礎を作った石原吟八郎の門下に、
稀有な才能を持った彫師がいた。
前原藤治郎。
石原常八親子の石原流、花形彫師の陰に押されて寡作。
最初の仕事は吟八郎の弟子となって参加した、1746年。
大里郡江南村上新田の「諏訪神社」
妻沼聖天堂が、利根川の大洪水で工事を中断した時の仕事で、
聖天堂の工事関係者は全員、諏訪神社に関わった。
それから15年後の1761年。
藤治郎は秩父三峰神社の護摩堂を、
関口文治郎、並木源治、星野政八、
小倉弥一、大塚三次郎に協力を得て、
大仕事を完成させるほど、腕を上げていた。
仕事は武州と決めた藤次郎、
宮大工・岩瀬求馬正藤原治賢棟梁の元で、
門人、松島文蔵、金蔵、長男半十郎、次男兵蔵と
深谷の華蔵寺の境内に横瀬神社を彫る。
1778年。
👇拝殿は明治になってから建てたもの
👇 明治に入ってから、
小林義男作。初代小林源八から8代目。
👇 本殿
👇向拝柱の独創は大工棟梁も唸ったに違いない。
これが前原藤治郎。
寡作の中で見せた名刹「横瀬神社」本殿。
写真 2018.8.28 深谷市
どうしても載せたいファイルがあって・・・
伊勢崎神社で知り合いになった、ね~こ。
面構えとまなざしのギャップに恋をしたみたいで・・・。