2019年10月の美術館近くからの富士山
今年は4月29日から5月9日まで
特別展示した河口湖
一竹美術館までの散歩でした
特別展示した河口湖
一竹美術館までの散歩でした
1917年生まれの久保田一竹 いっちく さん
14歳で手描き友禅を習い、
朝鮮北部への招集令状を受けたのは、
26歳1944年、
朝鮮北部への招集令状を受けたのは、
26歳1944年、
シベリアに抑留されて重労働。
帰り道、膨大で真っ赤な太陽が沈む光景に、
日本には帰れないだろう思いに、
上官に見られないように、
端切れに色を染め、
洗っては染める端切れに、
召集前上野の美術館で見た、
江戸になって忽然と消えた、室町時代の
染色、辻が花がよみがえり。
帰り道、膨大で真っ赤な太陽が沈む光景に、
日本には帰れないだろう思いに、
上官に見られないように、
端切れに色を染め、
洗っては染める端切れに、
召集前上野の美術館で見た、
江戸になって忽然と消えた、室町時代の
染色、辻が花がよみがえり。
もし、辻が花にシベリアで見た、
あの雄大な景色を描けたら・・。
1948年、復員してからの一徹は、
子供のPTA会費も払えず一人涙し、
染めつつけて独自の辻が花に、
身が震えた着物の完成に、「一竹工房」を設立。
45歳の時。
あの雄大な景色を描けたら・・。
1948年、復員してからの一徹は、
子供のPTA会費も払えず一人涙し、
染めつつけて独自の辻が花に、
身が震えた着物の完成に、「一竹工房」を設立。
45歳の時。
5年が10年経ち、15年後60歳。
1年に着物1枚に染め上げ、陽の目を見たのは、
60歳・・・1977年。
1年に着物1枚に染め上げ、陽の目を見たのは、
60歳・・・1977年。
シベリアの赤い太陽、
生死の極限で見た自然が生涯のモチーフに。
富士山の裾野、岩肌を、晩秋霧に噎ぶ山々、
冬の訪れ、みぞれの交じりの山々、水の美しさの極まりに、
湖面に映った山を染めて・・・
冬の訪れ、みぞれの交じりの山々、水の美しさの極まりに、
湖面に映った山を染めて・・・
河口湖に、沖縄の凝灰石で、もてなしの場所を。
展示室は、16本の1000年のもみの木で、
野外から耐震構造で、
木造の湿気対策をし、構造は日本にここだけの
一竹美術館を造る。
ツユクサの汁で下書きをした、
未完成の宇宙の世界、13枚を残してしまった、
久保田一竹さん、2003年85歳。
生涯、原始美術が好きなようで、
各地を訪問して、収集したもので、エントランス
各地を訪問して、収集したもので、エントランス
カメラが許可されたのは
外観や、展示室にある一竹さんの談話室
ミュージアムカフェ
外観や、展示室にある一竹さんの談話室
ミュージアムカフェ
それでも4時間居心地が良かった
もうちっと、ファイルがありますので
もうちっと、ファイルがありますので
・・・・・
古典的で斬新な雰囲気がいいですね(^^♪
遠いなぁ、
コロナでずっと休館してましたが、大型連休での、
特別開館でした。
エキゾチックな建物のフォルムが好きで、
収集された原始美術品も庭も・・・。
遠くて、来れないでしょうが、
いつか機会があればと思います・・ウン‼
最初の,河口湖の写真素敵!!うっとうしい今日の
お目覚めでショック!!美しすぎる
それよりも凄い一竹美術館の設え。
山中湖に主人の会社の寮が有って夏には良くゆきました。2度ほど見学しましたが、このような美しい美術館が蘇ってきました。入口の素晴らしい門、とよ様の写真での頃の感動以上に見入って
います。人も芸述作品も素晴らしい。
改めて感じ入るとよ様のblog。感謝です。
私は一芸に徹する努力ができない性格なので、
一竹さんのような緻密な作業のできる努力人には、敬服します。
展示室も撮影出来たら最高なのですが・・・。
でも、いつまでもテラスで、ここの雰囲気に浸って、居たのですから、やはりここの美術館は素晴らしいのだと思いました。