
江戸から36里、日光から36里、善光寺まで36里、
36里の位置にある霊場、水澤観世音。
36里の位置にある霊場、水澤観世音。
札所14番横浜の瑞応山 弘明寺から、
15番白岩山 長谷寺までが140キロあり、
現代人には、気が遠くなる巡礼。
16番、水澤寺までは14キロばかり、
坂道、でこぼこ道、うっそうと繁る杉木立、
15番白岩山 長谷寺までが140キロあり、
現代人には、気が遠くなる巡礼。
16番、水澤寺までは14キロばかり、
坂道、でこぼこ道、うっそうと繁る杉木立、
巡礼も命がけ・・。
33年かけて1787年に、
再建した堂宇にたどり着けば、
次の栃木の出流山 満願寺までは80キロばかり、
ここは風呂で、旅の疲れを流したい、伊香保。
33年かけて1787年に、
再建した堂宇にたどり着けば、
次の栃木の出流山 満願寺までは80キロばかり、
ここは風呂で、旅の疲れを流したい、伊香保。
万葉に詠われた伊香保榛名山のことで、
恋歌もある。
恋歌もある。
伊 香 保 風 吹 く 日 吹 か ぬ 日
あ り と 言 へ ど 吾 が 恋 のみ し 時 な か り け り





👇迦陵頻伽 かりょうびんが
上半身が人で、下半身が鳥で架空の鳥、
殻の中にいるころから美しい声で鳴き、
住んでいるところは極楽浄土だという。
江戸の頃には、きれいな声の花魁をこう呼んだと・・。
殻の中にいるころから美しい声で鳴き、
住んでいるところは極楽浄土だという。
江戸の頃には、きれいな声の花魁をこう呼んだと・・。


伊香保姫、吾妻川で継母に殺された2人の姉、
伊香保姫が身に着けていた、2寸8分の観音様、
姫が川に入水したときに、川の水が、
壁のようになり、姫が河原を渡った後ろは水が流れ、
継母は、伊香保姫を殺害できなかったという。
後、上野の国司になった高光中将公に嫁いだのち、
先だった夫、愛おしいさに伊香保沼に身を投じ・・・
伊香保姫が身に着けていた、2寸8分の観音様、
姫が川に入水したときに、川の水が、
壁のようになり、姫が河原を渡った後ろは水が流れ、
継母は、伊香保姫を殺害できなかったという。
後、上野の国司になった高光中将公に嫁いだのち、
先だった夫、愛おしいさに伊香保沼に身を投じ・・・
僧侶の夢に伊香保姫が現れ、
寺の鎮守となって衆生を救いたい
姫の守り本尊、十一面千手観世音菩薩は、
姫の守り本尊、十一面千手観世音菩薩は、
伊香保姫とともに、
1300年、夫高村中将公の菩提寺として、
燦燦と・・・・。
1300年、夫高村中将公の菩提寺として、
燦燦と・・・・。


👇向拝縦柱に絡む龍、



👇堂宇後ろの小窓から







いつも素晴らしい写真を拝見して、板東札所三十三観音巡りをご一緒させて貰っているような気がします。
四国八十八ヵ所巡り、比叡山、高野山、西国三十三観音巡りなどへは行きましたが、板東は遠いですものね。
でも拝見していると行ってみたいと思うところがたくさん…。続きを楽しみにしています。
それで、事後承諾で申し訳ないのですが、ここにある迦陵頻伽の写真をお借りしました。
よろしいでしょうか?…なんて、順番が違うんですが、どうぞお許しくださいませね。
迦陵頻伽のファイル、どうぞお使いください。
私のファイルは掲載すると、自由にどこかへ飛んでいく、やんちゃな性格、うまく手名付けてください。
坂東は、関東に住んでいても遠く、坂東だけでもまだまだ、廻りきれなくて困ってます。
感染等、体に気を付けてくださいね!
群馬県にこのような美しい観音堂があるのですね。
日光陽明門などよりも鮮やかな感じがします。
勿論、写真が素晴らしいからです。
昔の人々の信仰心に驚きますが、何里歩いても
希望の泉を求めておまいりする姿が神々しいですね。
勿論、現代の人々の捧げる祈りも貴重です。
伊香保姫を守る天女などの姿。美しい
艶やか・・いい表現ですね。
撮ってる私はがさつですが・・。
人は艶やかさを忘れたらいけませんね、
そう思ってます。
車で巡礼ですが、高速道路に助けられてはいるのに大変です。
昔のた旅姿が浮かんでは、かなわないなぁ~と。
そんな時代ですが、若い人たちが真剣に手を合わせる姿につい、遠くからその姿に感動し、
大事な、何かを得ることができますようにと、
手を合わせもします。
本当にありがとうございます。
表現感想の良い言葉が見つかりません。
涼しくなったら、まとめてゆっくりと。
やっと九月になりそうで安堵しています。
涼しい9月です。
あいにくの雨ですが、夏の疲れが取れればいいな、と。
水澤観音はいい環境に、女性たちのたくさんの参拝、
繁る木立に、ひんやりとし、まさにパワースポットと言われるようなところでした。