『 花語らず 』
花は 黙って咲き 黙って散っていく
そうして再び枝に帰らない
けれども その一時一処に
けれども その一時一処に
この世のすべてを託している
一輪の花の声であり
一輪の花の声であり
一枝の花の真である
永遠にほろびぬ生命のよろこびが
永遠にほろびぬ生命のよろこびが
悔なくそこに輝いている
京都南禅寺・ 臨済宗南禅寺
柴山全慶派官長(遷化1974年)が、
悟りの境地を花に托して詠んだ、詩。『花語らず』
柴山全慶派官長(遷化1974年)が、
悟りの境地を花に托して詠んだ、詩。『花語らず』
全慶老師を師と仰いで、修行した、
秩父札所12番、野坂寺の新井宏英住職は、
観音様のお姿を仰ぐとき、
いつもこの詩を思い出すといいます。
観音様のお姿を仰ぐとき、
いつもこの詩を思い出すといいます。
庭に咲く一輪の花の声を聞き、
花の一生の如く無心になり、
観音様を念じ、観音様と出会うことが願うならと・・
観音様のお姿を花に托し、境内には、
一年中花が咲いてるように心がけています・・と。
花の一生の如く無心になり、
観音様を念じ、観音様と出会うことが願うならと・・
観音様のお姿を花に托し、境内には、
一年中花が咲いてるように心がけています・・と。
👇明治39年の火事から、
延焼を免れた、1700年初めに建てられた楼門。
延焼を免れた、1700年初めに建てられた楼門。
👇楼門の右・左の花頭窓からは、
閻魔大王、五道天輪王、十王がきれいに並んでた。
👇三面観音様が・・。
👇牛もいた。
👇本堂の聖観世音菩薩様まで、
叱られても治らない道草、だいぶ時間がかかりました。
『花語らず』、牛の眼と毛並みに、とりわけ感動しました。 「花」 は、人にも通じますね。
おさななじみの牛が、いまも忘れられません、
ありがとうございました。
佛道山野坂寺、おぼえておいておまいりしたい気持ちです。
花の写真を撮るとき、
ファインダーに映る花は、
この年だけと、いつも思います。
毎年同じ名の撮っても去年の花でなく‥だから、
むきになって撮る時もあります。
きっと自分に通じるからかもしれませんね。
牛とおさななじみ、いい環境でした。
秩父札所34番、まだ半分も行きませんが、
ゆっくりできるお寺さんでした。
参りの機会があるといいですね。